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丸腰の「ただの私」になりたかった

今からちょうど1年と少し前の2月、私はそれまで夢中で働いた会社に退職の意志を伝えていた。  

2019年という年は新しい大切な出会いもたくさんあったけど、近年稀に見るほど、今振り返ると私の中では心身共にしんどい1年だった。

1月と9月と、年に2回の流産をした。
年始に切迫を告げられ、車椅子で飛行機移動して実家から自宅に戻り、寝たきりの生活。吐き気で本の文字やスマホの画面を見ることもほぼできなくて、ただただベッドに横になって天井を見上げて過ごした数週間。  

この「貴重な」時間は赤ちゃんが命をかけて私につくってくれたものだと精一杯自分勝手に解釈をして、この間、自分の仕事やこれまでのこと、これからどこに向かっていきたいのか、健康に仕事を続けていたら先延ばしにしていたであろうことについてこの時間を少しも無駄にするまいと必死で考えていた。  

会社に行ったらありがたいことにいつも目の前には仕事がある、お迎え行って帰宅したら「子供がお腹すいたー!抱っこー!」って言ってるバタバタの時間。
夜疲れて眠るときにふと思う、また今日もじっくり考えられないで1日が終わってしまった、、
と思いつつ2秒後には意識がなくなって一瞬で朝が来る。^^;  

多分この機会を逃したら私はまた日常に戻ってしまう。
そんな気持ちもあった。
どこに向かうかはわからない。
でも今目の前に敷かれている道をそのまま進むことは違うという自分の気持ちだけははっきりしていた。そろそろ分岐点に来ていることは自分でわかっていたし、ずっと自分の中に「やりたいことがある」「実現したいことがある」ということも薄々知っていた。

でもそれが何か、その時の私には濁った泥水のバケツの中に手を突っ込んでぐるぐるぐるぐる手探りで探して、取り出してはこれじゃないこれでもない、と探しているみたいな状態で、人にうまく言えないどころか自分でも長年の封印のうちによくわからなくなっているみたいだった。

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でも、この先何をしていきたいのかということが見えてこない一方で、それでもそのときに会社を辞めるという働き方を選び、決めることができたのは、もう一つ明確な気持ちがあったから。

それは「丸腰」になりたかったということ。    

会社や役職名、そういう枠組みや制度など、自分を説明するものを一旦全部手放して、私は本当は何もない人間だと、ひとりでは何もできない、ちっぽけな人間だということを、丸裸になって自分に証明したいような気持ちがあった。      

もっと言えば何か立派な肩書きがあったわけではないし、それまでの仕事もどれも想いを込めて夢中で駆け抜けてきたし、会社員であることそのものはむしろ問題ではなかった。
何よりもこれまで生きてきた私自身のそれまでのあり方から自分が逃れたい。そんな気持ちが徐々に大きくなっていた。    

今までもずっと人生のフェーズフェーズでそのときを果てしなく努力し全力でやってきたということは、嘘偽りなく言える。  

でもそれと同時に、その都度自分が何を求められているかを掴んでうまく立ち回り、器用な人とは言わないまでも不器用すぎるほどではないため、何をしてもそこそこのことは習得してそれなりにその場所で評価ももらえてきた。いつも気にかけてくれる人に恵まれていたし、いつも味方になってくれる守ってくれる人がどこに行ってもいて。人に恵まれて助けられて守られて私は安心して夢中になってここまで来られたということをずっと感じていた。  

そうやってうまく立ち回っているうちに、いつのまにかどれが本当の自分かが自分でわからなくなっている。  

自分の中にあるそんな部分(ある種ずるいところ)をどうにかして私は脱したかったんだと今思う。  自分にほんとうの自分をさらけ出したいかんじ。

何にもなくなったら私は何を考えて、どんな風に生きるんだろうと。
何にもないこと、無力なことが露呈してもいい。それでもいいから一旦今のほんとうの自分を知りたい、、みたいな欲求だった。  

そうして、その丸腰の「ただの私」になった状態で、そこから何にもない自分に何ができるか、人の役に立てるか、丸腰のまるごと自分で体当たりしてもう一度見つけたい。  

なんでそんな気持ちになるのかが自分でもずっとわからなかったけど、それくらい、たぶん私は本当の自分で生きていくということに飢えていたんだなと今思う。

だからこそ、会社員かとか、起業かとか、独立か副業か、そんなことは最終的に自ずと決まるものだと思っていて、

このときはまだ、進む道は見えてなかったけど、進み方や自分のありたいあり方ははっきりと自覚して見えていた。

自分が自分の気持ちに正直になって、初めて勇気を出して一歩を踏み出した、そんな自分の人生の岐路から1年以上が過ぎた。

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いつのときも、それまで夢中になってきた仕事や手放したいと思っている自分のあり方でさえ、それらを切り離すときには自分の一部がえぐられるようで、痛みを伴ってきたけれど、

今も、これからも、何がある何ができるということ以前に、丸腰で想いだけは純粋でストレートに強い「ただの私」のままで人の人生に向き合える、

それが自分のいちばんの強みだと言える、この先もずっとそんな自分でいたいと、前を見て胸を張って言える、

自分で踏み出して今になってやっとそこにたどり着けた。
今はそのことを自分の中でやっと誇らしく思う。


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