鈴木咲子/ Sakiko Suzuki

植物と文学 花屋の店主 https://www.hanaimo.com/

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最近の記事

末摘花(べにばな)

万葉集の中に「紅(くれない)」を詠んだ歌は多くありますが、そのほとんどは赤く染まった「紅色」のことを詠っていて、植物としての「紅花」を詠んだ歌は、たった二首しかなく、そのひとつがこの歌です。 末摘花(すえつむはな)とは「紅花」のこと。枝の先端(末)についた花を摘みとり、紅の染料にしたことからその名があります。 昔から「頬を染める」といえば「紅色に」であり、その様子は紅頬(こうきょう)という言葉があらわすように、くれない色を帯びた美しい顔のことを表しています。 ひるがえっ

    • 蓼食う虫も

      イヌタデ、ヤナギタデ、ハナタデと、蓼(たで)の種類はいがいと多く、ひと言に説明はしがたいのですが、その葉は古くから暮らしの中で活用されていた、いわば日本のハーブです。 蓼の葉がもつ青い香りとピリッとした辛味は、昔から食あたりや消化不良に効くとされ、また生葉をもんで虫よけにも使われたといいます。 夏ともなれば、鮎など魚にそえられた蓼酢が知られるところでしょう。あの青い切れあるさわやかさ。眼に浮かべるだけで、すっと食欲が回復する気持ちになりますから、これぞ生葉の薬効といえます

      • 暑さ雑感

        米国(こめぐに)の上々吉の暑さかな 小林一茶 昨日、久しぶりに日中の戸外へ出ましたら、「額に汗する」どころではない暑さに驚くとともに、容赦なく降りそそぐ熱射と溺れるほどの湿気には、ほんとうに、身の危険を感じました。上々吉の、なんて言っていられぬ暑さです。 一方で、この炎天の中にあっても華やぎ衰えぬ、街路樹として立ち並んだ百日紅の美しさはこの上なく、しばらくの信号待ちも花に労われた思いがしたり。 そういえば、7月22日は二十四節気の「大暑」でしたね。文字通り「大いに暑い」

        • 「謙虚な心と思いやり」花屋の向こう側

          あるとき虎が狐をつかまえました。すると狐は「自分は天帝から遣わされ、すべての動物の長になる者だ。食べてはならない。もし信じられないのなら、私の後からついてくれば分かる。動物たちは、私の姿を見ればみんな逃げていくだろう」と言いいます。 言われるがままに付いていくと、狐をみた動物たちは、狐が言った通りに逃げていきましたが、それは虎を見て逃げたにすぎませんでした。 とは、「虎の威を借る狐」という中国の故事。力のない小人が、強い者の権力に頼って威張ることのたとえです。 世の中に

        末摘花(べにばな)

        マガジン

        • 花屋の向こう側
          13本

        記事

          記憶の記録

          日々書き連ねていると、物知りですね、と言われがちですが、まさか。 ちっとも憶えないし、読んでも書いても、尽くして言って人に通じさせることもできず、仕方がないので今度こそ、忘れぬように書き留める。の繰り返しです。 自身のもの覚えの悪さはいったん棚にあげますが、「記憶」というのは面白いもので変容するんです。自分では鮮明に覚えているつもりでも、あるときの「思い込み」で、まちがった記憶が植え付けられてしまうことや、あるストレスを回避するために、自分の都合に合わせた意味づけをするこ

          パッションフラワー

          3つに分裂した雌しべが、まるで時計の長針、短針、秒針のように見えることから、日本では「トケイソウ」とも呼ばれるパッションフラワー(Passion flower)。 「パッション」と聞くと一般的には「情熱」と想起しますが、この花においての「パッション」は、実はキリスト教に由来する「受難」の意味を持ち、この植物のかたちは、それぞれに「キリストの受難」を象徴する形をしてるとのこと。 葉は槍(やり)、五つの葯は五つの傷。巻きひげは鞭(むち)、子房の柱は十字架の支柱。 おしべは木

          パッションフラワー

          暑中お見舞い

          梅雨があけ、ますます夏が漲りだしました。暑中見舞いの季節です。「暑中」とは、二十四節気の「小暑」から「立秋」の前日までをいい、暑中見舞いのお便りも、この間に出すようにします。近年は立秋が過ぎても暑さが残りますから、なんだか「残暑見舞い」のほうが、時期としては長く思えます。 昔は「お中元」という習慣も、いまより色濃くありましたね。本来の中元は「祖先の魂祭」とされ、嫁いだり分家した一族が親元に集まる際、それぞれが祖先へのささげ物を持ち寄ったのが起源とされます。お世話になった方や

          紫蘇の香り

          紫蘇しぼりしぼりて母の恋ひしかり  橋本多佳子 春に芽、夏に葉、秋に花や実が収穫される日本のハーブといえば。 そう、紫蘇です。 かつてドイツで知り合った現地在住の日本人が、ドイツに移住して以降、さまざまな植物を見つけては庭に植えてきたけれど、紫蘇だけは異国のどこにもなくて、こっそり持ってきたんだと、古びた鉢を見せながら、内緒話を聞かしてくれたことがありました。紫蘇だけはどうしても懐かしく、そして忘れられない香りだと。 記憶に染みつく、紫蘇の香り。 かくゆう私も、幼少の

