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ハートにブラウンシュガー13(最終回)


 都心を少し離れた郊外のコンサートホール、近くを一級河川が流れ、その堤防道路には桜並木が続いている。今はまだ三分咲きといったところか、もう直ぐ花見見物の人達で埋まることだろう。
 Aレコードが主催する春の新人コンサートツアーも最終日を迎えていた。そのコンサートホールにラストステージを迎えるブラウンシュガーの面々も顔を揃えた。午前中に軽く音合わせを済ませ、今は楽屋で仕出しのお弁当をいただきながら、和やかに談笑している。
 リーダーのクマこと茶倉満男、ベースのサブこと佐藤三郎、リードギターのレイこと真柴怜、そして紅一点ヴォーカルの田中ティナがテーブルを囲む。
 ほんの少し前、ティナはメンバーにソロシンガーとしてAレコードと契約することを決意したと伝えた。それに前後してレイが音楽プロデューサーKの推薦を受け、LAのロックバンドが募集しているギタリストのオーディションを受けるために渡米することを明らかにした。
 その話をクマとサブは粛々とした表情で聞き入った。音楽を一緒にやって来た仲間として、嬉しさと寂しさが混ざり合った複雑な感情、人生で幾つか出会う悲喜交々な瞬間、それを四人は同時に体験していた。
 折りしも季節は春。旅立ちに相応しい舞台だ。言葉少なではあったが、四人は暖かい気持ちを込め、ソフトドリンクで細やかなる乾杯をした。
 メンバーそれぞれの胸中にはこれまでの様々なシーンが去来した。クマは回想する。ライブハウスの片隅で声をかけて来た若者のパワフルなエレキサウンド、速弾きを駆使するその卓越されたテクニックに魅了された。そして彼が連れて来た天性の歌声を持つ女性ヴォーカリスト、その歌声を初めて耳にした時、鳥肌立ったことを今でも鮮明に覚えている。
 この二人がメンバーに加わったことで世界が一変した。彼らと共に演奏したステージはどれも忘れられない貴重な時間だった。あの日あの時あの顔、吐息まで聴こえて来そうだ。演奏前の緊張感、客席からの声援、メンバー同士が演奏しながら交わし合う視線、飛び散る汗、一体感、最後の一音を奏でた後に味わう何とも言えない充実感。あれほど気持ちの良い瞬間は無い。浮かれた心でしみじみとバンドをしていて良かったと思える瞬間だった。それはサブも同じことを感じている。長い付き合いだから、顔を見ればそれくらいは直ぐ分かる。
 しかし、今はまだそんな感傷に浸っている場合ではない。これから始まるステージが実質ブラウンシュガーが今のメンバーで行なう最後の演奏となる。
 クマは一旦、ティナとレイの話を忘れ、今日のステージに集中することをメンバーに伝えた。

