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139. マルケータ・ラザロヴァー 【映画】

映画館で5回くらいこれの予告編を見たんですが、そのモノクロ映像のコントラストと構図の美・情景を更に壮絶に見せる音楽に心を掴まれ、「何か美しいものを享受できる」という期待に胸弾ませて本編を観に行ったのでした。
(本当に美しいので予告編だけでも見てほしい)

映像と音楽目当てで行ったので、ストーリーや制作背景などは一切知らない状態でした。多分これはイメージに浸るための映像作品だろうと思っていて、実際画面を追いかけているだけではとてもそこで起こっていること全てを把握することはできません。
物語の進行という意味でのナレーションは一切なく、たまにこれから起こることの筋書きが画面上に表示されるだけ。映像は人々の挙動のみで展開していきます。
カメラは定点ではなくて、生きているみたいに動いて、常にある視点からのイメージを見ている感じ。そこで起こっていることを(複数の)誰かの切り取り方で見せられている。
だから例えば道ですれ違った誰かの物語のように、当事者ではないけれど近くにいる者として、そこで起こっていることに注目して観察している気分になりました。

パンフレットのコラムにも、”たとえ複雑なプロットを理解しきれなかったとしても、イメージと音の引力に引き込まれる”とあり、同じような見方をしている人が多くいるのだろうなあと思います。
ちなみにわたしは、マルケータが持参金が足りなくて修道女になれなかったことも、アダムの腕は近親相姦の罪ゆえに切断されたのだということも、パンフレットを読んで初めて会得しました。(ちょっと理解力がなさすぎるきらいもある)

とはいえ読んでいる方にはなんのこっちゃだと思うので、一応HPからあらすじを引いておきます。

舞台は13世紀半ば、動乱のボヘミア王国。
ロハーチェックの領主コズリークは、勇猛な騎士であると同時に残虐な盗賊でもあった。ある凍てつく冬の日、コズリークの息子ミコラーシュとアダムは遠征中の伯爵一行を襲撃し、伯爵の息子クリスティアンを捕虜として捕らえる。王は捕虜奪還とロハーチェック討伐を試み、元商人のピヴォを指揮官とする精鋭部隊を送る。
一方オボジシュテェの領主ラザルは、時にコズリーク一門の獲物を横取りしながらも豊かに暮らしていた。彼にはマルケータという、将来修道女になることを約束されている娘がいた。
ミコラーシュは王に対抗すべく同盟を組むことをラザルに持ちかけるが、ラザルはそれを拒否し王に協力する。ラザル一門に袋叩きにされたミコラーシュは、報復のため娘のマルケータを誘拐し、陵辱する。部族間の争いに巻き込まれ、過酷な状況下におかれたマルケータは次第にミコラーシュを愛し始めるが…

マルケータ・ラザロヴァーHPより

これを読むだけでも話が入り組んでいることがお分かり頂けるのではないかと思うのですが、映画ではさらに細かな描写まで念入りに作り込まれていて、一大叙事詩の呼称がふさわしい長編となっているのです。中世を忠実に再現した、実際に雪山にこもって撮影したという映像も作品全体に説得力を与えているように思います。
そうしてチェコの映画音楽を支え膨大な作品に携わったというズデニェク・リシュカの、壮大華麗な音楽。先程から繰り返し言っていますがこの音楽が、映像を圧倒的なものにしているのです。


ところでこの作品、チェコでは知らない人はいないと言う小説家、ヴラヂスラフ・ヴァンチュラの1931年に上梓された同名小説が原作となっているのだそうです。プロットは全く同じなわけではなく、「モチーフを自由に解釈して」制作されたそう。原作は原作で実験的な要素を多分に含んでいるとのことで、チェコでは誰もが知る名作らしいので、いずれこちらも読めたらなと。

本作はプラハ事件前の、社会主義リアリズムとは一線を画した映画のムーヴメントの中で出てきた作品であり、見方によっては社会主義への批判を読み取ることもできるようですが、わたしは全くそういうことは気にせず(というか知らなかったし)鑑賞しました。別に制作の背景に囚われず、普遍的なものとして鑑賞できる作品だと思います。

また、一方的な秩序をもたらす権力としてのキリスト教と、キリスト教が広まる以前の異教の相克という面もあると、パンフレットで何人かの方が言っているのですが、キリスト教を背景に持たない故かわたしには宗教的な部分は全く響いてきませんでした。
無論、”修道女を夢見ていたマルケータが最後には教会には救いがないと知って教会を去る”という筋があるので、修道院のシーンはそこそこ出てきます。でも、わたしにとってはとても観念的な場所というか、”キリスト教”という実際の宗教の祈りの場ではなく、ある一つの神が信仰されている場という曖昧なイメージによって捉えていました。
確かに言われてみれば、そこに中世ヨーロッパにおいてキリスト教が受容されていく歴史的背景を見出すことができるのですが、鑑賞中は全くそんな考えには至らず。
ただ修道女たちの冷たく怖くさえある姿に、ここは自分のいる場所ではないと悟ったマルケータの心境だけははっきりと感じることができました。この時の、身を投げ出してうつ伏せになって神に祈ろうとする、でも段々「これは違うぞ?」と思い始める彼女の様子がとても印象的でした。

心に残っている画は他にも幾つかありますが、わたし的には予告編にも使われている、鳩を抱えた修道女たちが丘を上っていくシーンが一等好き。(元々鷲掴みにした鳩が銅像になる話を考えていて、そこにこのシーンを組み合わせて一作書いたくらいには好き。この作品は次回小説回にて公開予定です)
ただの幻像として使うのではなくて、もっと長尺で使ってほしかったなあとか勝手なことを思ったり。

細かいことは何も気にせずただ映像美と音楽に酔うためにもう一度、更に細かな筋や時代背景について考えを巡らせながらじっくりもう一度、何度か観るべきなような気がしています。今すぐでなくても、何年後かにでも。

ではまた。

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