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新卒1年目が徐々に病んでいく話

私は新卒で住宅メーカーの営業職として働いていました。

就活をしていた当時は、営業としてバリバリ働くことに憧れてしまっていて、性格が向いていなくたって自分ならできるはずだという謎の自信があったんですよね…。

でも、
・1人が好き ・人と一緒にいると疲れる ・人からどう見えてどう思われているのかが気になる ・周囲の人の気持ちをはかりすぎてしまう ・嫌われたくないから人に本音を話せない
…といういわゆる内向型HSPがバリバリ体育会系の住宅営業をやるなんて、やっぱり無理があった。

結局、働くのは10ヵ月が限界でしたが、今思えば、拒否反応はずっと前から出ていて、ずっとだましだましやっていたんだな…と思うので、振り返っておきたいと思います。

⓪就活

そういえば、私は就活中にも心が壊れかけている。ストレス?で微熱が続き、帯状疱疹が出来たりもして体調も悪くなっていったので、6月以降の就活を強制ストップすることになった。唯一1つだけ持っていた内定先にそのまま就職することにした。(この辺についてもいつか詳しく書きたいと思う)
就活時点で社不だったのかもしれない。

①研修期間

まず入社して数週間の新卒合同研修があった。研修と言っても、ほとんどマナー講習とグループディスカッションとグループ発表みたいなことばっかりだった。何も上手くいかなくて、誰とも仲良くなれなくて(同期は100人くらいいる)いつも1人でご飯を食べていた。
結果、ストレス性の耳鳴りが1週間ほど続いた。

そこから各地配属地ごとの研修になり、数名の同期との研修期間が続いた。
GWの超繁忙期が終わったころには、何故か体がしんどいわけじゃないのにずっと微熱が続いているような状態になり、なんだか気持ちが落ち込んで、涙が出て、部屋が荒れた。就活を止めたときと同じような状態だったので、またストレス性のやつか?と思ったけれど、ご時世的に一応検査をしてみたら、まさかのコロナ陽性だった。
けれど、コロナ特有の症状はなく、コロナにしては微熱期間が長すぎていて、保健所の人も「?」になっていた。真偽は分からないけれど、結局あれはストレス性の何か&無症状コロナだったのではないかと思う。

いずれにせよ、疲れていたので、とにかく休みがもらえたのはラッキーだった。不謹慎だけど。リフレッシュ休暇だと思うようにしていた。

②本配属~夏くらい

無症状コロナから復帰してからすぐに正式な配属が発表になった。
私はちょっと特殊な部署に配属になった。先輩が全員外出がちで放置に次ぐ放置、仕事もなく、初期の私の固定業務と言えば、電話に出ることだけだった。
本配属からしばらく経つと、また耳鳴りがするようになって、電話に出なきゃならないのに、電話先の声が聞き取れなくなってしまった。

今思い返すと、ずっと何一つ上手くいっていたことなんてない。
他の同期や先輩が何気なくやることを、私はめちゃくちゃ精神をすり減らしながらやっていた。

普段から、・自分から人に連絡をすることはない ・気付いたら1人になってる ・めちゃくちゃ周りのことをみて気を使っている(ただし気を利かせて積極的に行動できるわけではない)…ような人間が、仕事だから!って急に何でも平気になるわけはない。

まぁ、何事も慣れる。8月くらいには耳鳴りがすることもなくなった。

③秋。上司がパワハラに目覚めた

ある時、上司が部下の意見や質問を頭ごなしに否定、からの全否定するようになった。理由は不明。普段はお調子者の気のいい人なのに。新卒から見ても、なんだか的外れなことで先輩を指導?しているように見えてつらかった。私も指導されたけど、あんまり納得できなかった。

先輩と「最近部長変だよね」などとも話していたこともあって、しばらくすると、「部長も最近余裕ないんだなー」「これでバランス取ってるんだろうなー」とか、やたらと冷静ぶった他人事精神みたいなものが身についた。だから、上司のことを嫌いになるわけでもなかったし、辞めたいとかも思わなかった。今思えばただの逃避だ。

私も強くなっていた、だんだんパワハラも強くなっていく。
「他の同期はできてるじゃん」「どうしてやってないの」みたいなことを言われるようになる。
こっちとしては、「同期とは部署も違い、置かれる環境も違っています。私は機会がなく、今回が初めてだからです!」とか「先輩方が今までさんざん放置していたからです!」とか言ってやろうか…とも頭にはよぎるけれど、その環境に甘えて、同期に追いつけるよう特段の努力もせずサボっていた自覚もあった。
ただただ「スンマセン…次ハ気ヲツケマス…」と言うことしかできなかった。

