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流れる水の殺人

「今日は君の誕生日だね」
数日前からシェアハウスに仲間入りした和(かず)くんに僕は声をかけた。
「夜はパーティーをしようじゃないか、歓迎会も兼ねてね」
そう言うと和くんは、照れた様に
「そうかい、ありがとう」
と素直に頷いた。

「でも君はここに来る前はどこに居たんだい?」
「Y神社の近くさ。ほら夏祭りは参道に屋台が並ぶので有名だろ」
「ああ、あそこら辺か、良い所じゃないか。それがどうしてここへ移って来たんだい?」
「困ってる所を、ここのオーナーのひろしさんに助けて貰ったんだ」
「そうか、それは良かったな」
「ああ、あの人は命の恩人だよ」
それは僕も同じだった。

その夜の誕生会兼歓迎会には、ひろしさんからも差し入れなどを頂いて和やかに始まった。
パーティーには以前からシェアハウスに居住している古株の竜さんも顔を見せてくれた。
僕たちは和やかに笑い、飲み食いした。
竜さんは得意の喉を披露して、気持ち良さそうにダミ声で演歌を唸った。
「デメ、お前も何かやれよ」
竜さんは僕の事をあだ名でしか呼ばない。仕方なく僕も下手な歌を歌った。演歌じゃなく僕の好きなラップをいくつかやってみた。
和くんは喜んでくれたが、竜さんは、それが歌か?みたいな顔で苦笑いしてた。
「お前も何かやれよ」と竜さんに話をふられて、和くんは戸惑いながらもクニャクニャした動きの最近流行りのダンスを披露して見せた。
僕には面白かったが、これもまた竜さんにはイミフだったらしく、盛んに首を傾げた。これがジェネレーションギャップというものだろうか?

深夜遅くになって会もお開きになって、それぞれの部屋で眠りに就こうとして、少し経った頃、母屋の方で大きな叫び声がした。
夜の闇に布を引き裂く様な女の叫び声が響いた。
僕たちのシェアハウスはひろしさんが寝起きする母屋の敷地内にある。
部屋を飛び出して窓から外を覗こうとしたら竜さんも「どうした?どうした?」と飛び出して来た。

見ると血塗れになった女性が誰かを追い掛ける様な仕草で部屋を出て来た。その手の先を見ると、誰だか表通りへ走り去って行く男の後ろ姿があった。夜の闇の中なのではっきりとした姿は捉えられなかった。
女の方は力尽き、その場に倒れ込んだ。
何事? と僕たちは事態を見守った。
迂闊に飛び出したりすると自分たちの命が危ないと感じた。
そこへひろしさんが現れ、血塗れになっている女性に駆け寄り、覆い被さる様に女性の名前を呼んだ。
女性の腹部には深くナイフが刺さっていた。ひろしさんはそのナイフを引き抜こうと柄の部分に手をやったが、竜さんがすぐに「引き抜いちゃダメだ!それより早く救急車を!」と叫んだ。
それが聞こえたのかひろしさんはナイフを引き抜くのをやめて、携帯を取り出して電話をかけた。

しかし、しばらくその様子を見守っていて分かった。
その女性は逃げて行った男に腹部を刺されたとみえ、息も絶え絶え、やがてガクッとこときれる様にひろしさんの腕の中で息を引き取った。

その後はただひたすらに狼狽える僕たちの前に救急車やパトカーなどが駆けつけて事件現場にKEEP OUTの文字が入った黄色いテープが張り巡らされ、僕たちもハウスの中に缶詰状態にされてしまった。
刑事たちが集まり、何やら聞き込み捜査が開始された。鑑識の人たちも大勢で辺りを仔細に調査している。
唯一の目撃者であろう僕たちにも刑事は厳しい目付きで睨みを利かせた。
僕たちは見た事を有りのままに語って聞かせた。
逃げた男がいた事を盛んに主張したが、刑事たちは何やら疑わしげな目で眺め回すばかりで、まるで僕たちの証言をまともに取り合おうとはしなかった、

それどころか、なんと、ひろしさんが手錠をかけられ刑事たちに連行されてしまったのだ。ナイフの柄にべったりとひろしさんの指紋が着いていた事がいけなかった様で、僕たちは唖然として事の成り行きを見守るしかなかった。

監禁状態になった僕たちはこれからの事を話し合った。
「おい、こんな事になったら、もしかしたら、俺たちはもうここに居られなくなるぞ」
竜さんは眉間に皺を寄せて深刻そうに語って聞かせた。
「そんな…」
「どうしよう」
「それよりもひろしさんが連行されちまったが、俺たちだってまだ容疑者扱いだぜ。下手すりゃ誰かが冤罪でブタ箱行きだ」
「まさか」
そんな事になったら、大変だ。
例の逃げて行った男の行方を探すしかないか。

僕は言葉を失くして呆然と肩を落とした。
僕は和くんに同情した。
せっかく新しい住処に引っ越して来て、昨夜はお祝いと歓迎のパーティーをしたばかりだというのに、いきなりこんな成り行きになって、悲運としか言いようがない。

事件の顛末は僕たちには分からなかったが、オーナーであるひろしさんは連行されたまま、帰って来ない。このシェアハウスも先行き不安な状態だ。

数日が経った頃、竜さんがニュースを聞いたと言って、僕を呼び寄せた。
「おい、ひろしさんが犯人として逮捕されたらしいぞ」
「え?じゃあ逃げて行った男の事は?」
「どうやらそれは目撃者もなく証拠不十分という事でひろしさんの狂言だと言われてるようだ。殺人の動機は痴情のもつれだとかなんとか言ってた」
「そんな、逃げて行った男の事は僕たちが目撃してるじゃないですか。今から警察に行ってその証言をしましょうよ」
「何を言ってんだデメ、そんな事、誰が信じてくれるもんか、大体奴らは俺たちの話なんか何にも聞く耳を持たないよ」
「そんな…」
「それより、自分たちのこれからの事を心配しなくちゃ」

竜さんの言葉は残念ながら、現実のものとなった。
この家は売りに出されて別の人間に買い取られる事になった。
シェアハウスがどうなるのかは、その人次第だ。
僕たちは、運命を天に任すしかなかった。

そして、後日、この家の新しいオーナーと言う人が部屋に入って来た。
僕と竜さんは思わず絶句してお互いの顔を見合わせて、信じられないその光景に目を疑った。


入って来たのは、和くんだった。







不動産屋はこの部屋の新しいオーナーの和くんに問い掛けた。
「和さま、この水槽と2匹の金魚はどうされますか?前の所有者が飼っていたペットですが」
「ああ、それは要らないから、裏の小川にでも流してやってくれ」
「分かりました。では用意します」と一旦部屋を出て行く。


その時になって僕たちはようやく分かった。あの時逃げて行った男が和くんだったという事を。
女は死に、ひろしさんは刑務所へ、やはり痴情のもつれだったのだ。

和くんはひとりごとの様に事件の顛末を水槽の中にいる僕たちに話して聞かせた。
ひろしがいけないのよ。私という者が有りながらあんな女にうつつを抜かすから。それもよりによって私のバースデーによ。
ひろしを殺そうかと思ったけど、あの、人を馬鹿にしたような薄笑いを浮かべた女を私は許せなかった。
いい気味だわ。ひろしもこれで頭を冷やすでしょ。
あんた達とはお別れね。見てたんでしょ。
全部水に流してあげるわ。
そう言って和くんは悪魔の様な顔で笑った。


そして、僕と竜さんは裏の小川に放され、水の流れに流されて行った。
その後の事は何も知らない。


おわり

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