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STAR–CROSSED LOVERS

 タカヒロとの連絡が取れなくなってミサキはようやくその恋が終わりを告げたことを知った。
 しかしミサキにはその別れ方に納得が行かなかった。
 一方的に次回のデートがキャンセルされ、その後突然すべての連絡がシャットされ電話もメールも繋がらなくなったのだ。
 三年近くも付き合ったのだ、同じ別れるにしても最後は少しくらい話しをしたかった。
 それで納得行くかどうかは分からないにしても、このままでは中途半端な気持ちだけ残して、全く整理が付かない。
 おそらく考えられることは、タカヒロが行き付けにしているスナック『R』のパーティーとミサキとの記念日が重なったことにある。
 タカヒロは『R』のパーティーに一緒に行こうと言ったのだが、ミサキは『R』の雰囲気が苦手だった。
 そのため、ほんの少しの我儘かも知れないが、その日だけは出来たら二人だけの時間を持ちたいと、それを主張した。
 タカヒロはミサキを切り捨て『R』を選んだ。ただそれだけのことだ。他に思い当たる節はミサキの方には何も無い。
 それもミサキが勝手に推測しているだけで、実の所はどうだったのか、最早訊ねる機会さえ失われてしまった。
 暫くの間、ミサキは自分を悔やんだ。あの時もしも『R』へ同行する道を選んでいたなら、今のこんな状態にはならなかった……、のかも知れない。

 苦い思いを味わってしまった恋をいつまでも悔やんでいても仕方がないとひたすらミサキは新しい生活を模索した。
 幸いとでも言うべきか、誘いをかけてくれる人は他にもいたので、時間を持て余して苦しんでいたミサキは、多少意に沿わない相手でも一時凌ぎのドライブに付き合ってみたりした。
 けれども、それで心が晴れる筈は無かった。何をするにもその相手とタカヒロを比べてしまう。心惹かれる部分が何一つ見つけられなかった。
 そんな風な一度きりの出逢いを何度か続けたところで、季節以外は何も変わりはしなかった。街は春の装いをしてるというのにミサキ一人が冬に置き去りのままだった。

 数ヶ月の期間が経過する内、タカヒロへの愛情の気持ちが次第に憎悪へと変わり、それはやがてミサキの心に殺意を芽生えさせる結果となった。
 ミサキはタカヒロを殺害することを決意した。

 次の日からミサキはタカヒロを殺害する計画をあれこれ考えを巡らせて過ごした。それは失恋後初めて心を浮き立たせる瞬間だった。
 まず第一に思い付いたのが、通勤途中のタカヒロを駅のホームから走って来る電車目掛けて突き落とす事だった。
 人混みの中そっと背後に忍び寄りタイミングを合わせて背中をドーンとつき倒せば事は終わる。後は運良く人混みから逃げ出せれば最高だが、万一捕らえられても仕方ない。覚悟はしている。
 それでも、なるべくなら捕まったりせずに事を終わらせたい。そう願って、慎重に計画を練った。
 そして、ミサキは実際の現場となる地下鉄の駅へ下見に出掛けた。
 キャップを目深に被って地味な服装に身を包み、朝の駅で彼を待つ。
 疎な人影の中、見覚えのある歩き方、心がキュンとしてしまいそうになるのを必死に抑え込み、柱の影に身を隠す。
 少し離れた位置からタカヒロの動向と周りの状況を詳しくチェックする。思ったより周囲に人がいない。
この駅がいつもこうなのか、あるいは時間帯のせいなのか判らない。それとホームには監視カメラなども設置されているので、これでは隠れることもままならない。
 しかもタカヒロは電車が入って来て乗り込むまでの間、ずっとホームの奥に居る。これではホーム下の線路に突き落とすことは出来ない。
 それは途中の乗り換え駅でも同じだった。そこはターミナル駅で周囲は人混みだったが、見てみるとホームと線路はフェンスで仕切られていて、電車が入って来るとドアにあたる箇所だけスライドドアが開く。これでは突き落とすのは不可能だ。

 それで、次なる作戦を考えた。それはタカヒロが飲むドリンクに何か毒物を混入させることだ。
 それが一番容易いと思える場所はスナック『R』だった。
 『R』ではタカヒロはいつもカウンターに腰掛けとことんビールを呑む。普段はどちらかと言うと無口で淡々と冷静にしているタカヒロもビールを呑むとストレスが発散され、気持ちが大きくなり、口数も増え、笑顔を振り撒き、行動が無防備になる。幾度か連れられて行った『R』ではそんなタカヒロの様子をミサキは何度か目撃した。
 カウンター内にはママがいて、並びの席や背後のボックスシートには別の客がいつも数人いるのだが、店内はカラオケやミュージックビデオ、人の嬌声や笑い声で騒々しい。しかもいるのは酒に酔った人ばかりだから、タカヒロのグラスにそっと毒を盛るくらい造作もないことだ。
 しかし、今更ミサキが一人で『R』に行くのはどうだろう? 一応ママはミサキと顔見知りだし、他にも常連客の中にはミサキに見覚えがある人もいるはずだ。
 行けば、客として歓迎の態度は取るだろうが、同時に不審にも取られかねない。タカヒロの隣に座れば先ずタカヒロがどういう態度を取るか、絶対ミサキだとバレないように変装するのは無理な話だ。
 たとえそれを強行したとして、その後タカヒロが毒物を呷って倒れたら、直ぐにそれがミサキの犯行だということは白日の元に晒される。
 『R』に行くことは不可能だと思った。
 そこ以外にそんなチャンスはあるか? それは思い付かなかった。
 そして第一、適当な毒物など持ち合わせていない。

