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「世界中でSAKEが飲まれる」とはどういうことか?──Arizona Sakeの場合

新型コロナウイルスにより各州でロックダウンが施行され、アメリカにおけるSAKEのシーンが変化しつつあることを予感した3月中旬、脳裏に過ぎったのは昨11月、取材に訪れたアリゾナ州ホルブルック「Arizona Sake」創設者・櫻井厚夫さんの言葉だった。

「たとえ世界が終わりを迎えても、僕はSAKEを造ることができるんですよ」

空港のある(といっても極めて小さい)フラッグスタッフと、櫻井さんの住む人口5000人の町・ホルブルックをつなぐ州間高速道路40号線(I-40)を走りながら、冗談まじりに語るその横顔を見つめる。

ここへ来たことを、感謝された──簡単なことだ、飛行機に乗っただけ。それでも櫻井さんの口ぶりからは、「今度行きますね!」といって一向に訪れはしない人々が、これまでに何人もいたことを想像できた。

「基本的に引きこもりなんですけどね」、わたしは応える。「でもSAKEがあるならどこへだって行くんです。SAKEだけが、わたしをここに連れてくる」

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SAKE Streetさんに、米アリゾナ州ホルブルックのローカル酒造「Arizona Sake」の取材記事を寄稿させていただきました。

櫻井さん、そしてArizona Sakeの魅力について、詳しくは記事を読んでいただければと思いますが、要約すると、「Arizona Sakeは、正真正銘の“地酒”である」という話をしています。

最近よく語られる「テロワール(ひとつの土地に根ざすもの)」、のような意味ではありません。Arizona Sake、お米はカリフォルニア州産のものを使ってるし。アリゾナ州ではお米はほぼ育てられることはなく、育てられたとしてもお米を磨く精米機がない。
※カリフォルニアはTAKARAやGekkeikanなどの大手酒造メーカーのおかげで、お米の生育環境や精米施設などが整っているのです。

お水は、ホルブルックで採れるココニーノ帯水層から汲み上げたものを使っています。記事にも書いていますが、「硬水ですか、軟水ですか」という質問に対する、「砂漠地帯にとって、水は天のめぐみ。僕は飲める水に対してよいだの悪いだの言うのは嫌だと思っています。飲めるなら、硬水だろうが軟水だろうが関係ない。どんな水でも造りますよ、僕は」という回答は、科学的・技術的云々の前に、忘れることができないメッセージです。

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何度かお伝えしていますが、わたしがSAKEジャーナリストとして追いかけているテーマは、大きく分けて
①海外ローカルSAKE酒造
②海外における輸入酒の流通事情
の2点です。

なぜこの2点なのかというと、わたしが夢見る「世界中でSAKEが飲まれる未来」を実現するために、このふたつが不可欠だと感じるからです。

わたしは日本酒の海外進出を心から応援しています。
一方で、アメリカ在住、かつ日本酒/SAKE専門店に勤めていた経験から、海外へ輸出された日本酒の現実をシビアに見つめてもいます。
「おいしい」とは言いづらくなってしまったお酒をたくさん飲んでいますし、「それでよいのだろうか」と眉をひそめてしまうような海外展開の施策も何度も目にしています。
そうした現実を見つめながら、「時代は海外進出!」と焚きつけがちな施策に疑問を感じることもしばしばです。

日本酒を海外に広めてゆくためには、改善されなければならないことがたくさんある──そう悶々としていた中で、新型コロナウイルスにより、海外進出について一度立ち止まって考え直す機会が与えられたことは、今後日本酒業界が地に足をついた施策を進め、これまで気づかなかった新しい価値を見つけ出すためのよい機会なのではないか、とさえ考えています。

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「日本酒を世界酒に」とは、いまをときめく若手酒造WAKAZEが掲げるメッセージであり、彼らは「SAKEが世界中で飲まれるようにするには、世界中でSAKEが造られる必要がある」というアイデアのもと、フランスでのSAKE造りプロジェクトを進行しています。

グローバル化。そう聞くと、ちょっと抵抗を感じてしまう人も多いのではないでしょうか。「なんだよ、海外市場なんて」と鼻持ちならずに感じている飲み手の方はいらっしゃるでしょうし、「だったらいっそう、うちは地元を大切にしてゆこう」と、摩擦熱のようにしてローカルを大切にする造り手は増えてしかるべき、と思います。

グローバライズ(国際化)と、ローカライズ(地方化)。
相反する言葉のように聞こえるかもしれません。「これからはどんどんグローバル化する時代!」という人もいれば、「グローバル化で大切なものが見失われるいまこそローカルに回帰すべき!」という人もいて、議論好きにありがちな二項対立が生まれてしまいそうです。

