なぜ有料記事にしているのか

時刻は、23時30分。
いつもなら寝ている時間だ。
今日は、言葉があふれ出てくるので書き留めておこう。

私は、noteの記事を投げ銭方式で有料にしている。
なぜ、私が有料にしているのか、今日はそれについて触れていきたい。

深い意味なんてない

こんなこというと語弊があるかもしれないが、有料にしていることに、実はあまり意味を持っていない。

ただ、お金が欲しいのだ。

お金が欲しいは卑しい?

日本では、「お金が欲しい」と、言うとネガティブに感じられることが多い。
でも、お金は便利だし、欲しいものが買えるという事実は変えようがない。だれしも、欲しいはずだ。

このネガティブな価値観。
いったいどこで学習したのだろう。

家庭?
学校?
社会?

欲望というと、荒々しい感じがするが、心にある思いを閉じ込めることは、自分らしく生きていると言えるのだろうか。

お金だけが幸せじゃない。
まったくその通りだ。

でも、要らないわけじゃない。いるのに、要らないと言う必要はないのだ。

根底にある思い

私だけかもしれないが、心の奥底に「私なんて」という思いがある。
私なんて、お金を持っちゃいけない。
私なんて、お金を持って幸せになっちゃいけないんだ。

どうしてそこまで自分を下げるのか、自分でも分からない。

ただ、それは、誰かから埋め込まれた思い込みであり、純粋に「お金が欲しい」と願ってもいいのだ。

『レミーのおいしいレストラン』で学ぶこと

お金の話から離れてしまうが、映画『レミーのおいしいレストラン』で、好きなセリフがある。

❝誰もが偉大な芸術家になるわけではないが、誰が偉大な芸術家になってもおかしくない❞

この言葉を読むと、「私なんて」なんて言っている場合じゃない。
自分の可能性を自分でつぶすんて、ナンセンス極まりない。

レミーの話では、将来の夢の話をしているが、すべてのことに当てはまるだろう。

自分の可能性は、まわりが決めるものではなく、自分で決めるものだ。
未来は、自分で切り開くとは、こういうことをいうのではないだろうか。

話を、有料記事に戻すが、私が記事を有料にしているのは、自分の可能性を「無い」と決めつけたくないからだ。
そして、純粋にお金があったらいいなと思う気持ちを大切にしたいのだ。

実際、投げ銭が入ってこなくても、気にはしないのだが、いわゆる自分への戒めのため、有料にしているという話だ。

小さなことでも、当たり前を疑う。
そうして、生きることが楽になることがある。
それが、伝わればいいなと思うばかりだ。

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