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生育環境が私に与えた影響の話

こんにちは。IKOです。
うつ状態の寝たきりから少し動けるようになってきたため、先週は5日間程度実家に戻って療養していました。
本当は、このまま家にいた方が回復は早いのではないかと考えていたのですが、夫からの強い希望での実家への帰省でした。

実家に帰省しても、ほとんど寝てばかりで、食事の支度をする母の家事を少し手伝うくらい。
実姉が、嫁ぎ先の方から地元へまた戻ってきて生活するという時期と重なっていたため、姉のもうすぐ2歳になる息子(私の甥っ子)の様子を見たり(箱入りで育っていたため全然懐かない…)、地元で暮らしている実弟の、もうすぐ1歳になる娘と2歳になる息子(私の姪っ子と二人目の甥っ子)の様子を見たり。


私たち夫婦は、子どもは産まないと決めているため、可愛がれるのは甥っ子姪っ子たちです。

子どもを産むことに関しては、すごく悩んだ時期がありました。

双極症の方でも、子どもを産んで育てていらっしゃる方は、もちろんたくさんいらっしゃるかと思います。

私は子どもが好きなので、本当は欲しいと思っていたのですが、やはり、もし私のうつ状態が酷くなった時に、希死念慮などがわいて、子どもと一緒に心中でもしてしまうんじゃないかと、本気でそう思っているところがあります。

後はやはり経済的な面。
現在の夫の収入では、子どもを育てていけるだけの経済力がありません。
本当は私もバリバリ働いて、お金を貯めておければと思いますが、体調の不安定さで仕事も続かず、収入も不安定だし微々たるもの。
将来、子どもに良い生活や学習環境を整えられてあげられるだけの余力が全くありません。

後は、やはり母親が精神的不安定だったり、それに伴って夫婦仲がぎくしゃくしていたりする事への子どもへの悪影響を考えて。

私は、いわゆる『毒親』といわれるタイプに近い両親の下で育ちました。
父親が無関心で、母親が過干渉というタイプです。

先日、実家に帰省して、両親と何日間か一緒に暮らした後また自分の家に戻ってきて、ふと思ったのですが、病気が原因で休職して、不調の療養のために実家に戻ってきている実の娘に対して、私の父は心配する様子も微塵もなく、誰でも言えるようなアドバイスを、一言二言口に出すだけ。
後は自分の好きな趣味(魚釣り)にいそしみ、夕食時にはテレビを見て政治家の不祥事に対して文句をぶちまけ、好き勝手に暮らしている様子。

私はこれがずっと当たり前だと思っていたのですが、よくよく考えてみると、なんかおかしいなぁと思いまして。皆さんはどう思われますか?

私にもし自分の子どもがいて、その子が精神的な病を抱えてしまって、仕事や日常生活に支障が出てしまっていて、悩んでいたり苦しんでいたりしたとする。もちろん、子どももいい歳した大人だから、変に過干渉にはしないけど、私だったらもっと親身になって話を聞いてあげたり、不調が少しでも良くなるような手立てを考えたり、自分なりのアドバイスをしてあげたりするけどなぁと。

私の父はそんな感じで、子どもに対して無関心(興味がないのかな?)、母はあれやこれやと心配してきます。小言をぐちぐち言って自分の考えや価値観を押し付けるタイプです。
今はそんな母の態度には慣れましたが、思春期頃は本当に嫌でしたね(笑)
小さいころの両親の思い出は、とにかく本当に毎日のように口喧嘩しているということだけです(特に母がヒステリックに大声を上げたりしていたのが印象的でした)。仕事やお金のことが主でしたが、いずれにせよ、子どもの目の前で喧嘩するなよと、今では思います。

おまけに、うちの両親は、某新興宗教団体の信者です(最近名誉会長の方が亡くなられましたね)。

私は一切、信仰選択の自由などなく、生まれてすぐに某団体の会員となりました。
小さい頃は、住んでいる家が地区の信者の方たちの座談会場になっていて、両親は地区の支部長などを担い、精力的に活動していました。
幼いころから、信仰活動が身近にある環境で育ち、毎日仏壇に向かってお経を唱え、団体の子どもたちの合唱団みたいなのにも所属し、完全に信仰に染まった環境の中で育ちました。

思春期を迎えるころ、私は学校になじめなかったことで中学生から不登校になっていたのですが、両親からは「とにかく題目を唱えなさい」と言われ、毎日、時には泣きながら、必死にお経を唱えていました。
その頃は、うちの家庭の違和感に気付いた姉や弟は、両親や家から距離を取るような行動をしていました。友達の家から帰ってこないとか。
私は真ん中っ子で、性質上、親の期待に応えたいみたいな考えを持っていたのか、その時期はかなり精力的に信仰活動にハマっていましたね。

そんな感じだった私も、ある程度大人になって、親元を離れてしばらく経って、今の主人と出会ってからは、完全に信仰とは無縁の生活を送るようになりました。
最初のうちは、「題目を上げないといけない」みたいな考え方がこびりついて離れなくて、「そうしないと幸せになれない」とか「信仰がないと不幸になる」とか、今考えるとおかしな思考に洗脳されてました。

現在の私の価値観や考え方のクセをよくよく考えてみた時に、幼少期のそういった周囲の環境が、大人になった今でもどれだけ影響を与え続けているのかということが、身に染みて感じられて、でも、それをどう解消していけばいいのか、それにどれだけの時間がかかるのかを考えてしまって、その途方もなさに呆然とし、ただただ涙が流れてしまいました(昨日の夜の出来事ですが)。

両親を憎んでいた時期もありましたが、憎んだところで私の現状は変わらないし、私自身を苦しめるだけだと気づいて、憎むことも辞めています。
私が調子悪いときに、いつでも受け入れてくれることには感謝しています。

ただ、両親が、もっと成熟した人間で、信仰などの価値観をゆがめるようなものもない環境で、ただあるがままの私を愛して育ててくれていたら、もしかしたら私は病気にすらならず、自分をありのままに愛せる、心穏やかな人間になっていたかもしれないな、とも考えたりしてしまいます。

過去の事を悔やんでも仕方がないし、親は選べないですから、もはやこれからどう生きるかは自分の責任なのですが、時たま出会う、本当に親に愛されて育ってきたんだろうなぁ思われるような、本当に自己肯定感の高い人を見ると、なんだかなぁと思ってしまったりします(その人に非はありません)。

それでも生きていかなければいけないから、この課題はいつか解消したいです。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


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