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魅力的な人

転職先が決まりました。

決まってから、バタバタとして言葉に起こす余裕がなく、そういう気分でもなく、noteの更新も滞っていました。

でも今、こうやって言葉を綴ることが改めて楽しいです。

怖いものなら人生においてたくさんある。
でも怖さを肉付けするより、まったく別の何かに変換したり、あるいは怖さを怖さのまま置いておけるスペースを十分に確保して、だからこそ違うスペースで気丈に頑張れるというような、そういう精神状態にすごく憧れるし、わたしはそうありたい。

言葉にするということは、余分な肉を切り取ることです。
怖さにこびりつきそうな余分な肉を、喜びにこびりつきそうな余分な肉を、切り取って、シンプルな自分自身を取り戻すこと。
わたしにとって書くことは、たぶんそういう効果があるのかなぁと思っています。

上は今朝のツイート。
転職と同時に一人暮らしを始めるので、今とてもバタバタしていて、期待と不安が入り混じっていて、すべてが忙しない。
コメダ珈琲のモーニングがとても好きで、パンもコーヒーも美味しいし、何より空間自体が落ち着くので、自分のなかに溜まっているものをスッキリさせたいとき、よくコメダ珈琲へモーニングを食べに行きます。
だいたいそこでツイートをしたり、詩の言葉やnoteに書きたいことを思いつくことが多いです。

今朝もモーニングを食べながら、ぼやっと窓の外を見て、心が凪いで澄み渡った気分に浸りながら、改めて今の自分自身について考えました。

『一人でいても平気で、一人で落ち着ける』
これが今、わたしが一番望んでいること。

だから転職して、一人暮らしをしようと思った。
親元を離れても平気になりたかった。
そして自分一人で、落ち着ける人間になりたかった。

わたしはもともと不登校で、かなり母親に依存しており、なんでも母親にやってもらってきました。もともとそういう人間で、でもそういう人間であることが、近頃とてもしんどくなった。

端的に言えば『自立したい』ということです。
周りを見ればみんなもっと早くに自立していたけど、わたしにとっては今ここがやっと『自立したい』と思えたタイミングであり、やっと『自立できる』と思えたタイミングでした。

やりたいこととできることは違うし、できることとやりたいことは違う。
そのどちらも合致していなくても、飛び込める人は飛び込めるし、それはすごいなぁと思うけれど、何もかも合致していないのに飛び込める人は、実は少数なのではないかとも思う。

だからみんな待っている。合致するタイミングを。

それは永遠にやって来ないかもしれないし、やって来たとしてもものすごく先のことかもしれない。その頃には飛び込む力すら残っていないかもしれないし、もしかしたらタイミング自体を見逃してしまうかもしれない。

それでも待ち続けることは、弱さだろうか。

弱さなのかもしれないね。そうわたしは思う。
なぜならわたしは弱いから。
でも弱さゆえ待ち続けている人のことをわたしは馬鹿にしないし、待ち続けている人には待ち続けている人にしかない尊さがある。

ツイートもしたけれど、ここ数年こんなふうに思っています。
もう強さとか完璧さとか、そんなに必要としていないなって。

それはわたしが社会人の経験もして、ある程度人生のフェーズを(と言ってもまだまだ未熟ですが)重ねたからかもしれないし、自分の弱さを認められたからかもしれません。

とにかく自分の弱さを認められるとすごく楽です。

わたしもまだ全然、人前で着飾ったりとかしてしまうけど、でもそうやって着飾って疲れたなぁと思ったあとに、「もっと強くならなきゃ駄目だ」と思うのと「弱くてもいいよ」と思うのとでは全然違います。

わたしは弱いから詩が書けるし、こういう文章が書ける。

だからいいんだよと最近思います。

強さは弱さを消すものではなく、弱さを活かすものだと思う。
だから強くあるために、ちゃんと弱くありたいし、その姿は『強い』とか『弱い』とかを超えて『魅力的』なのだと、今とても思っています。


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