ピアノ

ピアノ、クラリネット。「子どもの頃から好きだったこと」を大人になってからもう一度

はじめての習いごと

4歳のときに、ピアノを始めた。母いわく、わたしが自ら「ピアノを弾きたい」と駄々をこねたらしい。どうやってピアノに出会って、どんな気持ちでピアノをやりたいと母の袖を引っ張ったのか、いまとなってはよく覚えていないけれど、ピアノはわたしのはじめての習いごとだった。


父は、どうせ音楽を習わせるなら子どものうちから始めた方がいいと考え、アップライトのピアノを買ってくれた。のちのちまで、相当思い切った投資であったと言われたが、いまわたしが、自分のためでさえピアノを1台買えるかと考えると、簡単にはふんぎれない買い物だ。当時がバブル期だったとしても、本当にありがたいことだと思う。おかげでわたしは、いま、ピアノを弾くことができるのだから。

「将来の夢はピアニスト」だった

小学校時代、わたしは順調にピアノを楽しみ、将来の夢は「ピアニスト」と素直に卒業アルバムに書けるほどに、まっすぐピアノの道を歩んでいた。ピアノの練習をするのがとても好きだった。同じ曲を何度も繰り返すと指が曲を覚えていく感覚が楽しくて、生ピアノを弾くことを許された夜の8時まで、時間があればあるほどうれしかった。

クラリネットとの出会い

中学生になって、得意分野といえば音楽しかなかったわたしは、吹奏楽部に入った。初めて見学にいったとき、黒い管体と銀色のキーが美しいクラリネットという楽器に一目惚れして、絶対あの楽器をやりたい!と飛びついた。ピアノのおかげで、他の子たちより楽譜に多少強く、音感が身についていたこともあって、希望人数が多いクラリネットパートを見事に射止め、クラリネット吹きになることができた。

中学校時代は吹奏楽部で音楽漬けの日々を送り、クラリネットにも夢中だったが、変わらずピアノも続けていたわたしは、高校受験を考えるとき、迷わず音楽を勉強できる高校に行きたいと思った。わたしはわりと習いごとの多い子どもだったが、親に「やりなさい」と言われたことは一度もなく、すべて自分から「これやりたい」と志願し、その望みを叶えてもらえるという恵まれた環境だったこともあり、自分が音楽高校に行きたいと言えば、その希望は通るものと思っていた。

あなたにそこまで才能があるとは思えない

しかし、母は反対した。母は「うちはあなたを音楽家に育てるほどお金持ちじゃない」という、わたし向けの反対の理由を述べた。本当は「高校生なんて早いうちから専門生の高い分野を選ぶと、いざ、道を変えたいと思っても潰しがきかない」という親としてのもっともな心配がその反対の理由だったのだと思う。母は「音楽家として大成するほどあなたに才能があるとは思えない」とハッキリ言った。

音楽家になるには、音大の先生にマンツーマンで教えてもらうような受験勉強が必要で、我が家はそこまで娘に投資するお金がなく、わたしにはそこまでの才能がないのだということを、理路整然と客観的に言われて、わたしはショックをうけながらも「そ、そうだったのか」と納得してしまった。

音楽から離れた時代

わたしは普通高校を受験し、高校時代はピアノは続けつつも、音楽以外の道で自分の将来を模索しようとした。湘南育ちだったのでボディボードをしたり、海の家でアルバイトをしたり、水商売をやってみたり、洋服作りをしたり、小説を書いてみたり、いろんなことに手を出した。もちろん、音楽高校に行かずに普通高校で経験したことも、私の財産だと思っている。

コンサートピアニストとして生きていくという道を目指すのはあきらめた。けれど、別の職業に就きつつも、ピアノのあるバーやレストランで弾く人のアルバイトをすることはできないかしらと思っていた。そのためには、ジャズピアノの方がニーズがあるんじゃないかと、ジャズピアノを教えてくれる先生のところに通い始めた。しかし、残念ながらその先生とまったく気が合わず、途中で挫折。

ピアノが弾けなくなった衝撃

そこからしばらく、ピアノから離れてしまった。大学時代も家にいる時間はピアノを弾いていたが、やっぱり「誰かに聞いてもらう」場があることは重要なモチベーションだったようで、1年間海外留学したこともあって、毎日ピアノを弾く習慣を失くしてしまった。

日本に帰ってきて、久々にピアノを弾いたとき、わたしは自分の腕前にショックを受けた。こんなにも、弾けなくなっている!!


