ソノコ......
夏の終わり、小高い丘の中腹にある小さな駅舎。近くにお嬢様学校と言われる学園があり、朝晩のホームはそこの女子生徒達で溢れかえる。しかし今は夏休み中であり人影もまばらだ。そして時刻は午後の八時を回り、辺りは森々とした闇に包まれていた。ホームの先にポツンと佇む小さな灯火の中を小さな虫たちが円を描いている。
まもなく急行電車がこの駅を通過して行く、それを見送ってから園子が乗るべき各駅停車が到着する。園子は演劇部の副部長として秋の文化祭公演のため午後から部活登校をしていた。シナリオのいくつかを書き直していたため、帰宅時間が随分と遅くなってしまった。
園子は演劇部の中だけに関わらず、学園内でも目立つ存在である。その美貌と成績は常に学年トップを譲らぬ秀才、そしてその佇まい、多くの下級生達は羨望の眼差しを持って園子に憧れ、その全てを追いかけていた。才色兼備という言葉があるなら、それは園子のために作られたものであろう。
しかしその分周囲のクラスメイトからは妬みの対象となり、元来他人と心を打ち解けることが苦手な園子はクラスの中でも、また演劇部においても孤立した存在となっていた。孤高の天才美少女、それが園子に与えられた世間の風評である。
この日も演劇部の部活において、大幅なシナリオの改訂を部員達は園子に要求した。シナリオの作成は一学年の頃から園子が担当し、概ね好評を得ていた。当然この秋の文化祭で演ずる作品も園子の書いたものである。クレームをつけたのは園子と同じ三年生の部員達、彼女達はいずれも助演という立場で数カ所舞台に立つ。登場シーンとそれに纏わる台詞について異議を唱えたのであった。
主演はもちろん園子である。そうでない限り周囲の者達を納得させられないという裏事情もあり、そこは他の部員達も認めざるを得ない所であった。園子を部長でなく副部長に添えたのも一種の策略である。だが、園子はそれらに対して何の不満も示さず、その役割を全うし、一人でシナリオの改訂を遅くまで取り掛かっていた。
丘の中腹にある駅舎は最早すっぽりと闇に包まれていた。園子が佇むホームには夏の生温かい空気がねっとりと絡みついていた。園子は幾分熱に浮かされたように身体を前後にゆらゆら振らつかせていた。額や喉元はじっとりと汗ばんでいる。振り向くとホームの外の木々が鬱蒼と繁り漆黒の闇を広げ今にも園子に襲いかからんとする様相を見せていた。その時、園子はホームの隅にある植樹の影に何者かが潜んでこちらを見詰めている視線を感じた。ハッとしてそちらに目をやるものの直ぐにその何物かは身を隠し何事も無いように再び沈黙する。
園子が視線を線路に戻すと、またカサカサと不審な物音を背後に感じた。何か言いようの無い身の危険を察知して園子はその場で緊張し身構えようとするが、身体はまるで金縛りにあったように動きが取れずにいた。一歩動けば、その刹那、一気に襲い掛かろうとする獣のような息遣いが充満している。
暑い、とにかく暑い。額から流れる汗が顎から首元へ滴り落ちる。にも関わらず背筋をゾクっと凍らせる悪寒に身を震わせた。
素早く視線を左右に走らせる。ホームに人影が無いこと、待合室のボーッと光る朧げな灯りが園子を絶望の淵に突き落とした。
どこかで小さな高い音と唸るような轟音が聴こえて来た。視線を送ると二つの小さな光が近付いて来るのが見えた。急行電車だ。この駅を通過する。停車はしない。
小さな光はやがてくっきりとしたおおきな電光となって車体そのものの大きさを映し出す。悲鳴のような線路の軋み音、響き渡る轟音、狂気のような色彩が眩暈を引き起こす。園子の身体は大きく前後に揺れた。
その時、何者かが園子の背中をドンと強く押した。
その勢いで園子は一瞬宙を舞い、線路の上に身体ごと落下する。
目の前に迫る大きな鉄の車輪、眩しいくらいの光線が全身を包んだ。悲鳴をあげる暇もない。
運転士は慌てて急ブレーキをかけた。飛び散る火花がまるで夏の夜空を彩る花火のように映る。鼓膜を破壊する強烈な金属音。
言葉では言い尽くせぬ衝撃が園子の身体を貫いた。そして、世界はそこで終わりを告げた。
数分の後、電車は急停止し、何人かの人々の叫び声が辺りに響いた。走り回る幾人かの足音。泣き叫ぶ女、ガラスの割れる音、電話のベル、遠くで鳴る花火、近付いて来る救急車のサイレン。
慌てふためき、集まり大騒ぎする人々。
救急車が到着し、担架が運び込まれる。救急隊員達が数名、線路に横たわる血塗れの園子の亡骸を取り囲む。
ふり乱された髪の毛、剥き出しになった白い太腿、瞳が開いたままの美しい横顔。
そんな光景をホームの端から園子はそれをじっと見ていた。
運び出されるかつて自分だった物体。騒然とする学園前の駅舎。人々の顔、顔、顔。
それらを園子は黙って見ていた。
誰一人彼女には気がつかない。
ずっとそこにいると言うのに。
終
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