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日記#1


今週は4日間のお休みをもらって3日間の出勤。

今週感じたこと。
①自分の行動スイッチが比較的外部要因に影響を受けること
②決めることの先送りと比例して身動きがとれなくなること

①自分の行動スイッチが比較的外部要因に影響を受けること

仕事でも休日の用事でも、「気分が乗らないな」「行きたくないなぁ」と感じたとき、とことん動き出すのに時間がかかることが多い。
動き出したら、最初あった憂鬱な気分は無くなって動き出せるんだけども最初の一歩がとても重い。

認知行動療法の気分と行動のサイクルじゃないけど、行動することで気分が変わる、というのは頭ではとても理解できる。
が、勉強してわかっていてもいざ自分ができるとは限らないなと痛感する。

そんな憂鬱な気分で行動できず、もじもじしているときに、ふと何気ないいいことがあったり、ちょっと気分が上向きになるような出来事があると、それだけで一気に動き出せたりする。

そんな自分をみて、なんと単純な、、と呆れる部分もあるんだけど、こんな些細なきっかけで人って動けるんだ、とも思う。
一方で、憂鬱な気分のときに動き出せる一歩・スイッチを自分の中に持って自分で押せることができたほうがもっといいよなとも思う。

もちろん自分でスイッチを入れることもできるんだけれど、どちらかというと外部きっかけの方が多いな、と、それじゃちょっとよくないな、と改めて反省した1週間。

あと、自分で自分を動かす私にとっての内部スイッチは何なのかなと振り返ってたんだけど、書くのは恥ずかしいのでまた今度。


②決めることの先送りと比例して身動きがとれなくなること

毎日毎日、朝起きた瞬間から寝る直前までたくさんの意思決定をしてると思うんやけど、「決める」ってストレスだしエネルギーがほんとにいるなと。

「決められていない」という物事が積もり積もっていくと、頭の中に「ごみ」がたまっていく感じで、どんどん身動きがとりづらくなるな。

頭の片隅に「決められていない」事項が常に気がかりとして存在していて、ほかのことに集中できないことが多くある。
集中できないから判断もできなくて、余計に決められないごみが頭の中にたまって負のスパイラルにはまる感じ。

と、頭でわかってるのに決められないのは何なんでしょうね。
だって気がかりなことを決めてしまえばその後とてもすっきりして他のことに取り組める感覚をなんども体験しているのに。

その体験をもとに正のサイクルを強化してほしいもんですね。

決められない要因には何があるのかなと。
①決めることによって自身に嫌な感情(ストレス)が生じやすいもの
②自分がどうしたいのか((自分の気持ち))がわからないとき


①決めることによって自身に嫌な感情(ストレス)が生じやすいもの
決めることによって自身に嫌な感情という不利益がくるときって、それを避けたくて決めることを後回しにしがちだなと。
でも去年に比べたらだいぶ改善されてきたな、とも思う。

というのも、自身の感情に左右されていたら達成できないものがあって、より高次な目標とか目線が自分の中に常にもてるようになってきたのかな、とも書きながら思う。

ストレスのかかることも、視線を一段あげれば乗り越えられるなぁと感じる。


②自分がどうしたいのか((自分の気持ち))がわからないとき

自分がどうしたいとか、やりたいのかやりたくないのか、とか自分の気持ちって究極わからないよな、とも思う。
自分の気持ちって自分の中だけで生じてる感情じゃないんじゃないかとも思うし、周囲の影響を常に受けているので、唯一無二のものでなくてとてもうつろいやすいものじゃないかなと。

なので、自分の気持ちが大事、というのは確かにそうなんだけど、一方でそこまで神聖するものでもないのかなと、書いてて思う。

「自分どうしたらいいんだろう」って考え始めると、ほんと堂々巡りになって決められなくなるし、どちらの選択をしても大した差はないんだろうな、とか、決めた後どうするかしかないよな、とか思うと、案外決められたりもする。

自分が決めた選択を後悔したくないし正しいものにしていくためにもいろんな意味づけをしていくんだろうな、とも思うので。


いろいろ書いたけど、とりあえず、「メールの返信はためない」を改めて注意しよう、と思った休日でした。


少しずつ、自分の考えてることを言語化していく練習をしていきたいなと思い、まずは書く作業を積み重ねようと思います。

写真は数年前に地元の友達といった白川郷、暑かった・・・。

おやすみなさい。

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