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あまくてやさしい友

今かじっているりんごについて書いてみようと思う。
あ、なんで文章を書いているかって?

とくに理由はないんだけど、
いつもメッセージ性のあるものをかかなきゃいけないわけではないでしょう?

そうそう、さいきんりんごを食べているの。
大学の先輩がりんごを送ってくれて、
青森でりんご農家をしているナガオさんっていうひとのなんだけど、
あ、ちなみにふじりんごっていう品種ね。

さいきんそのりんごを机に置いたり、
パソコンの横においたり、
かばんにしのばせたりしてる。

おなかがすいたらいつでもりんごがある、と思えると、
仕事を頑張れたり、あとりんごがそばにいてくれるとおもうと
なぜか寂しくなくて、
手のひらにのせてみたり、なでたりしているんだ。
(たべたらいなくなるのが寂しくて、けっきょく持ち帰るんだけど)

おいしいし、心にもよりそってくれるんだ、りんごは。

何か失敗して、あるいは自分の力ぶそくで、
誰かに迷惑をかけてしまって、
それは自分でもわかっているんだけれど、
でも自分ではどうしようもないっていうときがあってね。

そういうときって、なんというか他のことに関しても
自分は人と関わると迷惑になるような気がする。
そうすると、人と関わりたくなくなる。

このことを話せば多分だれかが「そんなことない」といってくれて、
でも「そういわれたらそう返すしかないよな」って思うから、
あまり心はすくわれなくて、
そして自分は自分が思っていることの中でしか生きることができないから、
誰といても心が孤独になる。

でもりんごは、あまくてやさしい。
あまさとやさしさの裏には何もなくて、
私にあわせてあまいわけでもやさしいわけでもない。

本当にりんごというものが、
ほんとうにただやさしくて甘いだけなのだ。

だから、それに救われる。
りんごの裏表のないそのおいしさは、
信じるとか信じないとか、考えなくていいから。

りんごはともだちだ。
しゃべれないだけで。。
しあわせになれる。

りんごたち、まだ家に山あるからうれしい。



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