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【自己紹介】うっかりこのnoteに辿り着いてしまった方に。

はじめまして。
株式会社One Dropの上田晃一です。

自己紹介

基本情報

上田晃一(うえだこういち)
1982年生まれ42歳(2024年現在)
大阪箕面市出身(滝とミスド日本1号店のある街です)
金沢大学薬学部 総合薬学科 卒業
金沢大学大学院 自然科学研究科 医療薬学専攻 修了
薬剤師免許 保有
2人兄弟の長男。
器械体操部(大学時代は金沢市の大会で5年連続優勝)
趣味は、食べ歩き、酒蔵巡り、読書
国内旅行 47都道府県踏破(屋久島と飛騨高山が大好きです)
海外旅行 台湾、中国、香港・マカオが好きです

🍶幼少期

器械体操の体操教室を営んでいる父親と、父親の手伝いとして経理事務を担当していた母親(元幼稚園教諭)と、2歳下の妹がいる4人家族の長男として育ちました。

母親の強い願いのもとに
器械体操、ピアノ、英会話、習字、バレエ(体操の補助)、夏と冬だけ水泳、一瞬だけ公文式、進研ゼミと、
今にして思えば英才教育を受けて育ちました。

また、興味のあることにはとことんのめり込む性格でした。
「21世紀こども百科」「21世紀こども人物館」「21世紀こども歴史館」という1冊5000円程する本を、ボロボロになるまで読み込んでいたおかげで、大人になってからも活用できる雑学を一通り身につけることができました。

「ほしいものがあれば、その分働いて稼げばいい」

中学生の時に母親から言われた言葉

波乱と充実に満ちた高校時代~大学時代

中学を卒業して高校に入学するというタイミングで熊本に住んでいた父方の祖父が亡くなったため、自分以外の家族が熊本に引っ越すことになりました。

自分はそのタイミングで、大阪を離れたくなかったことと府立高校に受かっていたために、大阪市内に住んでいた母方の祖父母の家で居候をしながら、高校に通っていました。

ちなみに中学生の時から自分は理系でしたが、5教科の中で英語が1番できないからという理由で国際教養科という英語科に進学しました。

一流の環境に身を置いたら、3年間落ちこぼれても、世間的には中の上くらいにはいくだろう。

そんな甘い考えで進学した高校だったため、もちろん3年間落ちこぼれました。

や、ちゃうねん。

蓋開けてみたら、クラスメイトの半分くらいが帰国子女、在学中に1年間留学に行ったり、2年目からは母国語が日本語じゃないクラスメイトが普通にいるという環境。

これ、英語が苦手で入った自分にとっては無理ゲーじゃね?

となったので、大学進学の時は大人しく理系に進学しました。

大学は金沢大学 薬学部 総合薬学科に入学。
学部生の時は、生物系の生体防御応答学の研究室に在籍。
当時、ラットから抽出した抗体が特許が取れたため、ライセンス料という概念を知るきっかけとなりました。

大学院の時は、ドーピングに関する研究室に在籍していました。
この時に家庭教師をしていた先のお父さんが、当時年収2億を超える経営者だったため、会社員とは違う世界を体験する機会となりました。

経歴

2008年4月、マルホ株式会社に入社。
皮膚科領域専門の医療用医薬品の営業職として、大阪(堺)に配属となりました。
入社1年半後にあった新人賞は、該当期間の新規採用件数271件で全国3位を受賞し、当時新聞に企業広告の顔として掲載していただきました。

28歳の時に人生のメンターと出会い、転職を機にフリーランスとしても活動を開始。
はじめは、飲み会系のイベントの企画と、薬剤師向けの服薬指導向けコミュニケーション講義をしていました。

39歳の時に、株式会社One Dropを創業。

起業を目指した背景

人情味があり、営業職から別部署に異動ができる内資系製薬企業で、様々な経験を積み重ねていきたい、という想いから製薬会社に就職しました。

製薬会社では、厳しいながらも高い基準で仕事を教えてくださった所長と先輩方のおかげで、日々ボコボコになりながらも一通りの仕事ができるようになりました。

大好きな会社でキャリアを積み重ねていける可能性を感じていたので、休日などに積極的に社外の研修も受けていました。
当時はどちらかというとコミュニケーション能力が欠落していたので、基本的にはコミュニケーション系と論理的思考系の研修を受けていました。