 結局、最終的にミサキが選んだ方法は、在り来りな犯行、人気の無い暗い夜道で待ち伏せをして背後からナイフでブスリと刺す。通り魔的犯行だ。
 その夜、ミサキは黒っぽいフード付きのレインコートに黒マスク。流石に暗いからサングラスは掛けられないのでフレームが黒いメガネを装着した。
 場所はタカヒロの住むマンションの近く、コンビニの裏の通りだ。この場所を決めるためにも何度か下見を行い、平日タカヒロが帰宅するおおよその時間も調査した。人気の少ない暗い道というと、もうここ以外にはなかった。この場所だと監視カメラに撮られることも無い。犯行後の逃走ルートも決めた。その時どうしても監視カメラのある場所を通らなければ駅には辿り着けないがコートのフードを被れば誰という判別は不可能だろう。
 その夜、ミサキは全ての準備をしてタカヒロの帰りを待った。いくら人通りの少ない小径と言ってもたまには人が行き来するので、あまり長く一ヶ所に留まっては居られない。気を付けながら辺りをウロウロした。不審者だと疑われないように細心の注意を心掛けた。
 そして、三十分もした頃、道の先の角を曲がって来る姿を見た。タカヒロだった。
 もう夏服でスーツ姿では無く、上半身は白シャツを袖まくりしている。片方の肩に見覚えのあるグレーのリュックを提げている。それが多少邪魔に思えたが、背中は充分にナイフを刺すスペースがあるはず。なるべく心臓か肺にあたる部分を深く突き刺したい。
 ミサキはバッグからナイフを取り出し右手に握った。電信柱の影に隠れてタカヒロが行き過ぎるのを待つ。運良く気付かれずにタカヒロは通り過ぎた。白いシャツの背中が見えた。
 チャンスは一瞬しか無い、タカヒロがあと数歩進んでしまえばマンション前の監視カメラに映り込むエリアに入ってしまう。
 ミサキはナイフを固く握り締めて飛び出した。
 タカヒロの背中が目の前に大きく広がった。
 ナイフに力を込め胸の前で構え、そのままタカヒロに身体ごとぶつかって行こうとした。
 その瞬間、前方から大きな光、多分車のヘッドライトだと思った。それに包まれ、タカヒロの姿が消えると、そのライトがミサキの全身を照らし出した。
 あっと目を閉じてしまった。ミサキは次の一瞬カラダ全体に大きな衝撃を受けて重力を失うのを感じた。宙を浮遊する感覚を覚えたまま、意識が遠去かって行くのをどこか遠くの方で感じていた。

 次にミサキが目を覚ましたのは白い部屋の中だった。そこが病院である事に気が付いたのはかなり時間が経ってからである。
 さて、あれからどうなったのであろうか? タカヒロは? ミサキにはナイフで刺したという記憶は無かった。掌にもそんな感触は残っていない。
 点滴を受けているのだろうか、身体には沢山のチューブや器具が取り付けられベッドの周囲には心電図など医療機器が並んでいる。
 縛り付けられている訳では無いが起きようにも起き上がれなかった。
 もごもごと声を出そうとしてみたり身動きしていると、足元の方からドアが開く音が聞こえて、誰かが室内に入って来た。
 どうせ医師か看護師だろうと思っていたら、背広姿の中年男だった。その後ろにもう一人若い男が控えている。
「気が付かれましたか? 我々は警察の者です。上本美咲さんですね。あなたに殺人未遂の容疑で逮捕状が出ています」と淀みのない口調で言った。
 ああ、ミサキは声にならない吐息を漏らした。
 未遂だったか、タカヒロは死ななかったという事だ。というより、殺せなかった。
 それはあの時のヘッドライトに照らされた車のせいだろうか? それとも……。
 とにかく、ミサキのタカヒロ殺害の計画は失敗に終わったのだ。
 タカヒロは自分を刺そうと襲って来て車に撥ねられた女をミサキだと知ってどう思っただろう。
 少しは同情の気持ちを持ってくれたのだろうか?
 あるいは逆に怖ろしい奴だと狂人を見るような目で道路に横たわる女に目をやったか。
 今となっては知る由べも無い。
 もうこれで完全にタカヒロに会う機会は永遠に失われた。それだけは事実だ。
 結果はともかく、これでようやく気持ちにけりを付けることが出来た。
 『GAME OVER』そんな文字が白い天井にぽっかり浮かぶのが見えた。
 恋というゲーム、殺人というゲームは、終わった。敗北感で心はいっぱいであったが、何故かしら気持ちはスッキリしていた。
 この先、タカヒロが何をしようと、誰と会おうが、ミサキには一切関係の無い事柄である。
 あの時の一瞬の浮遊感はミサキの心から大きな黒い渦を奪い取ったみたいだ。今はもう綺麗さっぱりに殺意は消えてしまった。
 これで終わりだ。何もかも終わった。
 ミサキは身体中の力がするすると抜けて行くのを感じた。

 静かに目を閉じて、死人のようにベッドで睡るミサキの目から、涙が一筋、溢れて落ちた。



 終

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