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スタバの記憶とフラッペより甘い親友のはなし

心身がふらふらのとき、かならずといっていいほど、ひとりでスタバによる。
(ただし、人からいただいたギフトがある時に限る!プレゼントで屠るものほどおいしいものはないから…笑)

店員さんは忙しない中でもやさしい笑顔で、丁寧にこれおいしいんです、て教えてくれて、涙がでそうになった。かわいくて素敵なお姉さん。

そうだった、無職になる前にも、繁忙期の忙しさで疲弊した帰り道、近所のスタバにふらりと入った。あったかいラテを抱きしめるように握った時の満ち足りた気持ち、今でも思い出す。

それから、手を壊して療養の身となって、夏だったかのんびり作業していたときは、隣にいた小さな子と仲良くなって遊んだり、

大切な芝居仲間とけんかして、落ち込んでいた本番直前の日も暗くなるまでスタバで過ごした。

その時しょんぼりしつつも書いたエッセイ、懐かし笑


コナンの服を着てスタバに行ったら、わたしもキッド好きです、て店員さんが声かけてくださって思わずにっこりしてしまった時もあった。

いつのまにか、推しに影響され大好きになったスタバとの思い出が、色々と増えていくの、嬉しい。


気晴らしにスタバに一人で行くことを、親友はえらいね、と言う。

精神が疲弊している時にひきこもらず図書館やカフェに一人でささっと行けること、行動力を褒めてくれた。

自分にとっては日課だったことをえらいと言ってもらえて、ふと考える。ここ数年で、どこにも行けないまま、ただただ悩むことに、おそらく私は飽きたのだと思う。そのような意味合いの言葉を伝えたら、

えらい😭がんばってるほんとにさくら

そう言ってくれたきみのやさしさを、わたしはずっと覚えてるよ。スタバのストロベリーフラペチーノ以上に甘々の言葉に生かされていると思う、本当にね(?)

どうせ悩むことに変わりがないなら、手を動かして、事実としてやったことを増やしておきたい。わたしというにんげんは、この寂しさや苦しみをどう足掻いても、もてあますことに違いないからこそ、開き直ったというべきか。

もっと楽に考えなよ〜などと言う人もきっといるけれど、痛かったり悲しかったり、わたしのそこにある真実はわたしのものだから、否定せずもっていこうと思う。抱えられる範囲で、それが大切な感情だと思えるなら。

相変わらず、助けて、というのはそんなに上手じゃない。言えないまま、いいや、と思ってしまうこともあるし、反対に甘えすぎたなってことだってある。

でも、誰かの手元に灯りが必要な時、ペンライトくらいのささやかなものであっても、その掌を照らせたらいいなと思う。
親友がいつもわたしのそばで、さりげなく気づいたら蝋燭を灯してくれているように。その灯火を、大切なあなたにも繋げられたらと、そう思う。

スタバからでて、ぐいっと見上げる空に三日月がぷかぷか浮かんでいた。どこまでも一緒についてきてくれる君を、みつめながら家路に着く。

明日訪れる朝日が、わたしにも、あなたにも変わらずにやさしく降り注ぐことを願いながら。


わたしのことばをたどってここまできてくれたあなたに、感謝をこめて。

ちなみにこれははじめて書いたスタバ日記。一年前らしい!


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