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「ソウルメイト・ドラゴン~篤あっつつ~」第二十六話 この国の女たちがもっと自由に羽ばたき、愛するために開く


江戸城を開け渡す四日前、ようやく新しい家が決まった。大奥で働いていたたくさんの女達は、実家に戻るか、新しい居場所を見つけ出て行った。滝川を始め、ほんの数名だけが最後まで私と共に大奥に残った。静寛院宮様とは別々の屋敷で暮らすことが決まり、大奥の終焉はすぐそこまで近づいていた。
静寛院宮様は江戸城明け渡しの前に引っ越すことになった。
荷造りが終わり、お迎えを待つばかりの静寛院宮様を部屋に招いた。これまで感じたことのない静けさに包まれ、私達は見つめ合った。
彼女のお雛様のような小さなお顔は、疲れと大奥から解放される喜びが滲んでいた。それを寂しく思いながら、彼女の細い手首をそっと握る。
「これまで、いろんなことがありましたね」
精一杯の愛情を込め、微笑んだ。
私の言葉を時間をかけて咀嚼した静寛院宮様は口を開く。
「私は」
そう言うと、開きかけた口を閉じ沈黙のカーテンに包まれる。言葉を探すように庭に目を向ける彼女の視線を追い、私も同じ方向を見た。明るい光に溢れた緑の庭は、枝葉を払われ整えられた木や、色とりどりに咲き誇る花達が春を謳歌していた。最後に美しく庭を整えたお庭番の仕事が、そこここに生きていた。家定様と手を繋いでこの庭を散歩したことを思い出し、胸がしめつけられる。涙をこらえ、心のシャッターにその光景を焼きつけた時だった。
「私はご存知の通り、京から江戸に来るのがとても怖かったのです」
声を絞り出すように静寛院宮様が言葉を続ける。
「幼い頃に決められたフィアンセの有栖川宮熾仁親王様に嫁ぐことだけを夢見てまいりました」
私は黙って頷いた。
「その婚約を破棄し、家茂様との結婚を申し伝えられた時、目の前が真っ暗になり、いっそ死んでしまおうとまで思い詰めました。
けれど兄の孝明天皇に頭を下げられ、この国の未来のため、自分を殺してここにまいりました。
この大奥には私の居場所などない、アウェイだと思い込んでいました。
けれど家茂様がおりました。
あの方が私を守り愛し、尽くしてくれたのです。私は家茂様に出逢い、初めて人を愛するという事を知りました。
それまで愛してもらうのが当たり前でした。
けれど初めて自分から人を好きになったのです。家茂様がおられたから、慣れない大奥での生活も乗り越えられました」
せき止められていた水が溢れだすように、彼女の口から言葉がほとばしる。
一瞬目を閉じ、全身氷の鎧で固めたように冷たかった昔の彼女を思い出した。
「本当に、静寛院宮様はよくがんばってこらえました。
何といっても、私のような鬼姑と渡り合ってこられたのですから」
そう言って私は笑った。
あの時はお互い意地を張り、自分のやり方やしきたりを通そうとしていた。相手にコントロールされまいとし、自分が相手をコントロールしようとしていた愚かな日々だった。
が今思えば、あの時は幸せな時間だった。
どんな思い出も過ぎてしまえば、ただただ抱きしめたいほど愛おしい。
感傷にふけっていると
「天璋院様」
突然、背筋を伸ばした静寛院宮様がじっと私を見つめた。覚悟を決めた一途な瞳に、心臓がバクバク音を立てる。
「天璋院様、私はあなたにお会いでき、本当によかったと思っています。
あのまま京にいたら、私は生きているのか死んでいるのかわからない時間を過ごし、一生を終えていたでしょう。
この大奥に来て、くやしかったり辛かったり、嬉しかったり、悲しかったり、これまで味わったことのない気持ちをたくさん感じました。
自分の人生を生きるとはこういう事だ、と初めて知ったのです。
それは悔しいけど、あなたにお会いできたからこそ、です。
お義母上様、本当にありがとうございました」
彼女は目を閉じ、静かに頭を下げた。
たまらず、両手で静寛院宮様を抱き寄せた。
私達はまごうことなく、一つの家族だった。徳川の家族だ。彼女の細い肩を抱きしめたまま、天国の家定様に告げる。
家定様、お聞きになりましたか?
私、息子のお嫁さんにお礼を言われましたよ。
徳川の最後のお嫁様です。
日本一のお嫁様です。
そして、私は日本一の姑です。
徳川の最後の女は、日本一のお嫁様と姑ですよ!私がそちらに行ったら、うんと褒めて下さいね!
さらさらと木の葉を揺らす春風が、最後の抱擁を見届けた。

静寛院宮様が去って行き、やがて私もここを立つ日がやってきた。
荷造りも終えがらんとした大奥に後ろ髪をひかれるように、首をひねり振り返える。

大奥は徳川三代目の将軍家光様の乳母の春日局様が家光様のために作った。
ここでたくさんの女性達が愛と憎しみに囚われ、涙しだろう。
この大奥は女の自由を奪い、たくさんの愛憎劇が繰り広げられた場所だった。
けれど新しく生まれ変わるこの国に、この場所は必要ない。
私は最後の役目を果たすため、大奥と外の世界を隔離する扉の前まで歩く。
黒く大きな鍵がつけられた扉が、一切を拒否し行く手を遮る。冷たい鍵に手を乗せ、この国の女達がもっと自由に羽ばたけるよう、祈りを込め叫ぶ。
「扉を開け!」
控えていた滝川と二人の侍女は重い閂を外し、扉を開く。
ギギギッ、と扉は音を立て、翼を広げたごとく二手に大きく開いた。放たれた扉の向こうから、まぶしい光が大奥に流れ込む。
光に照らされた扉は、役目を終え喜んでいるように見えた。
扉も開かれたかったのだ。
明るい光に溢れた大奥で、残った者達と庭に咲いていた花を集める。
それらを花瓶に入れ、あちらこちらに飾った。
白粉に変わる、ふんわりとした甘い香りがあちらこちらから漂ってきた。

「女達がいなくなった大奥に、女の代わりに花を残していこう。 西郷もきっと喜ぶであろう」
女達が閉じられていた大奥は、今解放された喜びに満ち溢れ、色とりどりの花々に彩られた美しい花園に変わった。

「まるで、この国の未来のようじゃ」

夢見るように私はうっとり微笑む。
この国の女達の未来が、もっともっと輝き愛に満ちていくように。両手を合わせ、天に祈った。

女は花のような存在だ。
牡丹のように華やかな女もいれば、桔梗のようにしっとりした女もいる。
どの花もみな美しい。
どの花も自分を誇って、胸を張って堂々と生きていけばいい。
これからこの国の女達は、花のように美しく自由に生きるのだ。

そして翌日、私は江戸城を去った。
それは二百五十年史を持つ大奥の終わりだった。

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あなたは自分を花に例えたら、どんな花だと思いますか?

その花はどこで咲くのが、ふさわしいでしょう?

あなたはどう咲きたいですか?

どう生きたいですか?


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