「自分が」やらなければ。光の存在は必要ない。

スピリチュアリティの奇妙な傾向の1つとして、「ヒーローが世界を変えてくれる」という根強い傾向がある。

〇〇の時代から〇〇の時代に移行したから社会は変わるとか、高次元へつながる門が開いたとか、アセンションで何年までには理想的な社会になるとか、光の存在たちが支配者達を大量に逮捕しているとか、ネサラ、ゲサラが発動して何も心配がいらなくなるとか、トラ〇プ大統領は救世主だとかとかとか!

これって明らかに依存ですよね。
自分達の力では何もできないからヒーローや特大の自然現象に任せたいという願望です。

いや、私は星と話せるわけでもないし高次元の存在と話せるわけでもないですから、ほんとうに実際に上のようなことが起こっているのかもしれませんよね。
たしかにそれはそうです。

でもこれが依然として依存であることは事実ではないでしょうか?

大量逮捕とかアセンションとかそういうことが起こっていようが起こっていまいが新しい社会に続く道を開拓することを自分の力ではなく他の人にやってもらいたい、スコップで掘っていくんじゃなくてブルドーザーで手っ取り早くやってもらいたいという態度に変わりはありません。

もしかしたら開拓した道を歩くことさえ、他の人におんぶしてもらいたいとか乗り物でさっさと行きたいとかありえます。

たしかに個人の力には限界があるから支配者達を一掃!なんてことはもっと大きな力に頼るしかないことは明らか。
私ではなくもっと声の大きなふさわしい人に頼みたいというのは理解できます。

だからこうやって頼ることは依存じゃなくて、新しい社会を創るために適材適所を考えた上での依頼なんだ!って反対されるかもしれません。

それではあなたは一体何をするのでしょうか?
力の強いリーダーが来るのを待つことでしょうか?

もっとも懸念するべきは、待つだけだった人が新しい社会に到達したとしてそこでその人はどんな人なのかということ。

その人となりが行動や態度に示されるとすれば、依存する人は新しい社会でも依存するのでは?
誰に?
リーダーに。もうピラミッド構造🔺

むしろスピリチュアリティが目指すような新しい社会は、リーダーとか大きな力とか、そうしたものすべてにNOというような社会ではなかったのでしょうか?

高次元の社会は独立した人達が集う社会のはずです。そこには上の立場も何もありません。

理想の社会に到達してもその人がそこにふさわしいような人でなければなんの意味もない。
先に大きな力で形だけ作っても、後に入れる中身がふさわしくなければ崩壊するだけ。

新しい社会のために最後の大きな力を使う、平和のために最後の1人を殺す、みたいなことは結局失敗するのは明白です。

それなら重要なのは私たち自身の力の方ではないでしょうか?

個々人が高次元と呼ばれるにふさわしい思考と態度を獲得すること、これが新しい社会の土台となるのです。

新しい社会に移行するから高次元の生活を送れるようになるのではなくて、高次元の生活を送るからこそ新しい社会になる。

その順序を間違えてまず社会の方を変えようとするなら、リーダーや光の存在といった大きな力を持ち出す他はない。

でも順序を正しく認識するなら、私たちがまずやるべきことは目標をしっかり定めて「自分がやる」ということを常に意識してそれに向かうことのはずです。

救世主を求めるのはやめて、自分の力を信じたいこの頃✨

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