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その専門性を持ってどこで働きたいのか

「あなたはインターナショナル(国外)かナショナル(国内)か、どちらで活動をしていきたいのか」

大学3年生の時にバイトしていた某環境NGOの方からこんな問いを受けたこと、そして全く回答できなかったことをたまに思い出す。

当時は環境畑で働くためにどう経験を蓄積していくべきか模索し、必死だったので、国外か国内かなんてあまり考えていなかった。

国内の環境のこともまだよく分かっていないが、
海外の環境にも興味がある。欲を言うなら様々な自然環境に身を置いて働いてみたい。自分の好きな分野に関われていればそれでいいと思っていた。

ただ、国内の環境保全に本気で取り組むエキスパートにこんなぼんやりした回答をしたら呆れられそうだったので、結局「まだよくわからないです…」とだけ言ってその場を逃げた。

あれから9年程の歳月を経て今国外で活動をしているが、
半年経って思うことは、どこの国にいてもやるべきことはそう変わらないということ。

環境課題を見つけ、調整して、活動する。

ただ、エルサルバドルの場合はこの「調整」が鬼門で、
言語から始まり、文化の違いであったり、自分の中にある日本人特有の価値観であったり、多くの障壁により活動を起こすまでの道のりが長い。

その点の煩わしさを思うと、日本の方が動きやすい。

ただ、日本にいるとただ1種の絶滅危惧種をどう守るか
というようなことに頭を抱え、気づくと視野が狭くなってしまう。

もちろんそういったアプローチでの研究や活動も必要だが、
自然環境は、研究者や環境活動家だけではなかなか変化が望めない。
そこに住む人々の理解と地道な行動が不可欠だ。

「次世代に豊かな自然を残すために」

日本でそんな文句を幾度となく目にしてきて、
正直ピンと来ていなかった。
目先に放っておけば10年も経てばなくなってしまうであろう自然がある。

もちろんひとつの生息環境が消える、もしくは一種が絶滅してしまうことが周辺環境に与える影響が遠からずあるから守ると言うのもあるが、
わたしが動いていたのは、ただそれが悲しいから。

最近子供たちへ自然に関する話をしている。
環境活動の話をすると暗くなりがちだが、
子どもと関わると身近に希望を感じられる。
今の私の8割のモチベーションである。

自然の面白さを知り喜ぶ子ども達を目にして、
永く今の自然が続くようにしていきたいと感じた。

「次世代に豊かな自然を残したい」という感覚が自分の中から出てきたことに少し驚いた。

活動は亀の歩みだけど、
エルサルバドルに来て、環境という意味の広すぎる言葉を
俯瞰して考えるようになったのは私の中でひとつの財産かもしれない。

今は、子ども達が将来も
この自然環境を享受していける豊かな自然が残せるよう
僅かでも力になれればと思う。

場所はその時の状況次第だけど、

国外でも国内でも
砂漠でもジャングルでも
都市でも田舎でも

そのとき置かれた環境でできることをしていきたい。

ただ、ここでの任期を終えたら、どんな環境でも対応できる事を増やす為に
日本国内で専門性を磨いていきたいな。
(母国語&多少土地勘のあるフィールドの方が学びは深いと思ってるから)

今だったら、あの時うまく返せなかった問いに
自分の言葉に自信をもって回答できるだろうか。

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