往復note:(8) 絵画と音楽の関係性について

https://note.com/grasspanda/n/n7bc41722bb06

Kさんこんにちは。返信ありがとうございます。

日本人論については、これまでに色々な方が書いていますが、割と最近のもので言うと橘玲著『(日本人)』では、”日本人とはきわめて世俗的で、反権威主義的で、そして個人主義的な、つまり「利に聡く自分勝手な」国民”ということになっています。そのままでは自分勝手な国民である日本人が、社会を廻していくために空気という縛りが必要だったということになります。

先日、鳥取県岩美郡に行ってきました。岩美ブルーとも呼ばれる美しい青をたたえたリアス式の鴨ヶ磯海岸、その小さな入り江に露軍将校遺体漂着記念碑が建てられています。明治38年、日露戦争終結後にこの地にロシア将校の遺体が流れ着いたのを田後の村人たちが丁重に弔ったそうです。その「人類愛」を称えるために建てられた記念碑なのですが、これは慈愛の精神が根付いた日本人の行いだなと感じ、手を合わせてきました。(※今スマホが無いので後日写真を上げます。)

神仏を信仰する人が減り、自利的になった人々は田後の村人のような行いをするでしょうか。SDGsの旗が欧米を先頭に振られていますが、作物が育つのは土地の神様山の神様からのお裾分けなのだから毎年豊作をお願いし感謝をするだとか、柿がなったら鳥のために置いておいてやるだとか、自然との付き合い方から始まる慈愛の心を日本人は知っていたのだと思います。神様という可塑性のある心の余白を上手に持っていた。現代での心の余白の作り方と、余白を埋めさせない人間関係のたてかたを、創作者である私は作品を通して編み出していかねばなりませんね。

――――――

さて、絵画と音楽の関係性について回答します。

ちょっと話題を変えて、Tさんへ質問ですが、芸術大学というと大きく音楽科と美術科があるというイメージがあるんですが、絵画と音楽の関係性とか違いについてどう思いますか?個人的には、音楽の方が人の感情にダイレクトに素早く訴えかけるように思うのですが、一方で絵画はじわじわと訴える感じがしています。Tさんの意見を聞かせて下さい。

絵画と音楽の関係性や違いについて真面目に答えようと考えていると、ふと設楽先生の言葉が脳裏をよぎります。

「言いよどむ、黙る、ということが何より大事だ・・・」

…間違いなく、往復noteなるものを始めましたと報告すると「またそんなことをやらかして!」と怒られます(笑)。それらしい充実感を求めて実践しないということはついついやってしまいます。勉強するな!手を動かさないと、君は大変だよ!と言われたのは今も身に沁みます。はい、実践します、、、(とはいえ、私はマインドがうるさいのである程度はテキストで消化させてください、先生!)

私は、絵画も音楽もスポーツも差異はないと考えています。美の更新も身体の更新の一要素ですから。見えるものや言葉にできるものだけに惑わされない、そのことが何より重要です。差異を絵画や音楽の外から定義しても果たして意味はあるのでしょうか?彼らはするりと逃げて、また「宙ぶらりん」になります。この宙ぶらりんの状態になったり語ったりするのがまた難しい!だって言葉も宙ぶらりん………言いよどむしかないのですから。


ここで美と身体の更新について、一人のギタリスト、インプロヴァイザーを紹介します。Derek Baileyです。

Derek Bailey - improvisation #1 (2/2) (1985/04/22)

『captel tunnel syndrom』というタイトルのアルバムがあります。腱鞘炎になった手でギターを弾いた音楽は、彼の身体とギターのやりとりだけがそこにあります。


重複しますが、絵画、音楽、スポーツの見かけの形ではなく何をそこに描くことができて受け取ることができるかが重要です。芸術祭は必死に守ろうとするのに同じ口でオリンピックなんていらない!スポーツなんていらない!と言ってしまう美術家にはとても悲しい気持ちになりました。もっと宙ぶらりんになりましょう。(自戒を込めて)

―――――

さて、Kさんに質問です。

Kさんが何か言いよどむしかないものはありますか?次のnoteで、是非言いよどんでください。言いよどむしかない具体的な写真や絵などがあれば、それも添えていただけると嬉しいです。

宜しくお願いします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?