私に自信を与えてくれるものであったはずのピアノが、いまや弾くたびに自信を失くすものに変わっていた。わたしはこんなに弾けなくなったんだと感じるのが辛くなって、わたしはピアノを弾かなくなった。

恋人との別れで気づいたこと

そこから15年後、大学時代から一緒に暮らしてきたパートナーから、突然別れを告げられた。14年の付き合いを経て、12年間一緒に暮らしてきた相手だっただけに、結婚はしていなかったとはいえ、離婚に匹敵する大事件だった。その時に彼がポロッともらした言葉がある。

「お前がもっと自分の好きなことをやっていれば、もう少し違ったかもしれないけどな」

そのひとことが、耳に残ってた。

当時わたしが常に意識していたことは、好きな人と一緒に生きていられるということの幸せを「失ってから気づいた」ということにならないようにしたい。相手にしてもらいたいことを求めて不満にフォーカスするのではなく、ふたりがハッピーに暮らしていくために、わたしにできることはなんだろう?というそっちの視点を忘れないこと。

なのに「わたしは、好きなことをしていなかったのだろうか?」

子どもの頃から好きだったを取り戻したい

あらためて、わたしって、なにが好きだった? ということを振り返ってみた。小学生の頃のピアノ、中学生の頃のピアノ、高校時代の服づくり、大学時代のフランス語。それぞれの時代に大好きだったことで、いまもわたしが継続していることはなに? 

そういえば、なにもない。

ぜーんぶ失ってしまっていることに気づいた。別れた恋人からの「わたしは好きなことをしていない」という指摘はかなり大切なことに気づかせてくれた。いま、わたしはとても自由な立場になったんだし、自分のことだけ考えて、子どもの頃から好きだったことぜーんぶ、取り戻してみたい。無性に、そう思って、ブランクの空いてしまった楽器の楽しみを復活させることに。

音楽活動復活への道

仕事をしながら、夜に家に帰ってきた時間でも弾けるように電子ピアノを買い、ジャズの先生にピアノを習い始めた。ローンでクラリネットを買い、吹奏楽団に入った。ついでにアルトサックスまではじめた。そこから5-6年のちには、吹奏楽団、ビッグバンド、オーケストラを複数掛け持ちして活動するようになった。

そんなある日、仕事を通してある人に出会った。本業は別にもちつつもピアノを弾いたり作曲をしたりする人だった。演奏会があるからぜひどうぞと誘われて見にいった。わたしは楽しそうにピアノを弾くその人の姿に、自分でも驚くほど激しく嫉妬した。音大で訓練をうけてピアニストになったわけでもなく、わたしのように子どもの頃からピアノを弾いてきたわけでもなく、始めたのは中学時代で、しかも独学でピアノに親しんでいた。なのにどう考えてもわたしよりずっとずっと上手。職業も音楽以外の仕事をしているのに、演奏会ですばらしいピアノを披露して観客を楽しませている。私の欲しかったものが、ここにある。

音楽を人生に取り入れる

プロのピアニストやミュージシャンとして食べていく道とは別に、職業をもちながらも本気で音楽を楽しんでいく道を模索したいと思うようになった。子どもの頃から好きだったことを諦めて別の業種を仕事にする人は多いし、私はいまの仕事も好きだけど(本業は編集者)、音楽もきちんと人生に取り入れていきたい。目標を持ってピアノを練習していく日々を取り戻したい。そう思っていたら、独学のピアノを披露してくれたその人が、自分がホールとピアノを借りて観客になるから、僕のためのピアノコンサートを開いてよと、ユニークな提案をくれた。わたしはいま「ひとりのためのコンサート」を目指して、練習している。

わたしのように、途中で諦めてしまったことをもう一度楽しみたい、ブランクはあるけど再開したいという人、けっこういるのかもしれない。子どもの頃の自分をつくっていた「好きなこと」を、アマチュアでコツコツと続けている人や、大人になってからもう一度始める人たち。わたしも一緒に走りながら励ましあっていけたらいいな。そんな願いを込めて、noteを始めることにした。

練習の様子を少しずつ、動画やテキストで発信していこうと思います。応援してくれる人がひとりでもいたら、十分に幸せです。

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