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死ぬ瞬間 より

もし、患者が、慣れ親しんだ最愛の家で最期を迎えられるならば、患者のために特別なことをあれこれ考える必要はない。家族は彼のことをよく知っているから、鎮静剤の代わりに好きなワインを一杯与えるだろう。
自家製スープの香りが食欲をそそり、二匙、三匙は喉を通るかもしれない。このほうが点滴よりずっとうれしいのではないだろうか。

患者は、病気が重くなると、しばしば意見を言う権利のない人間のように扱われる。入院するかどうか、入院するなら、いつ、どの病院にするか、それを決めるのは当人でないことが多い。だが、病人には感情があり、願望や意見がある。そして、これがもっとも大事なことだが、話を聞いてもらう権利がある。

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この言葉を聞いたのは、確か、大学二年生のときに履修した「人間学」という授業だったと思う。現役のホスピス(末期ガンや、治療困難とされた治る見込みの無い患者が、死を待つ家として暮らす施設)に務める医師が教壇に立って、週に一回授業をしていた。(ここではY先生と記す)
もともとホスピスの現場には居なかったY先生が、どのような経緯で、患者の死と向き合うのか、そして、当時の医療の現場で合理化を進めた先に起こった出来事を話してくれた。

学食でお昼を食べた後の授業だったと思う。日が射して、ブラインドの縞模様が先生の顔にくっきりと掛かっていて顔がよく見えなかった。
うろ覚えではあるが、日本の南極調査をするための派遣団員の一員として数ヶ月に及ぶ船旅の船上に同行する医師として働いた時期があったという。当時の医療のあり方に疑問を持った(患者のための医療というよりは、病院側の都合に合わせた医療)Y先生は、船に乗り込む際に大量の本を持ち込んだ。南極調査の同行といっても、実際病気にかかる調査員はほとんどおらず、大抵団員の健康状態を診ては、それ以外を本を読む時間に費やした。
何しろ時間はたっぷりある。

その大量の書物の中に、この本があった。そしてこの、一文を読んだとき進むべき道が見えたという。

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 :「わたしが死ぬときは、このクッキーを食べたいと思います。味の保証はありませんが笑」**

当時、若いY先生は、本の著者に直接会いに行き、そこで振舞われた手作りのクッキーをこっそりと上着のポケットに忍ばせて日本に戻る。
それは今もY先生の自宅の冷凍庫に保管され、先生は死ぬ間際にそれを齧りたいと言った。
この大学で先生の授業をとれたことは幸運だったと思う。

そして自分がどのような最期を迎えたいか、愛する人や家族の死の過程を受け止め、過ごすのかを問いながら、いま現在に至る。

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