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小さくて、ものすごく幸せな贅沢

誕生日に、大学時代のサークルの先輩がスタバのギフト券をくださった。

私は普段はケチケチして、一人だとカフェに行かないのだけども、大事にとっておいたギフト券の期限が近づいてきた、暑いとある昼下がり。甘くて冷たい飲み物が、今、無性にほしい‼︎と思った。
へろへろになった通院の帰り道、ついに、、久々に優雅にスタバにいこう!とわくわく向かった。

おいしいフードにかぶりついて満足したあとは、推しがカフェでやっているらしいルーティンをまねて手帳を開く。携帯でメモもとったり。note全然書けない、とうんうんスタバで頭を悩ます。
今月はこれもやりたいな、でも体に負担のないスケジュールでこっちをまずは優先して…とあれこれ考えて、それから、あ、今不意にポエム書きたい、いまだ!かける!と文字を走らせる。ネタ帳もぱっと開いて、浮かんだ言葉を書き留めたり、何かアイデアが拾えないか読み返したり。
へたくそだろうと何だろうと、私って、書くのが、言葉が好きなんだなぁと、光差し込む窓の外を眺めながら、きゅうと噛み締めていた。

家で机に向かうのとは違う、お城で過ごすようなリッチ感を瞬間味わう。一人でにやけそうになる。(ちょっとやばいやつになっちゃうからマスク越しでこっそり口元を緩めた。)
就寝前に枕元で思いを巡らせたり、秘密基地のようにこっそり明かりを灯した深夜、机に向かい言葉を綴ったり詩などの作品に触れるのだってすごく好きだけど、それとは違う、ゆんわり穏やかな空の下流れるぽかぽかした時間。

なんだこの充実感。自分のためにだけ、甘いものを食べて飲んで、涼しい空間で休み、かつ書き物もする、ザ・大人ならではの(?)粋な休憩、息抜きの方法。外が明るいからか、ぱあっと胸も華やぐような、冒険に向かう少年のようなどきどきわくわく感。
最高じゃねーか!と叫びたい、嬉しすぎてスタバの中を駆け回りたい、うずうずした気持ち!(心は俄然子どものまんまだ、それは異論なく認める。)

幸せてこんなにうっかりするほど近くにあるのか。今日は私にしてはかなり贅沢な注文だったけど、飲み物だけならたったワンコインくらいでも、このスペシャルハッピータイムを満喫できるのだ。すごい。カフェてすごい。本当にささやかなのだけど、一人でこんなに楽しめるなんて最高の贅沢だ。高揚してしまう。

小さいけれど、目に見えない幸せは周りに溢れているのだろう、と思いつつ、忙しなかったり焦燥感のある日常で、つい、忘れてしまう。見逃してしまう。
だからたまには立ち止まって、目に見える贅沢をしてごらん。自分にやさしく甘く、労ってみよう。何かしたからとかじゃなくって、特別なことなんてなくても気軽にふらっと寄っていい。もう、この暑い中生きてるだけでみんなえらいのである。

行きつけの病院で、人間社会は甘くないですよねぇてリハビリの先生が言っててひいい苦労してらっしゃるのかしら、て思ったのだけど、だったら自分自身に自分が甘くありたいな、て。子どもじみた考えかもしれないけど、私はぼんやりとそう思っている。

やさしい時間を過ごしていれば、それがいつか誰かへのやさしさに、還元できるんじゃないか、と祈りのように確信はなくとも考える。

夏の穏やかな午後を、自分で紡いでみる。
ほんのひとときでも、毎日安らぎを私に与えてみる。仲良く 無理なく、自分と過ごす。ちょっとした居場所や、深呼吸の時間をつくって、やわらかく、ほがらかに、ひだまりみたいにふわっと微笑みながら、大切な誰かに、何かに明るく温かく触れられたならばと。そうやって生きていけたら、最高に贅沢で幸せな日々なんじゃないかと思う。

追伸
スタバさんへ

ずっとううて煮詰まっていた脚本を、また新たに書き始められた。ありがとう!感謝!最高!
また、贅沢をどっぷり味わいたくなった時、のんびり過ごしながら作業したくなった時、会いにいきます。
待っててね、 充実した時間をありがとう。

サポートいただけると、大変今後の創作の励みになります。私がはちゃめちゃ泣きそうなほど喜びます。いただいたお金は表現活動費(ポエム朗読イベント参加費だったり、舞台を企画する際の制作費用だったり)や生きるための力(カフェでまったり執筆する)にしますので、何卒。