 客席はツアー最終日とあってほぼ満席で、前のステージを飾ったアイドルグループのお陰もあって、和やかに盛り上がっていた。この流れの勢いに乗って行きたい。さあ、ブザーが鳴った。俺たちの出番だ。四人はステージに駆け上がる。
 クマのドラムが正確なリズムを叩き出し、それに合わせて客席が揺れる。そこにサブの突き上げるようなベースが、ずしんずしんとお腹に響く。その上にレイが奏でる歪みを効かせたエレキのサウンドが、海岸の岩に激しく打ち付ける波のように炸裂する。早くも観客は総立ちになり、頭上で手拍子を始める。ティナの歌声が響き渡ると更なる悲鳴のような歓声が上がり、会場は一体となった。
 一曲目は『It's gonna be okay!』ノリの良いポジティブなロックナンバーだ。ティナのヴォーカルが素晴らしい。特にサビの部分、okayの繰り返しは拳を突き上げ魂を爆発させる。観客達も合わせてそれに倣う。リズムに乗って飛び跳ねるように客席が震動する。これはまるで小さなライブハウスと同じようなノリだ。
 そして二曲目、okayの余韻を打ち破るかのように更に激しいリズム、これこそロックだと言わんばかりに『Hard Rain Lady』と『Gregorius』のメドレーが続く。
 『Hard Rain Lady』
 激しい雨の中を駆け抜ける心の叫び、この雨も涙も 全部心の奥に突き刺されと。
 『Gregorius』
 夢を追い求める人達に、羅針盤なんて捨ててしまえ、心のままに進め、お前自身の道を……と歌う。
 激しい、これぞブラウンシュガー。ハードロックだけれど、退廃的ではない。すべて前向きな歌詞、聴くものにパワーを与え、夢をその手で掴み取れ、とメッセージを送る。
 ステージ上のティナはひとつの嵐であり、かつ太陽でもあった。パワフルでセクシーに女性として人として、そしてシンガーとしてまさに女神だ。瞬時にここにいる全ての人を虜にしてしまった。
 クマは背中にゾワゾワと総毛立つ程の感触を感じて止まなかった。サブと目が合う。楽しそうだ。こんな楽しそうにしているサブを見るのは、本当に久しぶりだ。レイはいつものグラサンをしているので表情は読み取れないが、口元の締まり具合、その背中のうねりで、身体ごとロックに心酔しているのが解る。全員の呼吸がひとつに重なり合い、大きな音のうねりとして会場を揺らせている。こんなことは、こんなことは、そうそうあるものでは無い。
 今、まさにブラウンシュガーは一体となって演奏を極めた。クマは無心でひたすらドラムを叩き続けることに専念した。
 メドレーを終え、ひと息ついてティナが観客に頭を下げる。そしてスタンドマイクを握り、感謝の言葉を告げる。一度昂まった興奮を鎮め、また二言三言、何か言葉を添える。
 そしてステージ後半はエレキギターによるアルペジオピッキングで始まり、哀愁を帯びたフレーズを爪弾く。
 四曲目はしっとりとしたバラード曲『月の泪』。
 総立ちになっていた客席はうっとりとしたムードで立ったまま身体をゆっくり左右に揺らし、流れるようなティナの歌声に身を委ねる。サビの部分からベース、ドラムが加わり、音の幅がぐっと広がる。そのせいか歌の世界に更に強く惹き込まれて行く。そのメロディ展開の盛り上がりは聴いている人の胸を打った。客席では歌詞の言葉に涙ぐむ女性達もちらほら見えた。レイの最高傑作のひとつだ。
 そして、五曲目、打って変わって明るく楽しいナンバー『SHINJUKブギ』
 テンポの速いブギのリズムに、客席が一斉に跳ねる、踊る、弾ける。みんなの顔が自然と笑顔になる。演奏しているメンバーもノリに乗って演奏した。太陽の天使と形容したくなるティナの笑顔と歌声が弾けた。曲の終わりに舞台の両袖からパーンと大きなクラッカーが客席に向けて飛び出した。金色のテープやひらひらした紙吹雪が舞い、客席を沸かせる。素敵な演出だ。
 ここでティナからメンバー紹介が入る。ドラムのクマ、ベースのサブ、ギターのレイと名前を呼ぶごとに楽器の層がひとつづつ加わる。最後にヴォーカル・ティナとサブが叫ぶと、会場からは絶叫と割れんばかりの拍手が贈られた。
 そしていよいよ、ラストの曲。持ち時間の三十分なんてあっという間だ。最後の曲はメンバーで相談した結果、これにしようと全員の意見が一致した。
 四人で共作した『DANDELION』 ダンデリオンと読む。
 実質、これがブラウンシュガー最後の演奏となるのか、メンバーの思いは万感であった。
 一語一語、丁寧にティナは言葉を大切にして歌唱した。クマの正確なスティック捌き、サブの個性的なベースライン、レイの適格なギターリフそしてカッティング、その音色は新しい未来に飛び立つ彼らそのものを象徴していた。美しいメロディの美しい曲だった。美しい輝きはキラキラと煌めいてひとつの道を照らした。さあ今こそ羽を広げて飛び立とうと。
 演奏を終えた四人は観客に向けて深々と頭を下げた。会場からは大きな拍手が洪水のように押し寄せた。それはステージ袖のスタッフや共演者からも贈られていた。
 思わぬことにアンコールの拍手が鳴り止まなかった。
 戸惑いを見せて、どうするとティナはクマに問い掛ける。クマは笑みを浮かべてどうしようかと両手を開いた。そこでサブが提案した。
 ステージ脇の他の共演者達にもう一度ステージに登場して貰う。
 秋のツアーから一緒だった春風祐希はるかぜゆうき柳町 亨やなぎまちとおるの二人、それから春のツアーから参加したアイドルユニットのM、ダンスユニットのZが袖からステージに登場する。彼らのファン達からまた一際大きな歓声が上がる。観客に手を振り微笑みを送る彼らの前にもスタンドマイクが置かれた。
 前にも一度全員で歌ったことがあるジョン・レノンの『IMAGINE』を選択した。もちろん演奏の中心は『ブラウンシュガー』
 みんなの願いをひとつに、それぞれの夢を抱えて、春のコンサートツアーは盛大な拍手に包まれ、無事に終了した。

