鈴木咲子/ Sakiko Suzuki

植物と文学 花屋の店主 https://www.hanaimo.com/

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最近の記事

台風雑記

昨日は二十四節気の処暑。この場合の「処」は「収まる」という意味で使われており、したがって処暑は「暑さが収まるころ、落ち着くころ」という意味をもちます。 今年の夏は例年以上に酷暑が続きましたが、立秋あたりからにわかに吹きぬく夕風を感じ取るようになりました。そのような気配の変化も、暦を知ってなければ、感じとることもなかった季節感だったのかもしれない。そんなことを思います。 さて、九月の声が聞こえる頃になり、その声を届けるかのように台風がこちらに向かっております。昔は台風にあた

    • 左巻の朝顔

      朝顔は、いけばなの出生と共に選ばれてきた花。いとも涼し気で清涼感ある佇まいは、朝に迎えるお客にもふさわしく、茶花として用いられることは、利休の逸話でも知られるところです。 あっさりとした風情ではありますが、花の命は短い一日花。それ故、その美しさを一瞬のうちに見せるには、扱う作法にも決まりが多く、古くから伝花(いけばなにおいて、それぞれの流派によって定められた規則)としても重く位置付けられています。 一般的には、日常の花として賞美されますが、一方、祝い花としては相応しくない

      • 一房の葡萄

        有島武郎の短編に『一房の葡萄』というのがあります。もともと好きな作家ではありますが、このちいさい物語にひろがる色彩豊かな描写と美しい筆致は、またも読んでひと目に好きになりました。 ここには絵を描くことが好きな「僕」と、クラスメイトの西洋人ジム、そして僕が心を寄せる、若い女の先生が登場します。 「僕」の通う学校は、横浜の山の手にありました。西洋人が多く住む町でもあり、通学路から見る景色は、建物も、海の青も、船から見える煙の色さえも美しく、それは「僕」に言わせると「眼がいたい

        • さんごじゅの花

          「海の向う」は、山田耕作 作曲、北原白秋 作詞の日本の古い童謡です。 ここに出てくる「さんごじゅ」とは「珊瑚樹」のこと。6~7月ごろに白い花を咲かせますが、真夏になると赤い実がつくことから、その実を珊瑚に見立ててこの名がついてます。 主には南国に育つ木のようで、ゆえに九州出身の白秋にとっては、目に馴染みのある植物だったのかもしれませんね。 さて、サンゴジュは別名「アワブキ」ともいうそうで、それは材に水分を多く含んでいるため、燃やしても泡を吹くだけでなかなか燃えにくいこと

        マガジン

        • 花屋の向こう側
          14本

        記事

          姓名と植物の関係

          よく見れば、私たちの「姓名」には実に多くの植物名が使われています。たとえば苗字(性)には、藤、桐、梅、菊、榎。名には、桜、桃、葵、百合、楓などです。 きっと皆さんのまわりにも、ご家族、お友達、お仲間に、そうした素敵な名前の方は、いるのではないかしら。 このような植物由来の名付けは、欧米諸国なら、著名人や文化人の名からも見てとれます。たとえばマーガレット、ローズマリー、ベンジャミン、アルダーといったように。ほかにもいろいろありそうですね。 さらに時代を遡りますと、アメリカ

          姓名と植物の関係

          夜の秋

          昼間は炎暑が続いているものの、夕暮れにもなるとやわらかな風を感じるようになりました。昼間の空はまだ夏だけど、夜の風には秋の気配。 このように、夏のたたずまいを残しつつ秋の兆しがただよう夜のことを「夜の秋」といいます。秋の夜、ではなく、夜の秋、です。 ほんのわずかな日の傾き、ひとすじ抜ける風にも、季節の移ろいを感じとり言葉においた、先人の感性。 ちなみに「今朝の秋」という季語もあり、これは立秋の日の朝のこと。 いずれにも、こんな三、四文字から季節の移ろいがうがかい知れる

          夏の雲は岩のように

          東京は台風一過の夏の空、青い空に白い雲、文字通りの夏空です。 俳人 正岡子規は雲が好きだったのか、「雲の日記」など、雲ついて書いた短文を、いくつか残しています。 春の雲は綿のように、夏の雲は岩のように、 秋の雲は砂のように、冬の雲は鉛のように。 夜明けの雲は流れるように、昼下がりの雲は湧くように、 暮れゆく雲は、焼けるかのように。 単純な言葉ですが、これだけでも、子規と空を見上げている気持ちになりますね。そういえば、子規が登場する『坂の上の雲』、このタイトルも、ひょっと

          夏の雲は岩のように

          島唄の花

          「でいこの花が咲き 風を呼び 嵐が来た」というフレーズは、宮沢和史 作詞『島唄』の歌いだし。ご存じの方も多いと思いますが、沖縄にはこれに重なる「デイゴの花が見事に咲くと、その年は台風の当たり年」という言い伝えがあるそうです。 デイゴは沖縄の県花で、花の咲く時期は夏前です。深紅色をした燃えたつように美しい花が、3月から5月頃に咲きます。 しかし、実際は毎年咲くわけではなく、年によって花の量も変わることから、沖縄の人はデイゴの咲き具合でその年の台風を占うらしく、「デイゴがよく

