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「ソウルメイト・ドラゴン~篤あっつつ~」第七話 私は皆に応援されている

私は皆に応援されている

翌年、私は二十歳になった。だがまだ私は徳川家に輿入れできていなかった。私は自分の強運を信じながらも、眠れない日が続いた。
お義父上は輿入れが進まない私の結婚話に、策を講じた。
幾島が仕えていた叔母上郁姫様の夫、つまり義理の叔父上の近衛忠煕様に、どうしたらよいのか、と相談した。
島津とご縁の深い近衛忠煕様は、私を養女と公家の娘とするのがベストだ、とお義父上に提案した。
近衛家は五摂家の一つで、公家の中でも名門中の名門だった。天皇に最も近い位置にいる藤原家の一族でキングオブ貴族で、徳川家とはちがう位置でのセレブだった。
五摂家の一つ、近衛家の娘であれば家定様の御台所として何の不足もない。
誰にも何も言わせないぞ、という無言の圧力を幕府にかけることができるのだ。

言わば私に箔をつける、ということだ。
例えば、ここに一つのお菓子がある。
同じお菓子でもそのあたりの出店で売られているより、有名な店で売ら見事な包装紙に包まれている方が美味しそうに見える。
さらにそれが「皇室御用達」という肩書を持つと、さらに立派に見える。
私、というお菓子を、お義父上の養女から五摂家の一つ近衛家の養女、というラッピングをし、どんどん箔をつけていったのだ。
そのため、一時的に藤原敬子(ふじわらすみこ)という名前になった。

私自身は、自分に箔をつけられるのは本意ではなかった。
けれどお義父上を始め、みながここまでたどり着くのにどれだけの労力と時間とお金を費やしているか知っていたので、断れるはずもない。
私は腹の底から納得できなかったが、この提案を渋々受け入れた。

不満顔の私に幾島は向き合って話をした。

「篤姫様がこのように自分をバージョンアップさせる方法で、家定様に嫁がれるのが不満であることは重々承知しております。
ですが、姫様。
格式、というものは、そのようなものです。
これまで徳川家の正室は、京都の公家からまいっておりました。
この格式は、二百五十年も綿々と続いていたのです。
篤姫様がこの格式にご不満で変えたいと望むのであれば、それは今ではございません。
あなた様が徳川に入り大奥で女城主として君臨した暁に、その権限を手に入れられるます。
ご不満な格式は、徳川にお入りになった後に存分に改革して下さいませ。
それはすなわち一橋慶喜様を次の将軍に推すところから始まります。
慶喜様でしたら、旧態依然とした幕府や大奥を変える力をお持ちです。
今回の近衛様のご養女の件は、その布石を打っているのです。
どうぞ大局を見据えて下さいませ。
あなた様がバージョンアップして箔をつけ徳川に嫁ぐことは、島津にとって損なことや不利なことなど何一つないのです」

私の目を見て、淡々と話す幾島に自分の気持ちが和らいでいくのがわかった。この世にはそういう力が必要な世界があるのだ。

バージョンアップすることで確かに、自分に箔がつく。
言い方を変えれば、それは嫁ぎ先の徳川とイーブンになることだ。
私が徳川と同等に肩を並べることは、お義父上の望みにも近づくことだ。
私が近衛家の養女になることは、幕府や大奥から蔑まれずにすむことだ。
そうなることで嫁いでも大奥で堂々とできるように、みなが道を作ってくれている。
私は皆に応援されている。
その応援を、受け取ればいいのだ。

大事なのは、嫁ぐことではなく嫁いだその先だ。大局を見据えることだ。
龍が開く大きな道の前で、個人の感情がどうのこうのは、私が感じればいい。
大切なのは幾島が言った通り、その後のことだ。
龍の背中に乗ったのは、ただ運命に運ばれるだけではない。
龍の背中から大局を見据えることこそが、大切だ。

私は幾島の目を見返した。

「わかった、幾島。
それでは、近衛家の娘として堂々と家定様に輿入れいたそう」
幾島は深々と私に頭を下げた。

こうしてようやく家定様への輿入れが決まった。それからは早かった。この年の十一月、私は徳川第十三代将軍、家定様に輿入れした。薩摩を出て三年目だった。

婚礼の日、初めて家定様にお会いした。


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