「あ〜あ、終わっちゃったねえ」
 コンサート後の打ち上げ。居酒屋の片隅で四人は卓を囲んだ。生ビールのジョッキで乾杯した後、まだみんなの上唇に泡が残っている内にサブが大きな声で嬉しそうに嘆いた。
「いやぁ、ホントにお疲れ、今日のステージは今までで最高だったんじゃないか?」
「そうそう、客のノリも良かった」
「ああ、本当だ。俺はいつまでも今日の事を忘れないと思うよ」
「やっぱりおまえら二人はサイコーだよ」サブはレイとティナを指差して言う。
「いやいや、ドラムもベースもホントサイコー、歌ってて気持ち良かったわ〜」
「お、そうだろ。なのになんで俺ら契約されないんだよなぁ、ったく、見る目がねえな」
「バカ、見る目があるからティナと契約したんだろ」
「それは認めるけどよ。あー、それよりレイ、お前ホントにアメリカに行くのか?」
「そりゃ、行きますよ。憧れの国ですから」
「Kも一緒に行くのか?」
「いや、俺ひとりっす」
「お前、英語喋れるのか?」
「最近、洋楽ばっかり聴いてるんで、何とかなるかと」
「ああ、こいつバカだ。きっとオーディションも落ちてすぐ戻って来るわ」
「おい、縁起の悪いこと言うなよ」
「戻って来たら、俺たちがオーディションしてやる。厳しいぞ」とサブはレイを指差す。
「こら、酔っ払い、黙れ」
 クマに羽交い締めにされ、サブは呻き声をあげる。
 レイとティナはそんな二人を笑って見てる。
 分かっていた。それがサブなりのエールであることは。
「ほら笑われてるぞ、お前」
「そうなのか?」
「違いますよ。楽しいなって思って」そう言うと更にティナは爆笑した。
「まあな、コイツの言うことはテキトーにあしらった方がいい、だけど、レイ、本当にダメだったらいつでも戻って来い」
「アレ? オイラと同じこと言ってないかい?」
「うるせ」
 レイは笑いながらも、
「いや、仮にダメでも三年は戻りませんよ。行くからには何度でもチャンス見つけてチャレンジしまくるつもりです」
「おお、そりゃ、すごい意気込みだ」
 レイから本気の言葉を聞いて、皆でもう一度乾杯した。今夜は何度でも乾杯していたい気分だった。
「あのう、ちょっとだけ、質問していいですか?」
「おう、なんだティナ、改まって」
「いや、そう言えば、ブラウンシュガーの名前の謂れって聞いたことなかったなぁと思って」
「あ、俺も聞いてないっすよ。勝手にストーンズの曲のタイトルだと思ってたんすけど、違うんすか?」
「ああ、そうか、お前たちには言ってなかったか……」クマは頭を掻く。
「勿体ぶる話でもないよな」サブも大口開けて笑う。
「最初、バンド始めたのが俺たち二人で、だから、俺の苗字、茶倉の茶とサブの佐藤をくっつけて……」
「はい、ブラウンシュガーですってね」
 レイとティナは思わず目を合わせた。
「はあ……」「そういうこと……」
「何だ、何だ? いけないのか?」
「いや、別に、そういう訳じゃないんすけど、なあ」
「あたしたち、バンドを離れても、いつも心にブラウンシュガーの魂を持ち続けて行こうと話し合ったんだけど、何だか、今の話し聞いたら、心にクマとサブを持ち続けて行こう、みたいなこと言ってたのかなと思って」
「おう、良いじゃねえか、それで、なあ」
「お、おう、そうだな」
 ぷっ!
 結局、堪え切れずティナはまたまたお腹を抱えて大爆笑してしまった。
 グラサン姿のレイも大笑いだ。
 あんまり笑い過ぎて涙も出てしまった。
「でもな」
 一呼吸整えた後で、クマが真剣な顔で話し始めた。
「お前たちは永遠にブラウンシュガーのメンバーだ」
「そうだな」サブも真摯に口を揃えた。
「いつでもお前たちの事を応援している。またいつか一緒にやろう」
 それがその日の、締めの言葉だった。

