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2024年もよろしくお願いいたします

能登半島大地震、羽田空港航空機衝突事故によって犠牲になられた方のご冥福をお祈りするとともに、ご遺族には心から哀悼の意を表し、今も被災されている方や負傷された方の一日でも早い回復を心からお祈りいたします。

好きな諺があります。
「点滴石を穿つ」
水滴も積み重なれば硬い石に穴をあけるという意味。


私は日進月歩でコツコツと積み重ねていくスタイルが性に合っています。でも何か天才とかって憧れるなー(笑)シンプルに自分にないものを持ってるのは、かっこいいですよね〜


この1年では「できない」の個人的定義が大きく変わりました。それは「1000時間やってできなかったら、初めて『出来ない』と言おう」という変化。
(経営者のような即時決断が求められるような立場の人であれば、例外かもしれませんが)1つを徹底的にやってみる。それで思った通りの成長速度がみられなければ、柔軟に別の方法を試してみる。何かを習得・上達するための定石的考えですが、この「徹底」の時間軸が大幅に伸びました。もっと諦めがわるくてもいいんじゃないかなって。諦めることに優等生にならなくてもいいんじゃいかなって。

加えて「ダメで元々」という言葉、最近は個人的には使わないようにしています。「これ以上はダメになりようがないから、伸び代しかない」というポジティブさを含蓄しているはずですから、本質的には卑下する言葉ではないはずです。
一方で、人って何か乗り越えなくちゃいけないときって、どんなに応援してくれる人が周りにいても孤独を感じやすい生き物でもあると思うんです。そんな耐え抜かなくてはいけないとき「ダメで元々」と開き直れる自信がないのなら、「私なら絶対できる。逆に今の状況をどうにかできるのは自分しかいない。わたし最強なんで」って強がりでもいいから言い聞かせる。最終形態は積極心。
自分が自分に期待しなくてどうするんだろうって。自身に期待できない自分に、一体だれが期待(投資)してくれるのかなって。
そんなことを心に唱えながら、最近では「自己肯定感」という概念すら必要なくなりました。

価値観についても新しい発見がありました。
詳細は伏せますが、論理的には何も問題がない。
だけど、「個人的に何かひっかかる。自身の倫理観に反するような違和感がある」と感じたことがありました。
常々、何かを感じたり考えたりするときは、明確に言語化して理解するクセがあるのですが、どうやって言語化しようとしても拭えない靄がかかった感情がありました。
感情レベルで反応する。
そのとき「これが価値観か」と肌で感じました。
こんなのはじめて...!(きゅるん)
...ちょっとふざけましたてへぺろ(もう死語?笑)



私は、誰かを利用するだけ利用したり、搾取したりする態度に対しては生理的に受け付けられない性分です。お互いがより良い方向へ飛躍していけるような関係性を結びたいと考えています。自身の利益だけを考えて誰かを蔑ろにしてまで、頂上に上り詰めたいとは到底思えません。自分の道の先には、必ず「人の幸せ」を見据えていたい。甘いと言われるかもしれないけれど。。それも自身の価値観から来るものだし、これはこれからも変わらないと思います。

先の話に戻りますが、柔構造の水のように地道に徹底的に続けていく。
敢えて抽象的に話を進めましたが、いつか笑い話にできる日が来るように。周りの方々の応援や支援があってこその今日です。周りの方々を応援することにも幸せを感じますし、その関係性をさらに深化させていく年に。
そして、お互いに良い影響を与え合い、好循環のスパイラルを作りだせるよう、私自身、人としてももっと大きくならないとなぁと痛感しています。
それもこれも他力本願ではなく、自分で最低限できることはやり切る。そうじゃないと、わたしが周りの人に手間をかけてもらったり応援してもらえる資格はないので。


2024年もよろしくお願いいたします!





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