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花屋の向こう側

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花屋をはじめて20年余り。日々、こんなものだろうと思ってしてきた仕事も、あらためて振り返ってみると「あたりまえ」ではないことに気づかされることが多くなりました。技術的なことはさて… もっと読む
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記事一覧

「躑躅に思う」花屋の向こう側

ほんとうに今年は季節がぱたぱたと進んでしまい、いま東京の景色には、躑躅(ツツジ)の花が満…

「花屋と子どもたち」花屋の向こう側

先日のこと、店の奥で仕事をしていると、聞き覚えのある声が、花屋を覗いている事に気づきまし…

「梅にうぐいす」花屋の向こう側

北大路魯山人の随筆に『梅にうぐいす』があります。 ある日のこと、魯山人に教示を受けようと…

「ダメな子」「悪い子」なんて、ひとりだっていない。

以前のこと、学校帰り花屋に立ち寄ってくれた小学生に、仕事中に折ってしまった使えぬ花を一つ…

「謙虚とバランス」花屋の向こう側

「自分がされたいことを他人にもしなさい」はイエスの言葉。 「自分がされたくないことは他人…

「教えるの語源は「愛しむ」」花屋の向こう側

数ある松陰先生の言葉の中でも、とりわけ好きな言葉です。 ここでは、愛惜しむ心を持ち続ける…

「わかる。ということ」花屋の向こう側

近年は、遠くに離れた場所のことでも瞬時に情報共有できるので、目や耳で得た情報だけで、人の気持ちまで知った気になる危うさがあります。 人は「相手をわかりたい」という欲求が高まると、どうしても身近な手がかりだけで、つじつま合わせをしようとします。相談を持ち掛けられたときは尚のこと、「わからない」という曖昧さに耐えきれず、不安になり、ときには後ろめたさを感じ、持ちあわせの知識や情報を当てはめて、性急に「わかった」にたどり着こうとしてしまう。 このように「知りたい・わかりたい・理

ひきだしの花

昔、ある先生のアシスタントをしていた頃がありました。することは、先生のお世話、だんどり、…

花屋の向こう側

花屋をはじめて20年余り。オンラインで22年、オフラインで10年。 それはもういろんな出…