しかし、グローバルとローカルは相反するものではありません。
日本国外で最もSAKEのクラフトブルワリーが多いアメリカ。そのローカル酒造を見つめながら思うのは、SAKEはグローバル化すればするほど、ローカルへ回帰してゆくということです。

(それは先日下記の記事の中で言及したスティーブ・ヒンディ著「クラフトビール革命」を読んでいても強く感じたことです)

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日本酒の海外輸出が増えており、アメリカはその最大輸出国であると言っても、地域差は激しく、主に流通しているのはニューヨーク州やカリフォルニア州といった“都市”のあるエリアであり(それでも、日本のみなさんが想像するような認知度からはほど遠い)、“地方”の州にはほとんど届きません。

(詳細は下記の記事にも。「SAKEといえば月桂冠しかない」という州は多数存在します)

櫻井さんはご自身のプロダクトについて、「『日本酒』の延長というよりは、『Arizona Sake』という独立したものとして認知されている」と話します。ホルブルック周辺をはじめ、アメリカのいたるところには、SAKEというものがなんなのかさえ知らない人々もたくさんいるのです。

日本からの輸出酒がほとんど届かないアリゾナの田舎町で、素性は知れないがただ“おいしい飲みもの”としての「SAKE」が醸され、地域の人々に愛されてゆく──
日本酒のマーケティングでは日本酒を飲んだことがない人々へのアプローチに「ゼロ杯層」という言葉がしばしば用いられますが、櫻井さんのArizona Sakeはゼロとさえ認知できないような、マイナス層のような市場へ食い込み、その地位を獲得しています。

櫻井さんは日本で杜氏として10年の醸造経験があるため、Arizona Sakeのお酒のクオリティは安定しています。
それを踏まえたうえで、世界中でSAKEがつくられてゆくにつれ、「これはおいしいのか?」とみなさんが疑問に思いそうな品質のものや、「これはSAKEと言えるのか?」とギョッとするような奇抜な商品は、次々登場してゆくでしょう(というか、すでにあるのですが、これはまた別のお話で)。

こうした動きは、誰かが止めようと思って止められるものでも、コントロールしようと思ってできるものでもありません。世界中でSAKEが造られるというのはそういうことであり、そのうえにこそ、「世界中でSAKEが飲まれる未来」が実現されうるのです。

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先述の「クラフトビール革命」には、ニューベルジャン社のJ. B. シュレーマンのこんな発言が引用されています(文脈については当記事からはややズレるので、詳しくはぜひ原典をあたってみてください)。

「シエラネヴァダが食い込んできている以外、私の知る限り、クラフトビール市場で地元以外のビールが大きな影響をおよぼすことはなかった」
「(ブランドの魅力は)ただ味が好きっていうより、もっと深くてエモーショナルなものだ」

世界中でSAKEが飲まれる未来。そこには、都市部で飲まれる高価な輸入ブランドが評価されるのと同じくらい、深くてエモーショナルな別方向の動きも生まれて然るべきです。それこそが、日本酒/SAKEを愛する我々の根幹だと思うからです。

SAKE Streetさんの記事には書ききれなかったこともあるので、Arizona Sakeの取材についてはわたしが運営するSakeTips!でも後日書ければと思っていますが、最後に、櫻井さんご自身は「日本酒/SAKEを世界に広める」ということにはあまりご興味のない方だ、ということは伝えておきます。

「世界中にSAKEを広めたい」というのは、SAKEを愛する仲間たちからよく聞く言葉であり、わたし自身の思いでもあります。

ホルブルックの砂を踏み締め、I-40で車窓を照りつける鋭い日差しに焼かれ、フラッグスタッフ空港の滑走路を歩いて小型飛行機によじのぼり、悪天候により遅延した飛行機から飛び出し、トランジットのためにフェニックス空港を走り抜ける──ぎりぎり駆け込んだ飛行機からガラスでくぐもる夜空を見つめながら、「世界中にSAKEを広める」とはどういうことなのか? と考え、そのとてつもなさに高揚する。

櫻井さんの物語は決して容易ではありません。誰もができることではありませんし、真似すればよいというものでもありません。
けれどもその物語には、わたしたちはそれぞれが、いろいろなことをできるのだ、と教えてくれる強度がある。

SAKEを造ったことはないわたしですが、この足で歩き、人々に会い、その物語を告ぐことは、世界中でSAKEが飲まれる未来に必ずつながってゆく──ジャーナリストとしてのわたしもまたそう信じさせてもらえる、とても素敵な旅でした。

お酒を愛する素敵な人々の支援に使えればと思います。もしよろしければ少しでもサポートいただけるとうれしいです。 ※お礼コメントとしてお酒豆知識が表示されます