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わたしがインドで貧困問題解決に取り組む理由
最近、新しく知り合う方と話す機会が多く、「なぜ、インドで貧困問題に取り組もうと思ったんですか?」とよく聞かれるので、改めて自己紹介がてら、インドで貧困問題に取り組もうと思った経緯について書こうと思う。
過去に多数のインタビューでインドでの挑戦の経緯を取り上げていただいたが、幼少期から遡ってアウトプットするのは、初めてかもしれない。
人との出会いや、様々な経験をする中で、過去の経験に対する自分の解釈は常々変化していくものだと思っている。なので、これは今の私から見た過去に過ぎない。
遠くに行くことばかり考えた幼少期
私は生まれてから高校を卒業するまで、地方の田舎で18年間過ごしてきた。
実家の周りは、鳥のさえずりや川のせせらぎが聞こえるほど自然豊かだ。
当時はスマホなどは勿論なく、近所に公園やゲームセンターなど、子どもが出掛けに行く場所もなかったので、自然の中で創意工夫をこらし、様々な遊びを生み出していた。
森の中にアルプスの少女ハイジにでてくるようなブランコを作ったり、友達と秘密基地を作ったり、川に鮎をつかみに出かけたり、植物・昆虫を採集、観察をしたり・・・とにかく毎日日が暮れるまで遊んでいたと思う。
小さい頃、親に「~しなさい」とあれこれ言われた記憶はあまりない。
自由闊達でユニークな姉と妹に囲まれながら、のびのびと生きていた。
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今思えば、この大自然の環境が「好奇心」や「ないものは自ら生み出す」精神を醸成していたのかもしれない。
ただ一方で、1学年1クラス(=30名前後)の小・中学校で、9年間同じメンバーと過ごし、人間関係にほとんど変化のない中で友達関係に悩み、生きづらさを感じていた時期もあった。
手作りのブランコに揺られながら、なぜ自分は生まれ、ここに生きているのかと子供ながらに思いを巡らせ、
「早く大人になりたい」と願い、どこか遠くにいきたいと思うようになった。
海外に関心を持ったきっかけ
中学生の頃だっただろうか。
父親が、勤めている会社で海外事業担当になり、中国や東南アジア諸国に頻繁に出張に行くようになった。
父が出張から帰るたびに聞かせてくれた話から、私の知らない世界には貧富の格差があるということ、様々な価値観があるということを知り、外の世界を自分の目で見たいと思うようになり、
そのころから、私は「世界を舞台に活躍するビジネスパーソン」になることを夢見るようになった。
とても安直な考えではあるが、海外で仕事をするなら、英語は必須だろうと思い、高校時代に英語のスピーチコンテストに出てみたり、
当時はSNSは今ほど盛んではなかったので、ペンフレンドといって、海外の同年代の子と手紙交換ができるサービスを活用して、フィンランドや中国の同年代の子と英語で文通をしたりしていた。
バックパッカーとしての十数カ国の旅
そんな私が大学入学当初やりたかったことは、世界で活躍するビジネスパーソンになるべく、アメリカに英語とビジネスを学びに長期留学行くことだった。
ただ、ある大学の先輩の影響で、途上国に興味を持つようになる。
その先輩は、インドやアフリカなど様々な国をバックパック1つで旅をし、「世界の子供たちの、教育の格差是正に取り組みたい」と夢を語り、途上国での経験を話してくれた。
自分には想像もできない世界があると知り、その世界を自分の目で見て知りたいと思い、数カ月後に私もバックパック1つで旅を始めた。
タイ、ベトナム、カンボジア、オーストラリア、インドetc..
バイトで貯めたお金を使って、長期休みの度にバックパッカー旅をするようになった。
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旅先で様々な国、文化、バックグラウンドをもつ人たちと出会い、日本に生まれたことはとても恵まれたことであると気づいた。また、世界には私が思いもつかないような多様な人生の歩み方があり、自分の人生は自分の意思で決めていけるんだとも感じた。
いままでの暖かくも小さな世界から、初めて外の世界に飛び出したことで、その面白さを実感した私は、旅から帰った後、少しでも自分の感じた世界の魅力を伝えたいと思い、大学で旅の魅力を伝える学生団体をたちあげた。
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インドの貧しい子どもたちとの出逢い
その後も機会があればバックパッカー旅をしていた私だが、初めてインドを訪れたのは二十歳の時だった。
すべて飲み込まれそうになるほど圧倒的なエネルギーと、困っていたら誰かがそっと手を差し伸べてくれる人懐っこい人々に魅了され、学生時代に計10回以上インドに渡航した。
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それほど頻繁に旅をしても、地域によって、文化、宗教、自然、人も異なり、訪れるたびに新鮮な驚きがあり、飽きることはなかった。
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その中で、たまたま訪れたビハール州のブッダガヤ。お釈迦様が悟りをひらいた地で、今でも世界各国から仏教徒が訪れ、瞑想や、祈りを捧げる仏教最大の聖地である。
同時に、インド最貧困州とも呼ばれる州で、教育や雇用機会など様々な問題を抱えている。
インド都市部の識字率の平均は、87.7%。
ビハールは識字率の最も低い州のひとつで、中でも女性の識字率はさらに低く、60.5%。
そんなビハール州を偶然訪れたとき、理不尽な環境下に生まれたために、勉強する機会がない子供たちと出逢った。
とある孤児院を訪問すると、真っ暗な部屋の床で、小学生~中学生の子供たちが熱心に勉強していた。
孤児院を運営するNGOの職員に話を聞くと、親が貧しくて子供を育てられないため捨てられた子や、両親が亡くなってしまった子などがその孤児院で学び、生活をしているそうだ。
そんな厳しい環境で育った子たちだが、ある小学6年生くらいの男の子は、「自分はいろんな人に助けられて生きてきたから、僕も大人になったら貧しい人を助ける仕事がしたいんだ」と真剣な眼差しで話してくれた。
一方で、NGOは資金繰りが大変で、皆を高校に行かせるだけの支援をすることが難しいと苦悩を語ってくれ、実際に付近の村では家庭が貧しいゆえに、大学まで行きたかったが進学がかなわず、学校をドロップアウトしてしまった多くの子たちと出会った。
その状況を目の当たりにし、生まれる場所なんて選べないし、人生のくじ引きで偶然インドの貧しい家庭に生まれたというだけで、機会が得られないなんて、なんて理不尽だろうと憤りを感じた。
振り返れば、私にも幼少期に周りに馬鹿にされた経験があり、学校で居心地の悪さを感じていた時期があったこともあり、
当時の自分と、環境のせいで自分らしく生きられない子どもたちの姿が重なり、自分とインドの子供たちの何が違うんだろうと考えた。
ありがたいことに私は、バックパッカー旅など、やりたいことを思う存分挑戦することができた。
一方、インドで出会った子どもたちは、この現状を抜け出すための努力する機会さえも与えられていない。ここに生まれたというだけで。
それがきっかけで、「貧困に苦しむ、理不尽な環境から抜け出して、夢を叶えられる社会を創りたい」と思うようになり、貧困問題の解決への挑戦が始まった。
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