とある同級生

高校2、3年同じクラスだった、当時クラスの男子の中のドンみたいな存在の男がいまだに全然面白味のないつまらない私のインスタグラムのフォローをしているのが不思議で仕方がない。
同じクラスだった当時よくいじられてはいたが。
なんというか。伝わりづらいんだけどニュアンスとして月曜から夜ふかしのマツコとインタビューを受ける一般人くらいの関係性というか。
別に仲が良かった感じでもなく、いじる、いじられる関係性でまともに話した覚えもない。
それを知っているという事実が気持ち悪いのは自覚しているんだけどその子よくフォローを外すしているイメージがあったし、私と同じくらいの関係性の人間も外していたのを見た事があった。
だからいまだに私のことをフォローしているのがよくわからない。
不思議でしょうがない。
最近の風潮とかあと、会わなくなってどうでも良くなってくると自分とあまり関わりのない人のフォローを外す人が多いイメージだからなんでなんだろうと思う。
外されたら外されたで少しショックだとは思うけど外されてもしっくり来る。なんなら外してもらったほうが少し肩の荷がおりそうな気がする。
私はさほど面白いコンテンツを流さないし、でも好き勝手自分の好きなものを流したいからなんとなくフォローをされているとプレッシャーに感じてしまう。
このプレッシャーというのは、変なものを流さないようにしようとか、ストーリーも投稿も鬱陶しいと感じられちゃうほど出さないようにしようとか静かに、スマートに投稿しないといけない見えない圧?的なもので、フォローを外されることの恐怖心から来ている。
外された方が楽なのに、外される事が怖いという気持ちが矛盾?している。
外されたら一瞬大きなショックが来るけど、もう頑張らなくていいってなるのかもしらん。外されたら少し開き直る。
でも私はこの大きなショックを私は味わいたくない。私はショックになって自分つまらないんだと思いたくないのかもしれない。その人と昔仲良く関わっていた事を思い出して、もうそういう時間をこの人と過ごすことはないのかという寂しい気持ちになりたくないのかもしれない。
過ぎたらどうでも良くなるけどこの一瞬が嫌いなんだ。この一瞬のためだけに私は必死になるのは愚かだとわかりつつもその一瞬が私は嫌なのだ。
話が飛躍し過ぎてしまった。
まわりくどくなってしまったが、「私はただショックになりたくない怖がり人間です。」ということを言いたかっただけです。

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