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ワーパパとソクラテスの弁明

こんにちは。
3人娘を育てている、ベンチャー企業のCTOです。


ソクラテスの弁明

ソクラテスの弁明は、ソクラテスの弟子であるプラトンの著作です。
ソクラテス自身は、ブッダ、イエス、孔子と同じく著作を残しませんでした。

今回も、100分de名著シリーズの解説書を読みました。
こちらは、本文の解説だけではなく、時代背景や、哲学に関する学生の議論が含まれています。

ソクラテスの弁明はページ数が比較的少ないため、哲学の入門として推奨されているようです。

こちらはソクラテスの弁明の全編です。
翻訳にもいくつかあり、岩波文庫や光文社のものが一般的な気がしますが、こちらは99円と非常に安価で手を出しやすかったです。

ソクラテスの弁明は、ソクラテスを排斥しようとした人々によって公訴された際のやりとりの記録です。
その公訴の結果、ソクラテスは死刑判決となります。
それに対し、「ソクラテスは正しかった」という意見としてプラトンが書き残したものだそうです。

文体としては、ソクラテスが一人語りをしているもので、自己の正しさを主張する内容が記載されています。
背景説明なしに冒頭から弁明が始まるため、事前知識としての歴史背景を把握しておくと読みやすいように感じます。

今回、話の流れはさておき、哲学としてのポイントである「不知の自覚(無知の知)」と「魂の配慮」について記載します。

不知の自覚

ソクラテスの友人が、あるとき予言の神アポロンを祀るデルフォイの神殿にて、「ソクラテスより知恵のあるものがいるか」と尋ねると、巫女から「彼より知恵のあるものは誰もいない」という答えを得ました。

これを聞いたソクラテスは、そんなはずはないと思い、自分より知恵のある人を探すために、知者とされている人々に会いに行きます。
そこで知者とされている人々と対話をしてみると、その本人は知恵を持っていると思い込んでいるが、実際にはそうだと思えなかったそうです。

彼らに「正義とは?」「美とは?」といった問答をしかけると自信満々に回答するが、その回答に対して矛盾するような事例を挙げると、彼らは答えられなくなります。

ソクラテスは、彼らが何か知っていると思いこんでいることに対し、ソクラテスは「自分は知らないということを理解している」ということに気が付きます。

かれは知らないくせに何か知っていると思っているのに対して、私のほうは、実際、知らないとおりそのままに、知っていると思ってもいないからです。

ソクラテスの弁明

その分だけ、自分のほうが知恵があることだとソクラテスは納得します。

魂の配慮

ソクラテスは、「神を信じない」「若者を惑わせた」といった訴状で公訴されました。
しかし、知者とされている人々に対して問答をしかけ、その結果、彼らに恥をかかせたことがこの公訴の原因だったと考えます。

ソクラテスがその行動をやめれば、審判の結果として死刑にはならず、命は助かるかもしれません。
しかし、ソクラテスは以下のように発言します。

アテナイ人諸君、私は皆さんに親しみと愛情を抱くものではありますが、皆さんよりもむしろ神に従うことでしょう。
そして私が息をし、そうし続けることができる限り、私は哲学し、皆さんに訴えかけ、皆さんのうちのだれに会おうと、そのつど常々私が口にしていることを言って自分の考えを明何することをけっしてやめないでしょう。

ソクラテスの弁明

ソクラテスは、人々と対話して互いの考えを吟味することは、アポロン神から命じられた使命だと考えています。
そして、生きている限りはその行為をやめることはないといいます。

そして以下のように続けます。

きみは知恵と力にかけては最大にして最もほまれある国、アテナイの国民でありながら、どうすればできるだけ多くの金が自分のものになるか、金のことを気にかけていて恥ずかしくはないのか。
名声と名誉については気にかけながら、思慮と真実について、また魂について、どのようにすれば最も優れたものとなるかをきにかけることもなければ、思案することもないとは。

ソクラテスの弁明

魂を優れたものにということを考えないのかと、その場にいるアテナイ市民を批判します。

ソクラテスは、お金を稼ぐこと自体を批判しているわけではありません。
大事なものの優先度があると言っています。

財産から徳が生じるのではなく、徳にもとづいてこそ財産およびそれ以外のものの一切が、人間にとって、私的な意味でも公的な意味でも善いものとなるのだ。

ソクラテスの弁明

魂が優れており、徳を持つことが、すべての善いものの源泉であるといいます。

ワーパパとソクラテスの弁明

不知の自覚(無知の知)は、ネガティブケイパビリティに通ずる考え方かもしれないと思いました。

VUCAの時代には、わからないことに直面することが多いように感じます。
単純に知識不足だったり、経験不足だったりすることにより、わからないとこと対面します。
それは自分自身だけでなく、一緒に働く仲間も対面することです。
その状況において、知ったかぶりをするのではなく、わからないことを許容してから先に進むことが大切なことのように思えます。

魂の配慮については、例えば不正をしないということが、これに当たるかと思います。
仕事をする中で、何かの欲望に負けて「やってはいけないこと」をしないためには、魂と向き合う必要があるのかもしれません。

現代の日本では、ソクラテスのように、死と魂の配慮を天秤にかけるケースは多くないとは思いますが、非常に強い権力と信念がコンフリクトするケースを見ることがあります。
最近では、メディアに対する強い影響力を持つ人が児童虐待をしていたという告発に対して、インフルエンサーがどのような発言をするのか、メディアがどのように報道するのか、といったことに注目があつまっています。

インフルエンサーやテレビタレントの方々は、影響力を持つ人・組織によって自分の活動や生活が影響を受ける可能性と向き合いながら、活動をしているのだと思います。
その中で、自分の信念とコンフリクトするものと向き合う中で、魂の配慮を考えることになるのだと思います。

子育てをしている中で、どこかで何かのコンフリクトに対面することがあると思います。
それが、魂の配慮を求められる場面なのかなと思います。

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