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竹馬と自転車の免許

年齢を重ねたり環境が変わったりすると、交通手段もそれまでと違うものになることがありますね。
東京を歩き回ったときに、電車やバスもいいけど、住むとなったら自転車は便利だろうと地元の方たちを見て思いました。

ラジオを聞いていたとき、ニッポン放送の東島衣里アナウンサーは自転車に乗れないというくだりで、
「乗れない人いるよなあ。なんか、大島弓子の漫画にもそういうキャラクター出てきた気がする(定かではないけど)」
と思いました。
ですが、かくいう私も、かれこれ5〜6年は自転車に触っていないです。
運転免許でいえば、いわゆる林家ドライバーなのです。


自転車に初めて乗れた日のことは忘れません。
小学校に上がる数日前の日曜、親に補助輪をはずしてもらい後ろを支えてもらって練習していました。何度となくこけて、何度となく立って、何かの拍子に、もう、こけなくなりました。
もし私が自転車の分野で6歳に逆戻りしたとして、あれに大人が再チャレンジとなったら結構、体を張った大事業なあと遠い目になります。
その必要と機会がないので、歩くか走るか車に乗るかの三択で、生活を続けています。

子供の頃から運動神経がよくなく、逆上がりや一輪車は一度も成功しませんでしたが、竹馬には乗ることができました。
初めて竹馬に乗れた時のことも驚くほど鮮明に覚えています。
幼稚園年長の年、私がどうにも好きになれなかった先生と一緒に竹馬の練習をしていたら、やはり何かの拍子に、何歩も歩けるようになったのでした。どうにも好きになれなかった先生が、その時はすごく、私の達成を喜んでくれました。

たとえば薪割りにもコツがあって、慣れるとどこを狙うとよいか分かるようになり、パカリと気持ちよく割れるのだといいます。
おそらくいろいろな乗り物も運動も、どこかにツボのようなものがあり、ある程度の期間 根気強く取り組んでみると、それを掴めるのでしょう。初めて「見えた」ときの感触は本当に快いもので、何十年経っても自分の中には大事に刻まれています。
ですから、ちょっとやそっとじゃ勘は失われないはずですが、あまりに遠ざかってしまうと、技術を戻すのに時間がかかることはありえるだろうと思います。
いつか変化が生じて自転車生活が再開することになったら、その時また謙虚になって考えます。

竹馬生活も。


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