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柿の話

日本の、本州以南において柿はありふれた果物です。「かき」という短い単語も、いかにも使い倒した感触ですが、英語でpersimmon というと、また全く別ものみたいに聞こえます。

中国語でトマトのことを「西紅柿」というのは、柿とトマトの見た目が単純に似ているからなのでしょうか。柿は中国の原産で、トマトのほうがずっと新参だから、柿で喩えたのかなと思っています。

年長の友人が、化粧品をつくる会社で働いています。その人からしたら娘くらいの歳の同僚がいて、その若い子は
「りんごと柿だったら、柿のほうが好き」
なのだそうです。
「珍しいよね。りんごは買うけど、柿って買わないし」
と友人に言われて、
「そうだ、私も柿は買わない、毎年もらってばかりいる」
と気づきました。

いえ。柿を貶める意図はないのです。柿もおいしい。あったら嬉しい。
しかしなぜか、あえて求めなくとも柿のほうがどこからかやってくるものだという認識で過ごしています。対価を支払うことをイメージできないのです。

考えてみれば、柿ほど感謝されにくい果物もないかもしれません。
柿の木を持つ人でも、手をかけてやったり丹念に採り尽くしたりしている姿はあまり見ない(木に登ると折れて危ないので、やり過ぎないでもらいたいのですが)。表年であればなおのこと、たわわになりっぱなしで冬まで放っておかれ、鳥が来て食べる。
バナナも日常的で ありがたみは少ないかもしれないけど、日本では普通 自生していないので、買わないと手に入りません。

しかし、柿が湧いて出るとか、おのずと家にやってくるという概念が染みついているのも、私の根本が田舎の人間だからだと思います。環境によっては、柿の木を見たことがない人、買った柿しか食べたことのない人もいますよね。

感謝されにくいということは、気安いということです。衣類でいったら普段着、いや部屋着みたいな、とにかく気を遣わないですむ存在。
デリケートでないから、触るときに緊張することもない。それは(田舎では)飽和していて当たり前の存在のようでも、意外とほかには見あたらない、貴重な性格なのかもしれません。

そうなると俄に、柿を好きと言いきった女の子が卓越したセンスの持ち主のように思われてくるのでした。


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