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【エッセイ】【怒り】縦だの伝統だの、まったくくだらねぇ


概要

 宝塚の女優さんが自死した問題。
 私は宝塚のシステムだとか、公演内容だとかについは全く知らないし、幼少時に「ベルサイユのバラ」という少女漫画を舞台化した公演が相当に話題になっていたというあたり以後は、時々宝塚を引退した女優さんがテレビや映画に出演しているのを目にする時に「なんかやけに姿勢の良い女優さんさなぁ」とかぼんやり思うばかりで、それほど興味がある世界でもない。

 しかし、この問題の調査結果とする宝塚側の会見を見ていてその中で「伝統」とか「指導」という言葉で先輩からの常軌を逸した強制行為を正当化しようとする発言が多発していて、そのことには単純に腸が煮えくり返る思いがあったので、その事について書き殴りたいと思う。書き散らしたいと思う。
あんまり時間もないので飛ばして、殴って、散らします。

まず、最初に

 私は「伝統」が大嫌いである。
 私は「慣習」が嫌いである。
 私は「縦社会」が大嫌いである。
 私は「体育会系」が大嫌いである。

ぶっちゃけ

 これらのくだらねぇ思考が、世間の雰囲気を悪くし、若者を絶望に追い込み殺し、文化を衰退させ、芸を堕落させ、エンターティンメントを陳腐にするのだ。
 先日来よく見聞きする、ジャニーズ事務所の問題、歌舞伎界の問題、舞台や演劇の監督による性加害等、そして今回の宝塚歌劇の問題、芸能関係だけでも直近でこの有様である。どのケースについても死人がでている大事件なのだ。
 それ以外の社会でも例えば、年功序列という考え方やそれに則った給与体系、企業によっては基本が決められた賃金カーブに沿って勤続年数によって自動的にスライドしていくため、若者はどんなに頑張ったとしてもベテランには追いつかない。勤続年数を経て、ベテランになって初めて高給取りになるのであって、お金が欲しい若いうちは逆立ちしても報われない社会なのである。そういう不条理な世界が大多数を支配しているのだ、この国は。日本は。
 スポーツだって同じである。何年経っても改善されない指導者や先輩に因る暴力や暴言。えっらそうに。たかだか運動が巧いだけで世界を征服したとでも思ってやがるのかと思うほどのドヤ顔で初心者をどやしつけることでしかうさを晴らせない筋肉バカでノータリンの根性なしばかりである。筋肉は嘘をつかないたぁどの口で言いやがるんだ、筋肉なんぞ嘘の塊、嘘の温床でである。

 そんなものを全て撤廃しても素晴らしいエンターティンメント、素晴らしい競技、素晴らしい文化は楽勝で創造することができると断言する。

 伝統なんかクソ喰らえである。

宝塚の会見を全て観た

 諸々時間もないのに深夜帰宅後、憤激に駆られて、全部観てしまった。
 まもなく出勤しなければならないので、以下に私の観た限りで、この組織の規範で問題視しなければならない点を列挙する。

ファッキン・ハゲダコ

 まぁ、会見をみるに、画面向かって右側でふんぞり返っているタコみたいな男。
 コイツは全く反省していないし、おそらくはいわゆる体育会系右翼思考ガチガチの馬鹿である。
 よって以下、ハゲダコ発言を中心にどうぞ。

1:12:30あたり

 宝塚歌劇を全く知らない人を外部から入れるということに対して、異論があるかのような発言である。
 長い年月を通して培ってきた伝統?矜持?それが現代にマッチしてないからこういう事件が起きるのだ。
 いますぐ伝統と矜持を捨てれば、学生もタレントも自由闊達、余計なことは気にせず好きなミュージカルに猪突猛進して演者も観客も運営企業も万々歳のパラダイスが出来上がるのだ、オマエが辞職しろハゲダコ。

1:39:00あたり

「害者はタレントなので、労働時間は世間一般の基準とは違う。
また、決められた稽古の中だけではなく、自己研鑽を積まなければ芸の高みには至れない」

 何を言ってるんだ、こいつは。
 決められた稽古を積めば至高の芸を手に入れられる、そのための音楽学校じゃないのか。何のための学校なんだ。
 自己研鑽ってのは世間でよく言われる自己啓発ってやつと同じで、これはあくまでもその個人、自己それだけが完全な自主性ただそれだけで外部からの助言など一切なしに自発的に行うことだけを指すのであって、企業だの学校だのが「自己啓発しろ」「自己研鑽を積め」と、その本人の意志に対して一言でも命じるのならそれは自己啓発でも自己研鑽でもなく、業務指示である。それは全て業務の一環であると認識し、全時間に対して賃金を支払う義務がある。

 オマエのポケットマネーで遺族に日当たり21時間分(被害者は平均睡眠時間が3時間)の賃金を支払え、ハゲダコ。

2:06:30

「変わらなければならないものは変わらなければならないが、伝統の中で守って行くものも間違いなくある」

 そんなものは無い!
 人の体力や精神や人権を無神経に蝕むような伝統の中に守らなければならないものは一点も無い!
 企業として劇団経営をしているのなら全てを解体してでも伝統を放棄してゼロから造り直すべきである。
 なにしろその伝統とやらが人命を奪ったわけだから。

以上

伝統嫌い、慣習嫌い、縦社会嫌い、体育会系思考嫌いのおっさんによる私見でありました、丸

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