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孤独で心が潰れそうになった時に私を助けてくれたのは品川駅のおじさんだった

孤独との付き合いは長い。

子供の時から人間という生き物が苦手だった私は、人間で構成されている学校や会社という組織が大の苦手だ。

だから大学卒業後も、みんなと同じような道を歩まなかった。

車屋さんでアルバイトしたり、銀座のクラブで働いてみたり、在宅で翻訳の仕事をしてみたりと、長期的な人間関係に浸らなければいけない環境をなるべく避けて歩んできた。

しかしそうなると、社会というシステムの中からのはみ出しものみたいな存在になっていく。

もちろん、生き方なんて人それぞれなんだから、会社で働く人も、フリーランスで働く人も、はたまた海外で働く人だって大勢いるだろう。

でも私は身近に同じような境遇の者がいなかたったから、まるで自分だけが所属先のない世界をさまよっているような感覚に襲われていた。

翻訳の仕事の依頼があったときや、依存関係にあった彼氏と一緒にいるときは、孤独であることを忘れられた。

でも依存関係にどっぷり浸かっていた彼が立派に会社で働いていることを想像しているときや、翻訳の仕事が全く来なくて、銀座のお仕事が始まる夜の時間になるまで、昼間のカフェでコーヒーを飲みながらなんとなくパソコンを開けて、なんとなくブログを書いてみたり、なんとなく将来の計画みたいなものをしているとき、孤独感はピークに達して行った。

彼氏がいるということだけでも幸せなことだ。

でもその彼は会社で立派に働き、人間関係も良好だ。

そう思うと余計社会との壁を感じ、自分が幼稚園の小さな子供のような存在に感じてしまう。

見かけだけ大人で、まるで一生懸命背伸びしているようなものだ。

仕事の依頼がある時だけ昼間は働いて、生活費をギリギリキープするために夜は銀座で働く。

そんな中身があるようでないような生活を結構な時間過ごしてきた。

今から3年前くらい前のことだけど、土曜日の夜の8時くらいに、品川駅の近くのルノアールという喫茶店にいた。

別にその喫茶店に用があったわけではなく、その近くで用があったわけでもない。

ただ一人で家にいるのが寂しかったから、そのカフェにいただけなのだ。

手持ち無沙汰だからパソコンを持って行った。

でもそのパソコンで何かをしなきゃいけないというわけではなかった。

いつものようにコーヒーを頼んで、パソコンを広げて、ブログなんかを書こうとしていたときだけど、なんの用もなくそこに存在している自分が虚しく思えて、普段以上に胸が締め付けられる思いがした。

コーヒーを一杯を頼むと、だいたい1時間から2時間くらいカフェの中にいることが多かった。

でもその時はカフェにいることも落ち着かなくて、30分くらいでカフェを出てしまった気がする。

孤独というのは、「ただ寂しい」というものだけではないのだ。

「ただ寂しい」「なんとなく寂しい」なんていうものではない。

孤独とは、この世に自分の席がないという感覚で、誰にも必要とされない、自分の存在意義が全く見出せないという感覚に近い。

もちろんそんなことは自業自得で、自分が望んだ結果である。

でもいざ人間の輪に入ってみようと試みたところで、「自分は周りとなんか違う」という感覚を嫌なほど味合わされて、余計に孤独感が増すのだ。

自分は誰にも必要とされていなくて、この世界で生きている意味がない。

そういう症状がいつも以上に出ていた時だった。

品川駅に向かってふらふら歩いていくと、駅の方からバイオリンの音が聞こえてきた。

映画『レ・ミゼラブル』でアンハサウェイが熱唱した『夢やぶれて』という曲だ。

さっきまでは孤独の真っ只中で、将来に希望も見出せず、真っ暗闇の世界をさまよっていたはずなのに、夢やぶれてを弾くバイオリンの音を聞いた途端、嘘みたいに希望みたいなものが湧いてきた。

希望というのか、狭まった世界観が一気に横に広がっていく感覚だ。

もうダメだと思っていたのに、「世界は広い」なんていうことを呑気に考えられるモードに変化していった。

バイオリンを弾いていたのは日本人の女性だったけど、その隣にはバイオリンの音色に合わせて人形を操る外国人のおじさんがいた。

白人の方で、50歳くらいの方だった。

私の縮こまった視野を音楽はいとも簡単に広げてくれただけでなく、海外という日本とは違う異国の地を思い起こさせてくれる白人のおじさんの存在が、私に「世界は広い」という当たり前のことを改めて教えてくれた。

そう、世界は広いのだった。

私はそのことをすっかり忘れていたのだ......。

世界が広いということを知っただけで私の根本的な問題が解決するわけではない。

でも、「生き方なんて人それぞれじゃないか」、「自分なりにこれまで頑張ってきたじゃないか」、「これからも自分なりに歩んでいけばいいじゃないか」というポジティブなメッセージを自分に送ることができたのだ。

あれから3年くらい経った今、相変わらず人間という生き物が苦手な状態でこの社会に生きている。

時々孤独感に押しつぶされそうなときもあるし、眠れない夜だってある。

でも、今はyoutubeさんという心強い味方がいて、眠れない夜とか、不安でしょうがない昼間なんかは、「不安 対処法」というキーワードを入力してポチッとする。

すると、あの時品川駅で立ち直ることができたと同じように、「大丈夫、大丈夫」と自分にまたエールを送ることができるのだ。

不安になっても大丈夫。

youtubeさんというヒーローがいつも側にいてくれるんだからっ。





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