記憶の行方S14 椿の花が咲く頃に

2021年も暮れ始めた。人生の大半は、都内で生活をしているにも関わらず、この所、東京という名のついたアトラクションで、遊んでいない。

そろそろ、感染症も終息し始めた頃、遊んでもよいか。と、思い始めて、「PLAY HOUSE」へ遊びに出かけることにした。

思春期男子は、

「なんで!一緒に行かなきゃ行けないんだよ!母さんが行きたいだけだろう!」

(いや、その言い分、おかしいから。了承の上、先週、スマホのチケット分配したから。ここは、大人の対応しなければ、)

「わたしが観たいんだけれど、観てみてよ、主役ばかり出るから」

本当にそう思っていたので、このイベント、子に観て欲しい!と思って抽選に応募したところ、チケットを手に入れ、行けることになった。

東京芸術劇場の「プレイハウス」もあったのだけれど、東京ドームシティで行われた「PLAYHOUSE」に出掛けた。

開演1時間前に自宅を出たというのに、会場手前でトイレに2回、駆け込んだ。子は、お腹が緩い。緊張がすぐにお腹に来てしまう。分かりやすい。

会場入り口付近で、背中越しに、足が止まり、5メートル程気配が遠退いた。振り返ってみたら、しかめっつらをしている。

「悪かったよお。付き添ってくれてありがとう。お母さんが連れて来るのは、最後だよ。」

「ええ?!」

子は、少し目を見開いて、晴れやかな顔をした。自立の時だ。子は、いつも、わたしに気を使っている。

近所の木立ちの葉は落ち葉となり、冬というのに、マフラーを巻いては暑い日和だった。子は去年の誕生日プレゼントのマフラーを今年もよく巻いている。

「暑いよ、今日は。」

マフラーをわたしは子の首から解いて自分のバッグに入れた。

ずっと、わたしは、こどもに付き添って来たと思っていたのだが、わたしは、こどもにずっと、守られ、付き添われていたのだ。

夜を告げるには、明るすぎる。雲一つなく、晴れているのがわかるほど、明るく群青の空だった。

子は17歳になる。

ホールの中は、早朝のように靄が広がっていた。

暗がりで席を探したが見当たらない。スタッフの方に誘導をお願いし、一曲聴き終わり、バルコニー席へたどり着いた。

子は隣で不機嫌な振りをして座っていた。

前のめりになり、よく目を見開いて見ていた瞬間を隣で見ていた。

ホールの中での1日が終わり、外に出てみたら、夜が終わろうとしているようだった。

しかし、わたしたちは、始まりを迎えた。

晴れやかに一つのホールから飛び出した。

「何がいいんだよ。ファンの集いだろ!ファンしか楽しくないじゃん。俺は楽しくない!ドラム推しだろ、心臓に来てやばかったし、何気に歌上手いし、ピアノはシンプル過ぎだよ。AI少女の歌?何それ!AIの感情はどこ?!メロディーいいんだけれど、歌詞入って来ないし!俺は楽しくないよ。けど、……そんな中、唯一、かてぃんさんのピアノはよかったよ。何か、こう、爆発するような音だったよ。何かに苛立って怒ってる感じもした。クラシック?音楽はそれだけじゃないんだよ。そんな感じがしたよ。」

圧倒され、きっと、子は、悔しいのだ、と、子の感想を歩きながら聞いていた。

16歳で何かを決めて、高校を辞めた子は、絵を描き出した。そんなこと今までになく、年に一度ぐらいは、書初め課題の度に、筆の使い方を教えたが、絵筆の使い方は、教えたことがない。高校は、見学に行き、バスケ部の練習風景と校庭の広さと中庭の作りや文化祭が楽しかったため、本人が決め、模試を何度か受けて、受験をパスした。

子は辞める理由はないといった。自分で決めたこと。選んだこと、と言う。

「自主退学届」を出して、帰りの電車の席は空いていた。昼間の太陽の光は、煌々と照り返し、温かい日和だった。

(何が間違っていたのか。)

