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保護者のための授業参観はしたくない

あけましておめでとうございますというには非常におめでたくないことが続いた三が日でした。久しぶりの緊急地震速報。3.11の震災を思い出してしまうほど、私にとってはトラウマでした。
どうか、これ以上被害が広がりませんように。

さていよいよ3学期が始まりますね。昔はよく「次の学年の0学期」と言っていたのですが、今は少し変わってきて、「この1年間の集大成の3か月」と言うようになりました。今の学年やクラスを噛みしめる、そんな3学期にしてもらいたいなと思います。

そんなまとめの3学期に、私が一つもの申したいことがあります。
それが最後の授業参観の在り方です。
タイトルだけでは語弊があるので補足すると、「保護者にお涙頂戴するような授業参観はしたくない」という方が方向性として合っています。
よくあるのは、「感謝と成長を伝える発表会」です。
実は今年、学年の方針でそうなってしまったのですが、正直なところ私は納得できていません。
納得できない理由を今日は少しお話したいと思います。

それってどの教科に準ずるの?問題

おそらく低学年であれば生活科、中高学年であれば総合的な学習の時間に充てていると思います。ここの扱いが本当にグレーで、かすっていればいいでしょ問題が生じてきます。特に高学年ではキャリア教育としてあてがわれるのですが、キャリア教育って本当に難しいというのが本音です。
私たち大人でさえ、「自分はどんな分野の仕事が向いているのかわからない」なんて大人が多い中、「なりたい職業を調べよう」は本当に拷問です。(この点に関しては外国語の教科書にもあるので、本当になんとかしてほしいのですが、これはまた後日)
総合は賛否両論ある教科で必要論・不要論が真っ二つに分かれる教科のひとつであると私は思います。個人的には自由度が高いかつ本当に研究したら一番面白い教科だと思うので必要派です。
話を戻すと、自由度が高いがゆえにいくらで調整できてしまい、本来の総合の授業内容から大きく外れたものが出来てしまうのです。
本校の単元でいえば、①働くことについてイメージを持つ②働いている人(親)にインタビュー③自分が興味のある仕事について調べる④まとめて発表です。正直、この年間指導計画をみて「冗談だろ…」と思ってしまいました。学びがないんです。なのにインターネットでちょっこっと調べたり、Youtubeのインタビュー見せて働くことについて知ったようになってしまい、学びが深まらない。そしてこのたった45分の授業参観のために、総合の肝と言っていい課題の設定、情報の収集、整理・分析がすっ飛ばされてしまう。これってなんなんだ?と思う次第です。

保護者のための授業参観をするたびに思い出すあの子のこと

私がここまで保護者ファーストの授業をすることに抵抗があるのには理由があります。少し語らせてください。
4年生を担任していた時のことです。
当時の学校の総合の単元に「二分の一成人式をする」というものがありました。私自身も4年生で二分の一成人式を経験し、思い出に残っていたので当時を思い出しながら授業の準備をしていました。
その時私のクラスに一人の女の子(以降Rちゃん)がいました。その子は6人兄弟の4番目で、非常に面倒見のいい優しい子でした。シングルマザーのお母さんのお手伝いをよくしていて、料理や洗濯、掃除、下の子の面倒まで見る今でいうヤングケアラーの子でした。
お母さん一馬力で6人の子どもの面倒を見ていたので(上二人は当時独立していた)、どうしても集金が滞りがちでした。
集金日になるとRちゃんは私のところに来て、
「先生、お母さんが集金もう少し待ってほしいって言っていて…」と申し訳なさそうに私に言うのです。申し送りで「集金が滞る」と引継ぎもあったのですがそれ以上に、子どもにその言葉を託さざるを得ないその状況に私も「大丈夫だよ、準備できたらでいいですって伝えてね」というよりほかありませんでした。
手もお金もかかる子どもがいるため、Rちゃんのお母さんもずっと仕事をしており、授業参観に来たことはありませんでした。そんな中、二分の一成人式をするとなり、Rちゃんはお母さんに仕事を休んで来てもらうよう伝えました。すると式の2週間ほど前、「先生、おかあさん仕事休めたから来れるって!」とRちゃんが私に伝えてくれました。
「よかったじゃん」と伝えると、
「んー、でもなんか恥ずかしいなぁ」とうれしさいっぱいの顔でほんの少し恥ずかしがって見せたのです。

ところが、当日の朝、Rちゃんが私のところに来て、
「お母さん、今日来れなくなっちゃったんだ。なんか人手が足りなかったみたいで。まあしょうがないよね。」
と言いにきたのです。あまりにけろっとした表情だったので、「そうか…でもがんばろうね」と伝えると、「はい!」と元気よく友達のところに戻っていきました。

ところが給食の時、いつもテキパキ準備をするRちゃんの姿がありません。
教室脇の広場に行くと彼女がいるのです。
声をかけに行くと、目を真っ赤にして泣いていました。

「本当は今日来てくれるのを楽しみにしてたんだ。でも昨日いけないって分かって。お母さんも『ごめんね』っていうから私も『いいよ、仕事だもんね』ってしか返せなかった。家族のために働いてるのに私はわがまま言えない。でも…」とぼろぼろと大粒の涙を流しながら心の内を伝えてくれました。

その時私は決めたのです。
「二分の一成人式は無くそう」と。彼女のように自分の意志でどうにもならない子が悲しい思いをする学習をさせてはいけないと。翌年、4年生の総合の単元から二分の一成人式を削除しました。

授業参観は特別なことをする場でも、親を迎合する場でもありません。
自分の子どもが家庭以外の親の目の届かないところでどんな学びをしているのかを見せる場です。
親が来てくれないことに寂しさを覚える子もいる、それは子どもの思いでどうこうできる問題ではないんです。

たしかに来てくれる保護者には時間を作ってもらう以上のことをしたい気持ちは正直あります。ですがだからと言って、その発表の場が本当に適切なのかを私たちは見極めないといけません。

3学期になり、まとめの季節がやってきます。
今年はどうしても学年の意向が強すぎて、私の意見は通りませんでしたが、私なりのせめてもの抵抗をしていきたいと思います。


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