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私が兄に疑問を抱いたのは、今から約半年前の事。
その日私は洗濯物を置きに留守中の兄の部屋に入ったのだ。

五つ年上の兄は真面目で大人しく、学生時代の成績も優秀だった。
綺麗に片付いた部屋の中、私は箪笥の引出しの中にそれを見つけた。

女性用の下着

勿論、私のものではない。
私はいろいろ考えを巡らしてみた。
まず、第一に下着泥棒の疑いはすぐに消した。
兄はそんな事をするタイプではない。
では、第二、カノジョのものか?
ところが兄にカノジョがいる気配はどう考えてみても思いつかない。
決して兄が女性にモテないブ男という訳ではない。むしろ端正な顔立ちなのでカノジョの一人や二人いても不思議はないのだが、
兄には何となく、そんな素振りが全く伺えなかった。
その線も消えた。

なら第三、それは兄自身が何処かで買って来たものに違いない。
女性用下着を買う兄も実は想像しにくいのだが、それしか考えられない。誰かに貰ったのかもしれないが、一つ位ならともかく、三つも四つもプレゼントしてくれる人などまずいないだろう。

では、その次の疑問、何のために買ったのか?
それは、案外、早く、結論に達した。
男性の性欲なるものを、女子大生にもなった私が知らない訳はない。
真面目な兄と言えども、やはり一人の男。表立って家族の前では見せないが性への欲望は人並みにあるだろう。

ただ、妹として、若干のショックは受けたのだが・・

その時はそれで納得しかけた。だが何だか妙に腑に落ちないものがある。
私はそれを探るべく、その日から兄の行動を密かに観察する事を始めた。

そう言えば、兄は毎週のように週末は外出し、夜遅く帰って来る。
考えてみれば謎の行動だ。
これまで兄の事に全く関心を寄せてなかった私は、週末兄が何処に出掛けて何をしているのか、全く知らなかった。

家族と言えどもプライベートに踏み込むのはいけない事だとは思うが、女性用下着を見つけてしまった今は、もう私の好奇心は収まらなかった。

それから週末、車で出掛ける兄を、私は少しづつ尾行する事にした。
何故かと言うと兄は車だけれど、大学生の私には自転車しかない。
それも、気付かれないように追う必要がある。
車が信号で止まる度にその距離は縮まるが、走り出せばまた離される。
見失った所まで覚えておいて、次の週はそこまで先回りしてまた後を追う。それを繰り返した。
高速に乗ったり、何十キロも走られたら諦めるしかないと思っていたが、とうとう私は兄がコインパーキングに車を止める所まで突き止めた。
自宅から10km程離れた繁華街の一角である。

兄は大きな鞄を抱えて、とある雑居ビルに入って行った。
エレベーターに乗り込む兄を見届けた後、すかさず、私はそのビルの入口に走った。
表示を見てると7階でエレベーターは止まったようだ。
雑居ビルはスナックとかクラブなど飲み屋でいっぱいのビルだ。
こんな所に兄は来ていたのか・・
ビル前の看板に各店の店名が書かれたネオンボードがあった。
それで7階を見ると、店名が二つあった。
一つは、『ぐい呑み屋十兵衛 』で、もう一つは 『スナック薔薇の蕾 』とある。
そのどちらかに兄は行ったのであろうが、明らかに怪しいのは 『薔薇の蕾』の方だ。
さすがに、私一人ではそこに入れないと感じて、その日は諦めて帰った。

次の週、私は大学の男友達を連れて、その雑居ビルにやって来た。
折しも今日はクリスマスイブだ。兄も家を出て行ったから、ここに来ているに違いない。
私は兄にバレないように男の子のような変装をした。
そして、彼と共にスナック『薔薇の蕾』に向かった。
心臓がバクバクと音を立てて今にも倒れてしまいそうだ。

彼の影に隠れる様に店内に入った。
薄暗い店内。私達は入口に近いボックスシートに座る。
小さなステージがあり誰かがカラオケを歌っていた。
ホステスさんがにこやかに私達の席に来て、ドリンクの注文を聞きに来た。適当なものを注文するのに2、3やりとりして気付いた。ドレスを着てかなり濃いメイクをしているその人は…
男の人だった。

ああ、やっぱり、こういう店か
私はそれまで薄々、もしかしたら、と思っていたのだ。
では、兄はどこに? と店内を見渡したが、それらしい姿はない。
おかしいな。間違ったか? 『十兵衛』の方だったか?