          終戦の日

          今日8月15日は日本における終戦の日。その戦争は1941年12月に始まり、1945年8月14日のポツダム宣言受諾および、15日正午、天皇自らが「終戦の詔書」を読み上げる玉音放送によって、国民は終戦を知らされました。 戦争が終わってからも、人々は飢えに苦しみながら、家族の帰りを待ち続けたといいます。ながく苦しい暗黒の時代。 当時のことを、花森安治はこう遺しています。 赤い夕陽は野を焼く火に重ね、野の花は食べるために引き抜いた。空襲におびえる心を照らす、月の光さえも憎かった

          私の耳は貝のから

          堀口大學が訳詩した、 ジャン・コクトーの一行詩『耳』。 原詩は6篇の短詩から成る作品『カンヌ5番(Cannes V)』ですが、堀口には、この詩を本歌取りしたと思われる『夏の思ひ出』という詩があります。 みれば原詩を連想させるような言葉がならび、かさねて読むと、まるで万華鏡を覗いてるような気持ちになります。 しずかに静かに耳をすませば、いつかの海の響きのように、あの日の声も蘇るかもしれない。ご紹介しましょう。今日もいちりんあなたにどうぞ。 ハマナス 

          私の耳は貝のから

          ダリア

          俳句でダリアは夏の季語。短歌にも、梅雨に詠った歌がありました。このように本来は夏の花、昼夜の気温の差がでてくる晩夏から初秋にかけて、見ごろを迎える花ですが、近年の日本は夏があまりに暑すぎるため、本格的な花の盛りは、仲秋10月ごろに迎えるようです。 ダリアはメキシコ原産の花。昔からヨーロッパをはじめとして改良が盛んにおこなわれてきた花で、今でもさまざまな品種があり目を楽しませてくれます。日本では秋田のダリアが知られるところ、その美しさは花の華麗を極めます。 さて、先に紹介し

          新盆

          「新盆(にいぼん)」は、ひとが亡くなり、忌明け後に最初に迎えるお盆のこと。「あらぼん・しんぼん」ともいいます。呼び名はどれも正解です。 初盆というのは比較的、西日本での呼び方で、東日本では一般的に新盆(にいぼん)といいます。 ちなみに東京のお盆は七月で、これも八月の旧盆に対して新盆(しんぼん)といいます。 そのため「新盆」というと、意味あいとしては2つ持ち合わせてることにもなるわけです。 さて、 そのお盆ですが、「新盆供養はていねいに」とも言われるように、初めて迎え

          夏の日の歌

          まるで古き時代の日本映画にみたような、情景がひろがる夏の歌。 夏の空には何かがある、 いじらしく思わせる何か。 何だろう。 今日もいちりんあなたにどうぞ。 ムクゲ 花言葉「信念」 Text フラワーギフト専門店 「Hanaimo」 店主 普段はお祝いやお悔やみに贈る花、ビジネスシーンで贈る花の全国発送をしている、花屋の店主です。「あなたの想いを花でかたちに」するのが仕事です。since2002 https://www.hanaimo.com/

          盆帰省

          盂蘭盆や 葵も高く花を終ふ  中村汀女 今日からお盆休みに入られた方も多いことと思います。 「帰省」とは、たんに故郷へ帰ることをいうのではなく、帰郷して、父や母の姿を省みることをいいます。 遠く見えなくなった父の背中も、握ることのできない母の手も、ずっと忘れていない事、ずっと想われてきたことを、じぶんに向き合い省みる。盆とはそんなひとときです。 今年は誰に会えるかな。ゆっくりお過ごしくださいね。今日もいちりんあなたにどうぞ。 タチアオイ 花言葉「恩恵」 Text

          雨乞いの歌

          古くから日本では、ひでりが続くとさまざまな方法で「雨乞い」をしたそうで、たとえば天皇の命令で高僧がお経をあげたり、農民が踊りを奉納したり、はたまた和歌や俳句の功徳で、雨を降らせたという伝説もあります。 この歌もいわば「雨乞い歌」のひとつで、かの小野小町が京都の神泉苑で詠み、雨を降らせた歌としても知られます。 「我が国は ”日の本”といいますから、こうして陽が照るのも道理でしょう。しかし ”天(雨)が下” ともいうのです、もっと雨が降ってもいいでしょうに。とそんな歌。 「

          初秋にて

          昨日は立秋。とはいえ上の歌にもあるように、目に見えて秋を感じるにはまだはやく、日中の暑さは盛夏をしのぐほど、 年々四季のずれが生じていることもあり、肌感覚的にも、季節をとらえにくなっているのを感じます。 そうした季節のずれやゆがんだ感覚を整えるのに、役に立つのが「二十四節気」で、それにならうと、陽暦の8月8日ごろから11月6日ごろ、すなわち立秋から立冬の前日までが「秋」。そう、いまは秋なのです。 以前にこんな図譜をつくったのを思い出しました。ご参考まで。 さて、秋は「