ゲームメディアで“ニュース”を書くことに限界を感じた
ニュースを書くことに限界を感じた。
そもそも、ゲームメディアで発信すべきニュースってなんだろう。「モンハンの新作が発表された」とか「ゼルダのDLCが開発中」みたいな、普段ゲーム情報を熱心に追っていない人でも興味がありそうなものは書くべきだと思う。
だけど、ゲーム会社自身から情報を発信できる時代だ。企業のTwitterをフォローしていればわかるようなことをコピペしたって意味はない。
じゃ、ゲームメディアがやるべきことってなんだろう。
そうすると、国内ゲームメディア「AUTOMATON」が得意な「コミュニティの話題」を“伝える”ことが求められるんだと思う。AUTOMATONは僕自身もいくつか執筆させて貰ったことがあるが、あそこの記事の解像度はとても高い。
ゲームに対する情報、情報を見る上でえるべきサブ情報もしっかり書かれていて、そのタイトルをあまり知らない人にも配慮がみられる。シンプルに「文字を読ませる」ことに長けているメディアだ。
でも、AUTOMATONはコンスタントに一人の人間が書いているわけではない。その裏には(恐らく無自覚に)ゲームを知ろうとする大きな好奇心と、ライター一人ひとりのパッションによって成り立っているんだろう。
ほとほと、ゲームメディアは金にならない仕事だ。
これはAUTOMATONを決して悪くいいたいわけではないことに留意して欲しいが(そもそも僕はAUTOMATONでニュースを書いていない)、一般的にゲームメディアは金にならない。僕のようにがめつく賃上げを要求しないと、ライター一本で食っていくことはほぼできない。
ただ、僕はいくつかのサイトで比較的納得できる金額でニュースを書かせて貰っているが、それでも書けないと思った。
僕にとってゲームメディアの記事の価値は二つしかない。読まれる記事と、読まれないけど書くべき記事だ。
俺のメンタルがガラス細工でできていることもあるが、PVが出ない=そのメディアへの貢献度が低いことが、耐え難い苦痛であることが、ここ数ヶ月でわかった。直接PVを見られる立場にはなくとも、読者やSNSの反応でその記事のPVは相対的に想像できる。
そのなかで、例え読まれなくても文字にしておくべき内容の「書くべき記事」は、別にそれで良い。自分の信じるべきことをやっているだけだから。
でも、くそみたいな内容で、あげくPVも出ない内容の記事を書いてしまったときの喪失感と虚無感は凄まじい。心にアマツマガツチでも飼っているのかと思うほどの暴風に襲われる。
多分、いっぱしのライターがそんなこと気にせず鼻ほじっていればいいんだと思う。
でも気になっちゃう。特にメインで僕がライターをやっている記事は具体的なPVを見せて貰っているが故に、連日PVが取れていない胃痛は、自分の想像を遙かに超えていた。
他のメディアで何が読まれているのか、SNSでは何が話題なのか、世間はなにに興味を示すのか、そのなかで自分が書けるものはなにか、やれることはやったように思う。これまで拒絶していたコンテンツも無理して見て、聞いた。普段やらないけど流行っているゲームを買って、インストールして、プレイした。
その一方で、“読まれない”けど楽しみにしていた新作ゲームは机の隅で埃を被り、大好きだったFPSのランクはみるみる落ちていき、バトルパスすら終わらない。eスポーツに関わるようになってからは、イベント取材のために好きだったライブのチケットも何枚ドタキャンしたかわからない。
それで成果が出ているならまだ救われていたかもしれない。でも別に、僕の努力がなにか実を結んだとは思えないし、これから先を見出すこともできていない。そもそもそんな努力をする必要すらなかったんじゃないだろうか。吐きそうだ。
ある日、「ゼルダ」の話題をニュース化するにあたって、ゲームに詳しくないと書けない部分があった。その状況で僕は「記事書けないならゼルダ買った意味ないじゃん」と思ってしまった。そう思ってしまったことに対して頭が真っ白になった。ゲーマーとしてのアイデンティティ喪失だ。一体全体僕はなんのために生きているのか、わからなくなってしまった。
でも。もうちょっとだけやってみたさもある。まだ自分の知らない面白いなにかを見つけていない気がする。そんなふわっとした気持ちだけが希望である。
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