          虹と蛇

          たでの花簾にさすと寝ておもふ  日のくれ方の夏の虹かな 与謝野晶子 虹と蛇。いずれも虫偏なことに気づきました。虫という字はもともと「ヘビ」の象形文字だといいます。ちなみにどちらも夏の季語。語源を調べれば、なんと昔の人は空にかかる虹を見て、大きな蛇と思ったとありました。 一方は、雨上がりの薄墨色の空の中に、七色の弧をなして現れます。一方は、じりじりと物音も絶えた地の上にのたりと現れ、不気味な眼を光らせる。 そんな似ても似つかぬ両者ですが、先人は美しさよりも、天に現れた現象

          凌霄花(のうぜんかずら)

          凌霄は妻恋ふ真昼のシヤンデリア 中村草田男 凌霄花(のうぜんかずら)といえば思い出すのがこの一句。 「凌霄花」の「凌」は「しのぐ」。「霄」は空や雲の意味があり、つるが木に絡みつき、天空を凌ぐほど高く登ることから、この名がついたといいます。 古木や垣根にまとわり、たっぷりとしたオレンジ色の花をたくさん咲かせる様子は、藤やブドウの勢いにも似てみえます。 今日日のけだるさなど意にも介さず、それどころか、こっちのことなど気にもとめず、伸びるに伸びて、咲くだけ咲いて、最後はぼ

          凌霄花(のうぜんかずら)

          みょうが

          日本には、それぞれの季節において、旬を表す「香り」というのががあります。夏でいえば、香味野菜もそのうちです。例えば紫蘇、生姜、山葵、そして、茗荷(みょうが)。 子どもの頃は苦手としていた香味野菜も、今となってはご馳走です。特にこの暑い夏、ひとときの命を全て引き受けたかのように香り立つ野菜を、たっぷり頂ける贅沢といったら、この上ありません。 茗荷といえばこんな話があります。むかしむかし、お釈迦様のもとに、自分の名前さえも忘れてしまうお弟子が一人いて、そのため釈迦は弟子の名前

          グラン・ブルー

          どうすれば人魚に会えるか 知ってるかい? わからない… 「You go down to the bottom of the sea, where the water isn't even blue anymore, where the sky is only a memory ….and you decide that you will die for them…. They come and greet you, and they judge the love yo

          たちばなの花

          香をかげば昔の人の恋しさに花橘に手をぞ染めつる 曽禰好忠 橘(たちばな)といえば、ミカンなど柑橘類一般の古称でもあり、古来からは春の桜とともに、日本人に親しまれてきた植物のひとつです。 古事記に、永遠に香る木の実「 非時香菓(ときじくのかくのこのみ) 」というのがあるそうで、これが橘に当たるとされてい、また万葉集のなかにも、橘を詠んだ歌は68首あります。 聖武天皇の歌に「橘は実さへ花さへその葉さへ枝に霜降れどいや常葉の樹」とあるのですが、この常緑木がいだく永続性を「文化

          お盆入り

          東京は今日お盆入り、新盆です。お盆はご先祖さまと過ごす期間とされていて、ご先祖が迷わずに家まで帰ってこれるように、目印となる「迎え火」を焚き、現世から迷わず帰れるように、その出発地点として「送り火」を焚くと言われています。 ご近所のお寺の入り口にも、きれいな蓮の花が飾られていました。こんな立派な蓮の花、いったいどこから来るんだろうと思ったら、なんと花蓮を専門にされている農園さんがいらっしゃるのですね。機会があれば、ぜひいちど訪れてみたいものです。 さて、今日はなぞなぞです

          戻り梅雨

          「雷が鳴れば梅雨があける」といわれます。お気づきかもしれませんが、暦の上では「入梅」はありますが「梅雨明け」はないんですよね。 すると先人は、これまでの経験を踏まえて、雷が鳴って降りだす大雨に「ああ、これで梅雨もあけどきだな」と察しをつけたようです。 「五月雨」といえば、いつまでも降りやまない長雨をいいますが、一度梅雨があけ、何日もかわいた晴天が続いたのに、再び天気がぐずつくことを「戻り梅雨(返り梅雨)」といいます。 やっと梅雨があけたかと思ったのに、不意を打つように、

          蓮の花

          昼中の堂静かなり蓮の花 正岡子規   仏教では、この花が潜む泥水を私たちが生きている「俗世」と考え、またその水中から咲き浮く花の姿は「悟りの境地」を象徴してるといいます。 まもなく東京はお盆。地方よりは一足先に、ささやかなお供えものの準備をし、家族とおがらを焚いて迎え火し、ご先祖さまを迎えます。 いまやマンションばかりの下町ですが、残された戸建ての前から煙る火の匂いがしてくると、夏に入った実感と無事に過ごせることを、願います。きっとこの夏も。 こんな日本の習慣、風物詩