仕事帰り、運転席の車窓から見えた、楽しそうに談笑する学校帰りを歩く同じ年の頃の子どもたちを見て、何が違う?なぜ、子は楽しめない?車中でよく泣いていた。

自分の尺度を持ち始めた、と言えばいいのだろうか。

誰にも教えられることなく子は、絵を描き始めたのだから、それが自然な表出なのだろう。

何かに折り合いをつけるように、自分の世界を見つめるように、描いているのかもしれない。

親と言えども、こどものことは、わからないものだ。

今年の初めにお年玉でタブレットとペンタブを購入し、描き始め、ネット上に発表し続けていたそうだ。わたしは全く知らず。

ひとまず、表出の手段が絵になったようだ。

モーリスのギターとハナウタが小部屋から聴こえるようになったのは、それから、一年が過ぎた頃だった。朝から散歩に出かけて、ほどよく日焼けし始めた。

「家猫と外猫の背中の筋肉は全然違うね。」

散歩中、外猫を手懐けたらしい。野性味溢れるワイルドキャットの毛はゴツゴツしている。背中の筋肉は、案外硬いがしなやかに伸びる。家猫のお腹は、ぽよぽよ、顔が緩んでいる。縄張り争いで闘わなくてよいから、のんびりしている。

最近、ピングー見返してるよ。

仕事から帰って来たわたしに、見たことをリビングで話し始める。ピアノの前で、歌ったり、バンドサウンドをスキャットで、披露する。ライブは、再現しようのないこと、という。

イメージしたことが、上手く描けず、うーんと、唸り始めて、ネット検索し、いろいろなデッサン教室を見てみる。わたしも調べて提案して見る。

行きたい方向へ行って見る、手にしたいものを手にして見る。

正解も見通しも、正しさを見つけるよりも、何が好きか、何が嫌かを明確にする方が人生は楽しいのではないかと思った。

子が通っていた学校では、

道徳は、教科になっており、公開授業を観に行くと「規律」や「常識」などについて、考える授業が行われていた。道徳は、時代により大事にされることが違ってくる。今、何を捉えたらよいのだろう。

「人の感情は、法律では守られないと思う。」

そんな発言をしていた子、

「それでは、どうしたら、人間の尊厳は守られるのか?」

先生の問いは、続いた。

「わからないです。行動を取り巻く感情と尊厳は同じでしょうか?今の僕にはわかりません。」

それが、当時15歳の子の精一杯の答えなのだと思った。自由はいつも答えのない所にあるものなんだと思う。

描きたいから描いている。

デッサン教室では、まず、面談。鉛筆を削るところから始まったそうだ。

起立性頭痛は、治ったわけではなく、昼過ぎには、安定するため、自宅から通いやすい、夕方のクラスの教室を選んだ。

今日も子はデッサン用の鉛筆と画用紙を持ち、教室へ向かう。

ちゃらりーらりやー♪

とぅーん、トゥトゥトォトゥー♪

必殺・仕事人のテーマソングをスキャットし、デッサン教室に向かう前に、リビングの机の上でナイフで鉛筆を削る。

鉛筆の先を見て、何か閃いたのか、突然、

「コント、視力検査!」

緑のスプーンで、右目を隠し、

「あー、緑ですね。」

近くにあった紺色の濡れたテーブル布巾を持ち、

「んー、これは、黒かなぁ。」

と、おどける。

「黒の中にも陰影があって、光があるんだよ。」

「白にもコントラストがあるんだよ。」

「デッサンは、数学的だよ、コップの高さは何センチか、幅は?、線を数値で表せる。」

デッサン教室の講評があり、面白かったと、ぽつりぽつり、話し始めた。

「みんなマスクして、半分顔隠れてるから、本音が見えるね。」

「一人だけダンチ(段違い)なやつがいるんだよ。ぼくは、まだ、そのレベルには行けてない。」

わたしは、子が削った鉛筆の反り返ったカケラを見て

「鉛筆を削り始めて、3日目の人と何年も描いて来た人。違って当然でしょう。いきなり、ボール持ってバスケの試合に出てゲームで何ピリたたかえる?あなたは、まだ、鉛筆を持ち始めたばかりよ。」

と、言ってみた。

子は、笑っていた。

このところ、毎日、ナイフで鉛筆を削っている。

「何を描くか、俯瞰ではなく、その物に何を吹き込むのか、命を宿すか、そういうことなんだよ。」

付き添いがいらなくなったこどもには、まなざしがあればよいのだと思った。

駅改札で、わたしはこどもの背中を見送った。

「いってらっしゃい。」

今夜は、少し肌寒い。鍋を用意しておくか、と、庭の柚子の木を眺めた。

隣の家の庭には、椿の花が咲き始めた。


その夜、わたしは、父に一通のハガキを送った。


拝啓 父上様

わたしは、いわゆる普通の幸せは得られなかったのかもしれませんが、案外、幸せな日々を送っております。感謝申し上げます。どうぞお元気でお過ごしください。

                敬具

        2021年椿の花が咲く頃に


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