そんな中、キャリア形成の研修を受けたことが、自分は将来どうなっていきたいのかを考えるきっかけとなりました。

当時、会社の目標はある程度話せたものの、会社以外の「自分」の目標を聞かれて全く答えることができなかったんです。

「上田君は、人生を通してどうなっていたら理想なの?」

この時に、ちゃんと自分がどうなっていきたいのかを考えた結果、後述する全力で人生を生きる、につながっていけたらと考えるようになり、会社の枠を超えて自分の経験値を詰める人生を作るために起業の道を進むことを決めました。

座右の銘

全力で人生を生きる。

いしいしんじさんの「トリツカレ男」という子供向けの小説を読んだときに、様々な人生経験を積み重ねて、その時一番幸せにしたい人をありとあらゆる方法で幸せにできる男になりたいと感じたのがきっかけでした。
本についてはこちらの記事に記載しています。

経営理念

一滴の水滴が波紋を起こすように
きっかけを作り、周りを巻き込んで、社会が豊かになる事業活動を全力で行います。

私は日本酒業界でなんの資格も持ち合わせていないド素人ですが、お酒が好き過ぎるあまりに会社を作りました。

薬局薬剤師としても働きながら、自分の会社としては自由な発想で今までにないシカケを作ることと、20代・30代でチャレンジして会社員から独立しようとしている人たちの独立支援のためのコミュニティづくりもしています。

日本酒と酒造りという日本文化を、後世にひと蔵でも多く伝えていくこと

に、微力ながらも全力で貢献することにチャレンジしています。

活動状況

会社としては、最近のメインは様々な「シカケ」をつくるお手伝いをしています。(公表できるようになったらここに追記します)

そのシカケの一部で公開できるものについては、会社のECサイトで各種のシカケも行っていますが、基本的には対面で企画や代行をすることが多いです。

そもそも会社を立ち上げたきっかけが日本酒業界への貢献であり、
個人的な活動としても年前から日本酒会を開催しているのですが、
昨年からこの日本酒会が大躍進しているため、メインの活動の日本酒会について紹介します。

主催している日本酒の会は、2018年から開催しています。
SNSでの集客なしで毎回60名規模の会をコロナ期間を除いて3年以上継続しており、最近では月2回開催にまでなっています。

この会は20〜40代中心で、「今まで日本酒を飲んだことがない」「そもそもお酒をあまり飲まない」という人も、前回参加した方が誘ってきて参加することが増えており、

「ここで出るお酒は飲める!」

「お酒単体はやっぱり苦手だけど、この料理と合わせたらいける!楽しい!」

など、元々日本酒が好きな人だけでなく、これから飲めるようになりたいという人にとっても初挑戦にオススメの場として認知が広がっているようです。

最近では、酒蔵で働く方やYoutuberの方が参加されることもあります。
この日本酒会は写真撮影禁止、連絡先禁止のストイックでクローズな呑みの場にもかかわらず、どこからか聞きつけた人が人伝いで参加され、プロの方でも楽しまれているようで、とてもありがたく感じています。

目標

とことん全力でスキを追求したら、何の資格も専門性もない状態からでも努力でここまでのことができるんだ!
というのを、僕のお酒への愛を通して多くの人に知ってもらいたい。
そのために、2024年6月現在は、来月第1回を開催予定の
酒粕の有効活用をテーマにした日本酒のフェス系イベント「酒粕らぼ」を定番化させることにチャレンジしています。

こちらにご協力いただける方いらっしゃいましたら、InstagramのDMをいただけましたら幸いです。
酒粕らぼ Instagram
https://www.instagram.com/sakekasu_hyakunin_isshu/

最後に

「一緒にいる人で、人生は決まる」と思っています。

自分をきっかけにして、価値観で繋がる仲間と事業を通して様々な価値を世の中に生み出していき、社会に貢献していきます。


【公式】シカケルストア(ただいま工事中)
https://one-drop-osaka.com/

上田晃一 note
https://note.com/sake_lover

上田晃一 X
https://x.com/ferio_na_march

上田晃一 Instagram
https://www.instagram.com/yellow_march/

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