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「人の居場所なんてね、誰かの胸の中にしかないのよ」

転勤してきて以来、実家のある東京や慣れ親しんだ大阪にちょくちょく帰っています。
こんなご時世なので帰ったところでなかなか友人にも会えないわけですが、もうただただ、都会をチャージしたくて。
自分で言うのもアレだけど根っからの都会っ子なので、本当に本当にいまの生活がつらいんです……
引っ越しの多い人生だったから転勤なんてモーマンタイ!と思ってたけど、考えてみたら基本、大都市から大都市への引っ越ししかしたことなかった。地方都市なめてた。車がないと生活がままならない土地があることを、知ってはいたけど我が身に置き換えて考えたことがなかった。(こちとら生粋のペーパードライバー)
そりゃあここには満員電車はないし、豊かな自然もあるし、スーパーの野菜や魚が安くて美味しい。良いところがたくさんあるのは分かってる。
でもやっぱりしんどい。

不便なことを挙げたらキリがないけど、いちばんキツいのは「人がいない」こと。
歩いてる人があまりにも少なくて(そもそも人口少ない+みんな車だから歩行者ぜんぜんいない)、どこにいても監視されてるような気持ちになる。

なので都会に出たら、とにかく街をウロウロしています。
いろんな年代のいろんな人がいろんなファッションで行き交っている感じ、その中にまぎれて誰も自分に注目してない感じ、取りに行かなくても勝手にいろんな情報が飛び込んでくる感じ、を味わいたい。雑踏の中をぷかぷかと漂いたい。友人たちには会えないとしても、今夜のごはんをどうするか一人で延々悩みたい。無限に選択肢があることの幸せ。

そんなわけで帰省中はずっとめちゃくちゃ楽しいんだけど、都会からの帰路、いま住んでる駅に列車が近づいていくと
もう気持ちがズーーーーーン…と地底にめり込んでいくんですよね。
あー戻ってきてしまった…また日常が始まる…という現実を突きつけられて、死ぬほど落ち込む。このしんどさが尋常じゃなくて、これならいっそ帰らないほうが良かったんじゃないかと思うくらい。
なんだろう、よくクスリ中毒の人が「クスリが抜けていくときがいちばん辛い」って言うじゃないですか、ああいう感じ(知らんけど)。で、しんどさに耐えられなくてまた帰っちゃう。もはや帰省ドーピング。

ここからが本題なんですが(前置き長い)

先日関西出身のBさんとデートしたとき、週末大阪に帰ると言ったら
「551に飢えてるから買ってきてや!」
とのリクエストを受けまして。
いやほんと551って最高ですよね。大阪のターミナル駅や空港どこでも買える、店員さんが親切、確実にうまい。
チルドの豚まんとシュウマイが入った保冷バッグを手に、まさに「551があるときー!!」状態で大阪を発ったとき
いままでで初めて、
ほんのちょっとだけ、
戻るのが楽しみだと思えたんです。
戻ったらBさんとビール飲んで豚まん食べるんだー!いい予定あるやん!と。
それまでにも551を買って帰ったことはあったけど、そのとき帰ってBさんと食べた豚まんはなんともいえず美味しかった。

ここにも書いたとおり、私Bさんとは堅実なセフレ関係を続けていきたいと思っているのでw決して恋人というわけではないんですが、それでも。
戻ったら誰かに会える、待ってくれてる人がいる、ってものすごい救いになるんだな…と切実に思ったのでした。Bさんが待ってるのが私じゃなくて551(とエッチ)だけだとしてもだ!!!

考えてみたら、Bさんの存在も私にとっては一種のドーピングなのかも。
なんとかこの場所で生き抜いていくために必要なもの。
いまは帰省とかアプリとかセフレとか、いろんなドーピングに助けられながら生活してるけど
いつかは自分が「帰るべき」人に出会えたらいいな、やっぱり。

タイトルは、江國香織さんの小説『冷静と情熱のあいだ Rosso』の中の台詞。
高校生のときから何度となく読み返していて、その中でもひときわ好きなフレーズです。
イタリアを舞台にした美しい小説なんですが、画像を豚まんにしちゃって何か申し訳ないw でも551は正義!

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