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#エッセイ|結婚式は必要か

”238万円"

結婚式には大金が必要だ。

花嫁側が言うのは珍しいかもしれない。

だが現実問題として、年収の半分ものお金が1日でなくなるのだ。

私が躊躇するには十分すぎる額だった。


私たち夫婦は2021年に入籍した。

コロナで大勢が集まるのは難しいと分かっていたが、
近いうちに収束し、式も無事に執り行えると思っていた。

しかし収束する世界は訪れない。

コロナ禍で式を挙げることは、新郎新婦が初めてぶつかる壁である。

だが私が一番悩んだのは、コロナ禍で式を挙げることではなく、
そもそも式が必要なのか?ということだった。


「コロナ禍」という足かせによって、「結婚式開催」の決意は鈍る。

そして「結婚式」に対する意志の強さを試されるのだ。

「リスクを冒してまで、大金を払ってまで、そんなに結婚式がしたいのか」
「そもそも結婚式をすることに、何の意味があるのか」

自問自答する時、自分への問いかけは残酷なまでにストレートだ。

まずはと思い取り寄せた式場の見積が、さらに追い打ちをかける。

”238万円"

この大金を1日で使い果たして、そこには何が残るのだろう。

親や友人にも相談した。
しかし「自分のしたいようにしなよ」という意見しか出てこない。

間違いなく自分史上、最高額の大金を使う。
コロナ禍での開催をよく思わない人がいるのも事実だ。
他の誰でもない、自分自身がどうしたいのかで決めるしかないのだ。

そう分かっていても逃げたくなる。
結婚を決めたとはいえ、まだ自分は子どもなのだと思った。


「こんなに悩むなら、もう結婚式なんてやりたくない。」

結婚式に嫌なイメージしか抱けないほど、思いつめていた。

見兼ねた夫が声をかけた。
「もし結婚式をしなかったら、死ぬ時に後悔しない?」

そんなもの、後悔するに決まっている。
結婚するなら式はセットだと思って生きてきたのだ。
コロナとお金がネックなのだ。

続けて夫が言う。
「だったらしようよ。もしせずに死ぬ時に後悔したって、誰も責任とってくれないよ。」

究極の一言だった。
極端すぎる表現ではあったが、本質を付いているように感じた。

結局、私たちは結婚式をした。


”誰のための式か?”
それは紛れもなく自分たちのためだ。

”なぜしたいのか?”
結婚式は一生の思い出になる。ずっとしたいと思っていた。
単純だが本音でしかなかった。ならば素直に従おうと思った。

そこからは「結婚式はする」前提で考えることにした。

コロナに関しては、もう私たちではコントロールできない。
もしゲストが感染してしまったら、申し訳なさと、罪悪感に苛まれるだろう。

だからゲストには、参加を強制しなかった。

伝え方は難しかったが、正直に思いを伝えた。
前提としてゲストは、今後も一生付き合いたいと思った相手だけにした。
だからこそ、結婚式に参加するしないが今後の関係性に影響しないと思ったのだ。
「結婚式に呼びたいくらい大事なあなただからこそ、コロナが不安なら来てくれなくても大丈夫。だって私たちの仲はその程度じゃないから。」

お金に関しては、かかるものはどうしようもない。
腹を括るしかないのだ。

ただ、お金は後からでも稼げる。
でも式をしなかった後悔はどうしようもない。

でも無駄遣いはしたくなかった。納得のいく使い方をした。
したいと思った演出は頼んだが、見栄を張るための演出は削ぎ落した。

そうして見積よりも少し安くはなったが、決して高くはない金額に着地した。


結婚式をあげてから半年が経った。

写真や動画を振り返りながら思う。
やっぱりやって良かった。最高に楽しかった。

後悔など微塵もない。
あれだけ悩んだ金銭面も、得られた思い出には叶わないと感じている。


結婚式に正解はない。
だから正解を選ぼうと考える必要はない。
式を行うか否かは問題ではなく、自分の気持ちにちゃんと向き合えるかが重要だ。

意志の強さや根拠を試されるが、自分の素直な気持ちが丸裸になり、それと向き合える機会になった。

そして夫婦として、お互いの気持ちと向き合う機会にもなった。
そのために結婚式があるのではないかと思うくらいだ。

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