いま、ここ
カフェに本はつきものだ。先日、久しぶりにアレクサンダーテクニックを読み返していた。
理学療法士がアレキサンダー理論をもっと読みやすくまとめてあるものを発見した。舞踊学を学ぶ時に、アレキサンダー理論は一通り、目を通すものです。
私は、バオソルが1番、調整にはしっくり来ますが。
いま、ここ、を生きることが、アレクサンダー理論のテーマかな。
絵を描く少年が、案外身体の使い方にも詳しくて、疲れない描き方を生み出したと、言うので、へぇー、と、興味深く聞いていた。
普段、音楽は、よーし!聴く、と時間を決めて聴いています。対話の時間を大事にしたいからです。
聴くことと同じように、誰かの話しを聞くことが好きです。
テーブル一つ挟んだソーシャルディスタンス。
少年の話は面白い。でも、半分ぐらい内容を忘れている。
「聞いてないですよね!」
ちょっと怒る少年。
聞いているけれど、まあ、眠いこともあります。
今日は、
つい、ほんの数時間前に、
とても、幸せなひとときが訪れた。
今までにないぐらい、多幸感が訪れた。
一瞬、チャイコフスキーが気持ち過ぎて、お昼寝しそうになり、ティンパニーの音で起きた。
外に出ると小雨。
浴衣を着た女性が、ホームで誰かを待っていた。
見知らぬ人ですが、幸せになって欲しいと願ってしまう美しさ。
いつものように、細かいディティールは、おぼろにしか見えてないんですが、
誰かを待つ人の時間は、多幸感に溢れている。
それは、約束が守られるであろう、待ち人の顔だった。待っている相手を信じている人のお顔は、美しいなぁと思う。
そして、それを眺める人にも多幸感は、やってくる。
それは、数時間前に聴いた音楽が影響していたと思う。
角野さん(かてぃんさん)の存在をまだ、知らない人がいるのだろうか。
素晴らしいピアニストが、いま、ここにいるよ。
と、この音の波の和が広がっていけばいいなぁと願った。
愛に溢れた演奏でした。
本当に素晴らしいショパンでした。
そして、チャイコフスキーの苦悩を感じとっていました。
個人的には、何かが消化され、私のトルソーは永遠に届かないところへ行ってしまった。そんな感覚だけ残って、それは、Iくんが記憶の彼方に永遠に存在することなった、ということだと思う。
そうして、ぼんやり椅子に座っていたら、全く知らない方に足先を踏まれ、一気に現実の痛みがやってきた。やれやれ。
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