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信頼を知らない母と娘

最近、母と怒鳴り合った後に、怒りの意味を説明して、お互い納得して前に進むということがあった。
こんなこと、普通のことなのかもしれない。
だけど、私と母の間にはずっとなかったこと。

私は自分の気持ちを言葉にすることがとても苦手だった。
パッと感情を出して表現したり、自分の思いのままに主張をしたりが出来なくて。
笑える程度のことは話せるけど、真剣なことほど伝えられなかった。

私の母親もそういう人だった。
感情を出せず、考えすぎるタイプというか。だから、大事なことや分かりづらいことは、話し合いではなく、決定事項のように降りてくる。
母が『こうしておいたら?』と語尾強くいう時は、決定事項だった。
私は、そこに疑問が湧いていても受け入れる。
「子供だから・決定権はないから・分かってないから」そう思って、諦めていたし、自分で決めた後の結果が怖かったから、言われた通りにするという。

そして、段々と私の思考自体が、母の意向や価値観を察知して行動を決めるようになっていく。
小学生中学年くらいの頃の私は、家に帰ると家事する母の隣に張り付いて、母に延々と学校での話をした。楽しかったこと嫌だったこと、不当だと思ったこと、疑問だったこと、友達や先生を見て・聞いて、感じたことを話していた。

あの時は、自分で感じたことを話していたのだけど、母の反応を見てリサーチしていたのかもしれない。そうやって、物の見方や善悪の基準を母から得ようとしていたのかもしれない。そうやって、親を見て自分の価値基準を設定して、より母の意向を汲み取りやすくなっていく。
つまり、信頼関係を築いていた時間ではなくて、反応を見て相手に合わせられるように自分をプログラミングしていた。

子供は、そうやって自分の身近なものから自分の価値基準を確立していく。
だから、周りにいる大人や仲間の存在はとても重要で、本人が『どう感じたのか?そこからどう行動しようと思うのか』を引き出すっていうことはとても大切なのだと思う。
いろんな場面で、人を知るためにとやり取りして、お互いの想いや考え方を出し合って、これから進む道を探すこと。

それが『信頼関係を築く』という道の一歩目なのだ。
そんな当たり前のことに気づくのに、私は38年もかかった。
自分と母の関係に問題があると知ってから、丸5年かかった。

私には娘たちがいて、小学校中学年と高学年になっている。

私は、母との関係を子供らに見つめ直させてもらった。そして、人と信頼関係を築いていく道の一歩目の踏み出し方を知ることができた。

信頼関係を知るまでには本当にいろんな経験が必要だった。
ただ流されるままに教育システムに乗って、学校教育を半自動的に終え、
その後も半自動的に社会に出て働く。そのうち社会に慣れて一員になった
安心感や社会の中での家族という単位にはなれている喜びを得られたりする。
でも、その先の幸福感はやってきてはくれなかった。
あのまま家族という単位をただ続けていても一生得られることはなかった。

離婚してからは、親との問題に目を向けて、家族や社会のことを俯瞰して観ることを教えられた。
俯瞰してみても、実際に親と接するとこれまで溜め込んできた感情が溢れ出して収拾が付かないことばかりだった。そんな中で気づいたことは、私の母も人との間に『信頼』という感覚を得たこともなく、築き方も分からないまま育ち、確立された人だったということ。
だから、母は私によくこう聞いてくる『信頼って何ですか?』
そんな母のことがずっと許せず憎んでいた。ずっと、親のせいにして、私が求めていることなのに、親にないことを憐れんだり嘆いたり哀しんで、母にないから私も持てないんだと諦めようとしていた。

そんな私をいつもそばで励まして、支えてくれた人がいる。
『自分自身を信じること』『自分を信じることで相手のことも信じられること』『信頼されるってどんな感覚なのか』
そんな漠然としていた部分を明確に感じさせてくれた人がいたことで、私は自分自身と家族との関係を変えることができた。


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