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不純度高めの愛で。

行きつけの珈琲店を出て角を曲がろうとした時、思わず目を奪われた。
”目を奪われた”って表現は、本来なら一目惚れをするときに使うのだろうけど、残念ながら恋ではない。


「うわ、これが愛情ってやつか。」


それは、人目を気にせず道端でキスしたり尻を揉んだりするような、一定の人間から疎まれるような行為でもなければ、池袋で声をかけてくるサラリーマン達のような下心が見え見えの笑顔でもなかった。
その人が愛しくて愛しくて仕方がない、そんな愛情に満ちた優しい眼差しを見た。


女性は携帯を見ながら何かを話していて、恋人と思しき男性は携帯に目もくれず女性をものすごく愛しい優しい目で見つめていたのだ。

他人に対してあんなにも愛おしそうな顔をできるのか、人間は。

きっとその女性が好きで好きでたまらないのだと思う。
通りすがりのライターに見られてますよ、お兄さん。愛情、ダダ漏れです。


最近呪術廻戦の映画を見たばかりなので是非この言葉を使わせて欲しいのだけれど、あれこそが”純愛”だと思う。


もちろん彼らのことを私はこれっぽっちも知らないし、もしかしたらついさっきまで喧嘩をしていたかもしれない。
だけど、少なくともあの眼差しには100%の愛情が込められていた。


思わず足を止めそうになった。羨望と後悔、私の心は色々な感情で混乱していた。


私は当時、お付き合いしている彼氏のためならどんなに辛いことだってできると思っていたし、自分の全てを捧げたいと思っていた。
誰よりも彼を愛してると思ってた。
でもあれはきっと純愛じゃなかった。


私の愛情の中には、「寂しさを埋めてほしい」「自分の存在を認めて欲しい」「私のことを誰よりも愛してほしい」みたいな不純物がいつも含まれていた。もちろんそれが全てではないし、普段は口に出さなかったけれど、切羽詰まった時に不純物が浮き上がってくる。


私のそれは愛ではなく、愚かで一方的な恋だった。
相手の何気ない言葉や行動の一つ一つに頭の中を占領されては自信をなくし、勝手な解釈で相手を苦しめる、自己中極まりない恋だった。
ごめんね元彼。


でもさ、誰かを愛するなんてさ、自分の寂しさを誤魔化しているだけなんじゃないの?
私が好きになる人は大体、私の空っぽな部分を埋めてくれる人たちだった。
一個前の彼氏に関しては完全に顔から入ったけど。


だって寂しさってさ、誤魔化していかないと生きていけないじゃない。
生まれ落ちた以上孤独からは逃げられないわけで。死ぬときは一人なわけだし。
おてて繋いで一緒に死のう!なんてできないですし。
違うのかな、みんな100%の愛情でお付き合いしてるの?
自分、損得でしか物事考えられない人みたいで嫌だな。こんな女嫌だわ私が男なら。


ひねくれ過ぎてますかね。自覚してます。


私も街角で出会ったあの男性のように、純度高めの愛情を誰かに向けられる日が来るのだろうか。
きっと今の私のままではそんな恋愛はできない。
きっとまた彼氏の前でいい子を演じて、辛くなって、かぶっていた猫が逃げて振られる、そんな感じだろうな。


可愛げ、欲しいな。


不純度高めの愛ではいけませんか。
たくさん不純物が含まれているかもしれないけれど、私なりに愛してます。



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