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光がよぎる


人生って大抵が、自分本位ではないことの連続だ、と思う。
生活のために働くことも、言ってしまえば自分の生命維持のための活動だと思うのにどこか自分本位ではないし、仕方なく起きて仕方なく用意して仕方なく仕事に行く朝なんてままある。
家事ひとつ取っても、面倒くさいことは山ほどある。その作業によって自分の生活が清潔に、健やかになっていくのだとわかってはいても、やりたくないこと、重い腰が上がらないこと、そんなことの連続ですよね。

でもそういうこと(自分本位ではないことの連続)のなかにときどき、ハッと顔を上げたくなるような光がよぎる瞬間があって、でもそれは“よぎる”のであって、無論ずっと差している光ではない。
だけどそれは“よぎる”からこそ、輝いてみえるのではないかとも思うし、ずっと存在しないからこそ鮮明に、心の底まで照らすのかもしれない。

わたしがまだ学生だった頃、コンビニでアルバイトをしていたときのことで、すごく心に残っているエピソードがある。
エピソード、というか、本当にたわいもないただの一瞬の話なのだけど、そのときわたしはものすごく心洗われたなぁというのが、今でも胸に、しっかりと残っている。
世間はゴールデンウイークで、でもわたしはいつもと変わらずシフトに入っていて。その日のコンビニの店内は、とても明るかった。不思議なもので、いつもと変わらない作業の繰り返しをしながらいつもと変わらない店内の陳列を見て、いつもと同じ順番で繰り返す店内放送を聞いていても、世間がゴールデンウイークだということをなんとなく感じる。肌感覚とでも言いたい感じのものだ。
そんなときにレジで、一人のお客さんが、「今日も仕事ですか?」と声をかけてくれて。その瞬間にうっすらと、世間と自分がつながったような感覚と誰かが自分を見てくれているのだという感覚で、心がとても軽くなった気がした。
毎日同じことの繰り返し。面倒くさいなと思うことの連続。意味なんてあるのかな? と考えたら余計しんどくなってしまうから意味なんて考えないようにしていること。でも、そんなことのなかにいるから、誰かがわたしを気にかけてくれているということが一層嬉しく感じるのかもしれないし、それが光になり得るのだと思う。

だから、毎日が、ずっと変わらずに楽しく、おもしろく、自分にとって優しいものでなくても構わないのだと心から思いたいと思う。
沈んでいく気持ちがあったり、なんの意味があるんだと思ったり、自分なんて…… と感じたり。でも、そんな気持ちがあるからこそ、浮かんでいく感覚をたしかに感じ取ることができるし、光がよぎったことに気づくことができるのだと思う。そして知らず知らずのうちにわたしもまた、誰かの光になっていられたらいいと願う。

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