 それから数日後、レイが出国する日が来た。
 ティナはすでに所属事務所も決まり、デビューに向けてボイトレに励む毎日を送っていた。それでもレイを見送るためにその日は空港に駆け付けた。
「パスポート持った?」
「持ってるよ。ほらチケットも有るから」
「落とさないように」
「分かってるよ」
「ギターとか荷物は?」
「もう預けた」
 レイは手提げの小さなバッグひとつの身だった。格好だけ見てると、ひょいとそこらに買物にでも行く人みたいだ。
「本当に英語、大丈夫なの?」
「ったく心配性だなぁ」
 呆れたように屈託なくレイが笑う。
「それより、そっちも大変なんだろ? レッスンとか」
「それこそ心配無用よ!」
 フライトまでにはまだ時間があるという事で、二人はデッキに面したコーヒーショップに並んで座った。
「俺らより、あの二人の方が心配だな」
「クマとサブのこと?」
「そう。やる気を失ったら中年の男はすぐ老いぼれてしまうような気がして」
「そうならないように時々、様子見に行くわよ」笑いながらティナは言う。そして、
「心配と言えば……」と切り出す。
「うん?」
「レイ、あっちへ行ったら絶対浮気するでしょ」
「な、何を言ってるんだ」
「だって、カリフォルニアよ。水着姿のエロいギャルがわんさかいるんだから」
「心配してるのか? でもそう言うならティナだって、芸能界にはいろんな奴がいるだろ、プロデューサーとか、カメラマンとか」
「心配?」
「いや、今は自分のことだけでいっぱいいっぱいだから、そんな心配してる暇もない」
「それはあたしも同じ、でも、三年もあちらにいたら、それなりに何かあるでしょ」
「そんなこと分からないよ」
「ちょっとした遊びなら許す。男だものね仕方ない。でも本気にはならないで、もし、そうなったら別れるから」
「もう、今からそんなこと言うかなぁ」
 レイは呆れて、天を仰いだ。
「万一の時よ。覚えといて」
「分かった」
「それに定期的にリモートで近況報告の交換ね。それは忘れないで」
「分かってるよ」
 二人は見つめ合ってふふんと微笑んだ。
 目の前の滑走路を次々に旅客機が轟音を立てて飛び立って行く。綺麗な青空が広がっている。飛び立った飛行機は見る見る内に小さくなって青空に吸い込まれて行く。飛行機雲の白だけが青い空に長くラインを引いて幾何学模様の絵を描いた。
「あんなデカいものが空を飛ぶなんて信じられないよな」
 レイの言葉に、
「あれ? もしかしたら、飛行機乗るの初めて?」とティナが訊く。
「えっ? あ、ああ、そうかも知れないな」
「はっ、それで、英語のことよりそっちが気になってるのね」
「そういう訳じゃないけど」
「大丈夫よ」
 ティナはテーブルの上に乗せていたレイの手の上に自分の手を重ねる。
 レイの身体に温かい体温が伝わる。
「・・・」
「大丈夫、大丈夫だから」
 ティナは目を瞑り、呪文を唱えるように繰り返す。温かい体温は身体中に染み渡り、心の中にまで広がって行った。
「大丈夫、大丈夫だから」
 そして、クリッとした目をこちらに向けると、
「これ、おまじない、あげる」と言って、レイにキスをした。
 長い長いキスだった。
 飛行機雲よりも、ずっとずっと長い……。



 搭乗案内のアナウンスが流れて、いよいよその時が来た。
「じゃあな」と呟き、レイは背中を向け、ゲートに向かう。
 ティナは黙ってその背中を見送っていた。
 ふと、レイは立ち止まり、またティナのいる方へ戻って来る。
 ティナが何? と顔を傾けると、レイはいつもかけている黒のグラサンを外し、ティナの顔にかけた。
 ティナには少し大きいのか、ずり落ちて鼻の頭に乗っかって止まる。
「ああ、よく似合ってる」
 レイは照れの無い、自然な笑顔をティナに向けた。
 その瞳は優しく、深かった。
 黒いサングラスの奥で、ティナは瞳を潤ませた。



 終


 『ハートにブラウンシュガー全13話』 完了

長い間、ありがとうございました。

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