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どのように社会問題と向き合うか問い直す

私が初めてインドを訪れたのは、20歳のときだった。

始めは旅人としてインドに魅了され、何度か訪れる中で、貧しい家庭に生まれたというだけで機会がない人たちと出逢い、「理不尽な環境下に生まれても、誰もが機会を得ることができ、夢や目標に挑戦できる社会」にしたいという志ができた。

それ以降、休学してインドで働いたり、フィリピンやインドネシアでソーシャルビジネスを学んだり、

そしてスラム街の女性の経済的自立を目指したソーシャルビジネスを起業したのち、貧困地域の教育問題に取り組んでいたら、気づけば、初めてインドに渡航してから10年が経っていた。

スラム街で女性たちとのミーティング


インドと長く関わって活動をしていると、よく聞かれることがある。

「インドが好きだから、インドで活動されているんですか?」

「インド好きなんですね。このままインドに骨を埋めるつもりなんですか?」

たしかに、旅行者としてインドに魅了された一人ではあるものの、私が活動を続けているのは、

好き嫌いではなく、あまりにも理不尽で、自分の努力ではどうにもならない状況にいる人たちがあまりにも多いと感じているからだ。

そして、長く活動を続ける中で、もはやその人たちは「遠い国の誰か」の問題ではなく、「わたしの友人たち」の問題となったからだ。

生まれた環境が原因で機会がなく、努力するための一歩さえ踏み出せない人は、インド以外にももちろん存在するだろうと思うので、そのような状況があれば、国を問わずやっていきたいと思っている。



これまでインドでは主にスラム街を中心に活動をしてきた。

創業前、インドのスラム街の女性に雇用をつくる事業をはじめると話すと、スラム街の女性のエンパワーメントに取り組む団体の代表のインド人女性に、スラム街で活動するのであれば、 "You have to be very bold."(大胆でいなきゃね) とアドバイスをもらったことがある。

以前、こんなことをツイートしていたが、まさしく、現場に深く入り込んで活動することは、勇気のいることでもある。


それは、彼らは単に「仕事がないから貧しい」に留まらず、あまりに複雑な社会問題に囲まれているため、その事実を深く知れば知るほど、絶望が増すからである。

彼らの抱える問題はとても複雑なので、短期で劇的に変化を起こすことは難しく、私一人で解決できるのであれば、とっくに社会問題は解決しているはずだが、当然、そう事は簡単ではない。

そのような複雑に絡み合った社会問題をビジネスで解決しようと、社会的インパクトと経済合理性の狭間で葛藤し、焦り、まるで短距離走のごとく駆け抜けてきた。

昔、ある経営者の方に「事業はマラソンみたいなものだからね」と言われたが、その意味が今やっと実感を持ってわかるようになった。


教育問題という、分かりやすく短期的な結果が見えづらい社会問題に向き合うようになり、さらにインドの社会問題に関わってから10年が経ち、

いまやるべきと思うことは続けながらも、

長期的に、社会課題を解決し、大きな社会的インパクトを生み出していくために、どのように前提となる社会や社会課題を定義し、捉え、どのように解決していくのか、一度問い直したいと考えるようになった。

それは、「自分がよい人生を生きるためのキャリアの再検討」というより、
機会のない人に機会をつくるために、凡人の私がどのようにこの社会問題にアプローチするかの、再検討である。

曲がりなりにも、これまで貧困地域の現場で、特にスラム街のみんなの顔が見える近さで貧困問題の解決に取り組んできた。

さまざまなトライアンドエラーをする中で、いかに自分にできることが小さなことであるか痛感した。

力不足を痛感したからこそ、自身の僅かな経験則だけでなく、
大きな社会的インパクトを生み出し、本気で「理不尽な環境下に生まれても、誰もが機会を得ることができ、夢や目標に挑戦できる社会」の実現に向けて、さまざまなネットワーク、視点、知識が必要だと感じる。

新婚旅行で訪れたスロベニアで、何度も未来の話をした


答えを探しに行くのではなく、より確度の高い仮説をもつために、新たな挑戦をしたいと考えている。

引き続き現場と向き合いつつも、次の目標に向かって、淡々とやるべきことをやって、生きていきます。


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