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150. 薔薇の天使 【短編集】

新書館から出ていたFor Ladiesの1冊です。
このシリーズは寺山修司と宇野亜喜良のイメージが強いですが、それ以外にも様々なジャンルの人が“女性のための”読み物を著しています。
この「薔薇の天使」の作者、竹内健氏は主に前衛劇をやっていた人だそうで、他仏語の翻訳も手掛けていたようです。

作者については全く知らず、ただ古本市でたまたま見掛けて文章が良さそうだったので買ってみました。
蓮本みゆきなるイラストレーターによる宇野亜喜良っぽい挿画にも心惹かれました。
それに、薄くて軽くて正方形に近い形のFor Ladiesの装丁が好きなのです。

少年の話が「望郷の歌」「おごそかな孤独」「氷の薔薇」「虹の祭典」「青色の船出」の5篇収められていますが、後半の3つは連作になっているので、実質的には3篇でしょう。どれも少年の残酷性に満ちていて、あまりにも恐ろしく、何の心の準備もせずに読んでしまったわたしは大分滅入ってしまったのでした……。
でも文章はとても綺麗。特に情景描写の上手な書き手でした。(後で詳述)

この小説群がいかに恐ろしいかをネタバレせずに説明するのは不可能なので、1作ずつあらすじを書いていこうと思います。

○望郷の歌
少年は地理の授業中、校庭に瀕死の蝶を見つける。
教室では先生が、「死期を悟った動物たちは、帰郷本能(帰巣本能)によってふるさとへ帰ろうとする」という話をしている。
少年は蝶が自分の墓場に向かっているのだと思って、後を追うことにする。森を抜け、街を過ぎ、川に入り……何万もの蝶たちと滝を落ちていく。
そこでそれは夢だったのだと気付くのだけれど、少年はふるさとに帰るということに囚われている。
先生が言っていたグワナコという動物のことを思い出し、明日は動物園に行こうと決意する。グワナコに瀕死のけがを負わせることで、ふるさと・母の元へ帰る力を与えるために。
(空を飛ぶ夢とか交通事故にあった老婆とか、他にも幾つか要素はあるのですが、ここでは省きました。)

少年特有の残酷性と愛情表現が、理知的な狂気となって表れています。
でもまだこの段階では実際の殺しには至っていないので、後の作品よりは大分柔らかいのです。

結末はともかく、この作品で最も好きな一節。

春の風の行方はどこだろう。少年はフトそんなことを考える。あの生暖い風。少年の薄桃色の頬をさっとなですぎるあのぬくもり。長い灰色の冬の陽影が、ある日急におぼろげになったかと思うと、黒いセーターを通して少年の肌をかすめるあの甘い香り。少年には覚えがあった。

○おごそかな孤独
ここでは蝶ではなく少女が出てきます。でも主題は「望郷の歌」と同じで、母の元へ帰ること。

桜貝を集めに早朝の海岸へやって来た少年は、そこで見つけた小蟹が波に抗って浜へ上がろうとするので、海にはお母さんが待っているでしょうと小蟹を海へ戻そうとする。抵抗するので目や足を全て取って甲羅だけを海へ返す。
それから桜貝を探していると犬の散歩をしている少女が通りかかる。少年は彼女に、桜貝のスパンコールで服を作ってあげるから集めるのを手伝ってよと言う。それで二人で桜貝を集め始める。
桜貝が充分集まったので、服を作るという名目で少年は少女の皮膚をカミソリで切り取り、そこに桜貝を貼り付け始める。
少女は痛みに耐えながら、夢物語を語る。灯台の向こうには草原があって、親子連れの馬が仲良く走っているのだと。しかし親馬はどこかへ行ったきり帰ってこない、少女の話はどんどん暗くなってくる。それは実は、どこかへ行ってしまった少女の母と少女自身の話だったのである。
最初は非現実的な話にケチをつけていた少年が、少女の話に理解を示し、また自分も孤独であることを打ち明けることで二人は分かり合う。しかしそれも束の間、少女の心臓に桜貝の欠片が刺さり、彼女は幸福の中死に絶える。

理論的な少年に対し、少女の夢の荒唐無稽なこと。でもわたしにとってはそちらの方が馴染み深いというか、しっくりきます。だからやっぱり、体が桜貝で煌めいている様を想像するのは良いけれど、実際に皮膚を剥いで貝を埋め込むなんて描写はちょっと痛くて見てられない……。
その痛みに耐えてしまうほどに少女の悲しみが深かったのだということはよく伝わりましたが。

○氷の薔薇、虹の祭典、青色の船出
想像上の国を追い求めて、研究にいそしみ、遠い国へ長く旅したりする歴史家の父。
夫の不貞を疑い、夫のいない間に逢引きを重ねた妊娠中の母。
両親に愛され、また自身も二人を愛している息子。
この三人の家族を中心とした物語群。

「氷の薔薇」では、少年は疲れ切った母を幸せにするために(簡単に死ねるのならどんなに幸せか、と母が言うので)母を殺す。
「虹の祭典」では、少年は「一度でいいから美しいと言われたい」とこぼす盲の老婆を花で飾って殺す。父は少年の狂気に気付き始めて葛藤している。
「青色の船出」では、父を(その求める架空の地へ辿り着かせんために)殺してきた少年が、父の代わりに「ワクワク起源論に関する講演会」に登壇する。そこでワクワクの話や、両親に対する糾弾を受け、講演会の最後にそこに集まっていた五百人近い学者たちの首を吊って殺す。
殺しのオンパレードだ。

1作目は寧ろ母の狂気の方が強いですが、あとの2作はどんどん少年が不気味になっていきます。
「青色の船出」に至っては、全編にわたって抽象的で、理解できた部分の方が少ないかもしれません。小説というより詩といった方がふさわしいかもしれない。

父について、「彼は妻をこよなく愛していたし、妻もまた夫を心から愛していたはずだった」という記述があるが、であればなぜその父が少年に、旅に出る前にこんなことを言ったのか謎である。

坊や、お父さんは、遠いところへ旅に出かけるから、しばらくママと一緒にお暮らし。パパはね、ママが本当に仕合わせになることができれば、その日またもどってくるからね……

本当に父はこう言ったのか。
この言葉がなければ母親は死なずにすんだかもしれないのに。
今のところわたしにはよく理解できていません。

どれも少年によって人が死んだりするので、思わず目を背けたくなることが度々ありました。著者が男性であることも関係しているのでしょうか、女性の描く少年像よりもっと突き抜けた、純粋な残酷さを感じました。

もう暫くこんな怖い話は読みたくない気分です。でも文章の参考に、ぱらぱら捲って読むくらいならいいかな……とか。

ではまた。

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