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不確定ばかりの世の中、大切なのは解釈だけだ。

「人には人の地獄がある」
とあるテレビ番組で宇垣美里アナウンサーが仰っていた言葉です。
誰もが見惚れる美貌の持ち主が放った言葉なだけに、世の中がざわついたのを覚えています。
私の2022年は、彼女のこの言葉を痛いくらい実感させられる一年でした。


私が苦しんでいたのは「摂食障害・OD癖・愛着障害」主にこの3つだったように思います。
「デブは甘えだ」なんていう常套句と一緒になんかしてほしくないほど、苦しかった。


食べ物を口にすると、その満たされた食欲を覆してしまうほどの罪悪感に駆られて全て吐いてしまいます。こんなことを言ったら母親に怒られてしまいそうですが、生きている価値のない私なんかが、生きようとする行為をしてごめんなさい、といった懺悔の気持ちで吐くのです。
そんなことを繰り返していくうちに、3年前から吐くことはある種の義務感へと変わってしまいました。


苦しくて消えてしまいたい時、睡眠薬や風邪薬を規定量以上摂取することで私は泣いていました。記憶がある状態を振り返ると、私はいつもお母さんにごめんなさいってLINEしてた。そしてお父さんに会いたいって泣き崩れていました。自分の殻を薬を利用して破らないと、私は自分の気持ちすらわからないんです。
でもこれは、大事な人に本気で怒られて9月くらいにキッパリ辞められました。
人生単位での大進歩でした、ありがとうね。


最後の愛着障害について。
これは、虐待や何らかの理由で養育者との愛着が形成されなかった場合に、情緒や対人関係に問題が生じるものなのですが、私の場合親と10年間まともに過ごせなかった上にしっかり虐待されていたので、そりゃ少しは人間性に問題生じるよな、なんて開き直ってすらいました。
「咲ちゃんはそもそも愛されようとしてない」と言われ、
「愛されてこなかった私に愛され方なんてわからない」なんて大泣きした夜もありました。
他人からの愛情に枯渇しているから一丁前に自己愛だけ育ってしまい、その自己愛を超える愛を向けてもらわないと不安になってしまう典型的な”面倒臭い女”だったわけです。



側から見たら、この私の状況やそれをこうして書き綴っていることって”悲劇のヒロインぶっているメンヘラ”に見えていると思うんです。実際「さこさんいつも死にたいんですか」「いっつも病んでるよね」って呆れられること多いし。


でもこんなこと言ってもわかってもらえないだろうけれど、私は自分を苦しめることで、必死に自分を守っていました。逆説的になるけれど、生きていちゃいけない自分が生きていていいと思えるためには、禊のように自分を苦しめる必要があった。価値がない・生きていちゃいけないって思うことで必死に自分を生かしていました。
だからと言ってずっと苦しんでいたい訳でもなくて、ただ私がすすむ一歩は私にとって難易度が高くて時間もかかるものなんだよねって話なのです。


これって私にだけ当てはまるものではないと思うのです。
世の中には自虐的に見えること、馬鹿馬鹿しく見えること、偽善的に見えること、一人の人間の行動がいろんな側面から、その人の主観で見られてしまう。
行動が為されるまでのストーリーなんてものに人は興味がないのです。
でもそれは仕方がないことです。
見るべきは過去ではなく現在のその人だから。
わかっている、わかっているからこそ、苦しい。


だからこそ私は、せめて自分の大好きな人たちが苦しんでいる時は、自分の経験からくる偏見や主観を通してその人にフィルターをかけない人でありたいと思うのです。自分のことすら100%理解できないのに、相手を理解しようなんて烏滸がましいことは言わないけれど、寄り添える人でありたい。


昨年はたくさん死にたいと言ってしまったし、自殺未遂であざだらけになったりベランダから飛び降りようとして物干し竿がひん曲がったりしたことも多々ありましたが、今年は少し希望を持っていきれそうです。私には、「死にたくなったら一緒に一番好きなもの食べに行こう」「今年はたくさん幸せな顔にさせたい」なんて言ってくれて、なんなら先の予定を立てることで「この日私と会うまで死ぬなよ」と釘を刺してくれるお友達がいるので。


去年の正月は『可愛い女の子でいたい』という抱負めいたnoteを書きましたが、今年は”支える人”でありたいです。
自分も、相手も。
解釈ひとつで、どんな日常も彩れるように。

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