仕方なく彼と他愛ない話をしながら数分経った頃。
店内の照明が消えて、ステージでショーが始まった。
煌びやかな衣装、妖艶なダンス。
ああ、これはニューハーフショーというものだ。
綺麗な人もいれば、笑ってしまう人もいる。
と、そこで気が付いた。
後ろで並んで踊っている、右端の女性。
あの顔は、兄だ‼

私の兄はニューハーフ?!
その現実を目の前にして
私は言葉を失っていた。

しかし、兄はここに私がいることなど何も知らず
にこやかな表情で優雅にダンスをしている、
家で見る生真面目で無愛想な兄とはまるで別人だ。

生き生きとしている、少なくとも私にはそう見えた。

ショーが終わりダンサーをしてたニューハーフさん達が、それぞれ客席に座ってお客さん達と賑やかに話を始めた。
兄は私の後ろの席に座って楽しそうに声を上げて笑い、喋っている。
ユキちゃ〜ん 誰かが大きな声で名を呼んで
はあ〜い と兄は返事を返した。声まで変わっている。
兄はここではユキちゃんと呼ばれているらしい。

私は混乱した。
20年近く見て来た私の知ってる兄ではない。
これが本当の兄の姿なのだろうか?
私はかなり動揺して、少し気持ちが悪くなった。

顔を上げると男友達の彼がニューハーフさんに囲まれ
何だかチヤホヤされ、本人も何だか嬉しそうにしている。

私は呆れてその様子を眺めていたが、うかうかしてはいられない。
ここにいる事を絶対に兄にバレてはいけない。

早々に彼を促し、帰ることにした。
会計をすませ、店を出ようとすると
何人かの方がお見送りに出て来てくれた。

その中にユキちゃんもいた、

私は顔を見られない様に終始俯いていたのだが
エレベーターのドアが閉まる瞬間、ふと目を上げると
ユキちゃんと目が合ってしまった。
ユキちゃんは私を見てにこやかに微笑んで手を振ってくれた。


帰り道、私と彼は、暫く黙って歩いた。
私の心はかなり揺れていたが、
それは、あんなに生き生きとした兄を初めて見たからだ。
これを受け止め切れるには、もう少し時間が必要なのかも知れない。
そんな時、彼が一言言った。
「ユキちゃんは綺麗だったよ」
それが彼の優しさから出た言葉なのかどうか分からないが
私は、照れながらも「ありがとう」と返した。
それから、ほんの少し、笑った。
一度笑うと、次から次へと、可笑しさが込み上げて来て
私達は腕まで組んで笑い合った。
そして、最後はちょっぴり涙も出た。

「あ、雪」彼が言った。
あ、ホントだ。
白い雪が舞うように、私達にふりかかった。
ホワイトクリスマスだ

街角にはクリスマスツリー
銀色に煌めいて

街角から聴き馴染みのある歌が聞こえて来た。

翌日、何気ない毎日が始まった。
クリスマスもお正月も、平凡な退屈な日々もまた繰り返される。

そして、私と兄は何も変わらず
いつもの毎日が過ぎて行く。
あの夜の事はお互いに一言も触れなかった。まるで何もなかった様に…,

変わったのは私の男友達が彼氏に変わった事くらい。

けれど最近、兄は少しだけ以前よりも楽しそうにしている気がする。何気ないひとときに。

私は心の中でそっと呟く
「ユキちゃん、良かったね」

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