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私が富士登山をリベンジした意味Part1

正確に何年前だか思い出せないくらい、十数年前の富士登山での苦い思い出から、お話は始まります。



七合目付近でバテ始め気持ち悪くなり、またたく間にツアー参加者から遅れて一番後ろになりました。


「自分の命は自分で守りましょう」



富士山を登る上で、ガイドさんより登山開始で前に大切なお話がありました。


思い出される言葉と共に、これは自分に無理のないペースで登らないとヤバい・・


そう感じて休憩後は、ゆっくり最後尾で歩こうとすると「そこのあなた、前を歩いて。」ガイドさんから言われました。

登山未経験、前を歩くほうが楽だと知らない無知な私は、無理する事ができないという自己判断をして「無理です。」と伝えました。


当時の私は、無理なことはNOと言える自分でいたい気持ちが強く、心も体も精一杯に言葉を吐き出したのでした。


「ダメ、前に来て。」という登山ガイドさんの言葉に、小さな言葉で「無理です。」と言い続けながら、涙がポロポロ流れます。


(「いや、だってもう遅れて歩いてきてる人いるし、なんで私だけ前を歩かなきゃいけないの?自分の命は自分で守れって言ってたじゃん!」)



確かこんな事も感じていた記憶を書きながら思い出しました。


気付けば声を振り絞るように「だから、無理って言ってるじゃん!」と過呼吸気味に反抗していました。


そしてガイドさん「あんたのせいで皆が迷惑するんだよ!」と言って、他の参加者と共に登山を再開しました。

富士山七合目付近、張り詰めていた糸が切れて涙が止まらず大号泣・・


後々振り返ると、この涙の意味は、登山ガイドさんに父親を投影した心の傷によるものだと気付きました。

絶対に逆らうことができない抑圧的な父の暴力は、私が母のお腹にいた頃から始まっていて、肉体的、精神的な虐待は母と父が離婚する中学生まで続きました。



まさか富士山で大声を上げて泣くとは・・登山ガイドさんに伝えた「無理です。」という言葉は、



私なりの精一杯の正直な表現=自分を生きるだったのですが、


いま振り返れば、体力がない場合は先頭を歩いた方が楽という事も知らない、無知さには恥ずかしくなります。

同行者の叔母が付き添われながら落ち着きを取り戻した、当時二十代前半の私は、悲しみのエネルギーを怒りに変えて、登山ガイドさんへの怒りMAXで山小屋を目指しました。

こんな状態ですから、体調が良くなるわけもなく、山小屋ではご飯も食べられずトイレに籠り、深夜に出発するご来光には行くことができず、苦い思い出が刻まれていきました。


やりきれない気持ちと共に八合目の山小屋で見たご来光。山頂でご来光を見たツアー参加者が戻ってきては、清々しいエネルギーを感じて、行けなかった事への悔しさが残りました。


当時の私は家庭環境のトラウマにより、フラッシュバックや過呼吸、不眠症に苦しむ渦中にいたので、

よくそんな状態で富士山に登ろうと思ったなぁ〜とも思いますし、八合目まで行けただけでも凄かったと、改めて褒めてあげる気持ちになりました。

時を経て徐々にトラウマから開放されていきますが、道のりは長く富士登山のリベンジをしようと思えるようになるには、時間がかかりました。

そして、いよいよその時がやってきたのです。2022年の夏。十数年振りの富士登山リベンジ。Part2に続きます。

最後まで読んで下さりありがとうございます。少し長いですが、最後までお付き合い下さると嬉しいです。


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