そして隠れて泣いた。泣きたくないのに涙が出て腹が立つ。悔しいから、トイレとか車の中で泣いてた。

おそらく、私は内気な割には自分の機嫌をとるのが上手いのだと思う。誰にも頼らない、自分なりの、強く生きるためのメンタルケア方法を持っている。あまり深く考えすぎないようにして、休みの日には自分だけの予定を入れて、ちゃんと生活することを意識して、仕事のことを考えないようにした。多分、これのおかげ?で、生きながらえていた。

④冬の無限シュレッダー地獄

年末が見えるようになってきた頃。
私は、数十年分のありえない量の紙記録をシュレッダーし続けていた。
過労でシュレッダーが何台かお釈迦になったほどのはてしない量だった。

シュレッダーをかけてる間なんてもう「無」でしかなくて、この2ヵ月弱のシュレッダー期間中にかなり「つらさ」が加速した。

自分は今日も何もしてないなー、この間にも同期は接客して学んでるのになー、でもまぁシュレッダーかけてるだけでお金貰えるんだから楽でいいのかー、あぁ私は上京してまで何やってんだろ……みたいなことを考えた気がする。

年末には、自分が初契約をとってるところより、会社を辞めることの方が容易に想像できるな~~と、なんとなく思うようになっていた。

◎そうして限界は来る…

これからのことに耐えられる自信も、努力できる自信もないなぁ……と日々考えているうちに、気づいたら涙が出るようになってしまった。
一番酷い時なんて、先輩の商談に同席してる時にも涙が出そうだった。横に座ってニコニコ頷いてるだけなのに。

誰も相談できる人がおらず、支えてくれる人もおらず、気分転換に遊んだり連絡とったりできるような人もおらず、ただただ孤独だった。
1人ぼっちでトイレで泣き、移動中の車で泣き、歩きながら道すがら泣き、家に帰ってみそ汁作りながら泣き、食べながら泣き、酒を飲んで泣いた。自分なりのメンタルケア方法が、だんだんできなくなってきていた。

そんな感じで、次第に自分の感情がコントロールできなくなっていき、日常の「ちょっと頑張らないといけないこと」ができなくなっていって、好きな音楽も聞けなくなって、部屋が散らかり、帰宅してからはボーっと虚無を眺めるような時間が続いた。

で、ある日。また上司に詰められた。いつものように、「ソウデスネ…スミマセン…ガンバリマス…」と返した。
昼休みに会社の外に出ると、声を出して道で泣いてしまった。あぁもう私は無理かもしれないと思った。しばらく外を歩いて、涙を拭いて会社に戻った。しばらくすると上司や先輩たちは全員外出したので、とにかくやることを1人でさっさと終わらせて、定時になった瞬間に帰って、即カウンセリングの予約を取った。
※何かあったら電話してやろうと思って、お守り替わりにカウンセリング先の目星をつけていた。オススメです。


カウンセラーには、休職した方がいいと言われた。
その日中に「鬱らしいんで、しばらく有休を使って休職したい」みたいなことをメールした。その1通のやりとりだけで、休職に入った。

そこから無理せず、何もしなかったり、散歩をしたり、長風呂したり、3週間くらいぼーっと休んだら、私は通常にくらいには普通に戻った。

少し仕事から離れることが出来てすぐ元気になったけれど、やっぱり会社辞めたいという気持ちは変わらなかった。
カウンセラーには、「実はずっと前から仕事辞めようって決めていたのかもね」と言われた。
あぁ確かに。心のどこかではできるだけ労力かけずに仕事を辞められるタイミングを探していたけど、その気持ちにも蓋をしていたのかもな…と。

「別に本当のことを言って辞める必要なんてないよ」と言われて気が楽になり、上司に「鬱で生活できないので実家に帰ります。だから辞めます」みたいなことをメールした。入社はあんなに大変だったのに、退職はすごく簡単だった。


以上が、向いてない仕事をしてどんどん精神に余裕がなくなって心を病んでいく新卒のお話です。

だから言いたい、内向型が営業をやるには、かなりの精神力と体力と向上心が必要だよ、と…。別に無理してまで私がやることはなかった。良くも悪くも、私の代わりってこの世にたくさんいる。


最近「やりがいはあるけど精神的安定はない仕事」と「やりがいはないけど精神的安定がある仕事」だったらどっちがいいのだろう…とかって考えてしまっていたけど、少なくとも今の私に前者を選べる余裕はない。
「やりがいもあって、精神的安定もあって、周りの人もいい人で、給料もよくて、ちゃんと休めて、自分らしく気持ちよく成長できる仕事」ってないかなあ、ないよな~~~


長文かつ駄文、読んでくださってありがとうございました。



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