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言葉と性格

涼しくなりいよいよ秋になりつつあるというこの時期も、常に同じことで頭を悩ませ前に進めないでいる、通常運転の私。

だがたまには、気晴らしに私の好きな話題について書いてみようと思う。


以前英文学と創作について書いたが、今回は言語について少し語ってみたい。ジャンルは限られてしまうが、英文学と英語学どっちに興味があるかと聞かれたら「選びづらい」と答える位には、英文学と同じ程言語に興味がある。

言語とはいうが、ここで挙げるのは英語と日本語、及びその性格についてである。そもそも文系に強い私大のちっぽけな学生で、全くプロフェッショナルではない私が細かい学問的な分析などは出来ないが、読んでくださる方が納得と共感を得ていただければ本望である。


Speak in English

When I'm speaking English, I feel like I'm... と始めたいところだが、私の英語力が悪い意味で露呈してしまうためやめておく。そもそもネットに晒しあげるなんて出来ない。

今やどんな大学でも、1年次から英語のみの授業が必須となっており、小学校で英語を学ぶ時代になっている(間違っていなければだが)。それで身に付く身につかない、という話は今は関係ないが、授業であれ何であれ、英語を喋る際に何かが変わる、といった経験はないだろうか。

私の場合は高校に外国語コースなるものがあり、そこに入ったため必然的に英語で英語を学ぶ機会があった。ディスカッションにプレゼン、英語合宿など。また海外(主にイギリス)に興味を持ち、シャドウイングと英会話スクールで学習を始めたのもこの時である。学習を怠るとやはり著しく低下するが、それでも喋る時は何かが違う。個人的なことになってしまうが、「わかる!」という方がいらしたら嬉しい。

私が英語を喋る時は、別人格が現れるのだ。

やや大袈裟だが、他に良い表現が見当たらなかった。例えどもったり単語や文法が間違っていても、スキルが全体的に低くとも、ディスカッションや先生と話す時は性格ががらんと変わる。

自分で言うのもなんだが、普段は不器用で頑固で、刺激を求めるのに豆腐のように脆く繊細なポンコツで、遠慮がちでビビりな私が、英語を話す時はその多くが消える。不器用で繊細でポンコツなのは変わらないが、遠慮がなくなり不思議な向上心と素直さが前面に出る。自分で意見するのも反論するのも積極的になり、また意見されるのも反論されるのにも冷静に受け止め、怯えることがない。それこそ、現地の人になったような感覚になる。

むしろこれが本来の私なんじゃないか、こっちの方が私には合っているんじゃないかと思う程に。


日本語を話す時

日本人の国民性がどうたらなんて言うつもりはさらさらない。だが私も、この日本に暮らす一人として、その性格は持っている自覚がある。当然日本語は生活の99%で喋っているのだから、そういった意味で素の、いわば「メインの自分」である。

他の人に意見するときは、仲の良い友達でも気を遣うし、家族なんてもっと言いにくいし、好きなことを勉強したりそういったイベントでなければ、口を開くことは控えるだろうと思う。油断すると要らないことも喋ってしまう・・・と言うのが理由だが。というよりかは、変に喋ったり質問したりして「何か抜けてて変な奴」と思われるのを危惧しているんだろうと思う。いやそんなこと考えなくとも、既にお前は抜けてて変な奴だ。

反論なんて小さい時こそしたかもしれないが、その後何がくるかわからないのが怖くて、ここ数年は出来た試しがない。そもそも語彙力と論破できるほどの力は私にはない。その分、悲しさや苦しさを抱えている人には優しくありたいと願うが、私の場合はただ臆病でビビりなだけである。それなのに気は利かないが。

とにかく日本語を喋る時は、生まれてから今に至るまでに形成された私が前面に出る。

だが性格はともかく、物事に対する思考といえばいいのだろうか。英語を喋る時のそれによる影響か、考え方や捉え方は確実に変わってきているだろうと思う。


考察・結論

誠に僭越ながら、この現象について勝手に考察をしてみた。

一通り知っている英語の歴史、日本語の歴史を思い起こしてみたが、そこに言語の内包しうる性格、その要因となるようなファクターは思い当たらない。詳しく深く調べればあるのかもしれないが、論文ではないので省かせていただく。

やはり口で話す言葉、意味を持ち、単語同士を繋げ文を構成する、それは「人によって作られた」ものである。その人々が生み出した言語には、当然その時代、土地の特徴、文化、生活、全てが反映される。どこの国かは忘れてしまったが、言語系の授業にて、北欧では氷や海に関する単語が多いと聞いた。また日本では古くから伝わる文化により、その様々な現象、感情を表す単語として数多くの語が生み出されてきた。英語圏と呼ばれる土地に暮らす人々、その他アジア圏やヨーロッパ、アフリカでも同様に、言語に人と国の全てが詰まっているだろうと考えられる。

これは個人の性格や心理もあるのだろうとは思うが、自国とは違った文化、特徴を持つ国の言語であればあるほどに、この「二重人格」のような現象はより現れるのではないだろうかと考えられる。

これについてより調べてみると、色々と結果が出てきた。どうやら研究によって、「言語によって性格が変わる」というのは真実らしい。

ちなみに前述した言語系の授業にて、クラスメイトも似たように「性格が変わるようだ」と言っていた。そして英語と日本語どちらが自分に合うか?といった質問に、「英語かな」と答えたのは私だけだった。やっぱり変わった奴なのは間違いないようだが、背伸びしすぎるのもいけない。

それでも、言語はそれほどまでに人を変える。

そういった点で、新しい自分、隠れていた自分を見出すきっかけとなった英語との触れ合いに、何となく感謝している。


ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

<References>



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