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135. 須永朝彦小説選 【小説】

わたしの好きな山尾悠子さんの敬愛する幻想文学の名手、須永朝彦。
昨年享年七十五で亡くなり、この小説選はその追悼として山尾さんが編まれたものです。
そうしてわたしは幻想文学好きを称しつつ、須永さんの存在を去年初めて認識したのでした……。

この小説選には1997年に刊行された「須永朝彦小説全集」より25編が収録されています。
山尾さんが「一語の揺るぎもない美文」と評するように、連なる文章のどこを切り取っても美しい。旧仮名遣いの気品ある文体や、古文を模した書き方まで、無駄を一切省きただひたすら美の境地を目指す作品群に、圧倒され酔いしれるしかありません。これらを読んだ後にうっかり自分の駄文などを見ると、あまりの言葉の未熟さに身悶えするほど。
浅学ゆえに知らない言葉もかなり出てきますし、中に織り込まれている俳句や短歌もその効果を十分には味わえないのは大変残念です。詩歌はやっぱりまだわたしの手に負えない。

さて、その内容へと話を移しましょう。
まず単行本「就眠儀式」と「天使」から選ばれた作品が幾つか。この2作は「耽美小説の聖典」と称されたこともあったとのこと。前者が吸血鬼についての、後者が天使についての作品群です。

「就眠儀式」は1970年頃の作品なのですが、作家曰く「永久に死を生きる美貌の吸血鬼の物語が読みたかつたが、従来の吸血鬼譚は悉く吸血鬼退治譚であり、登場する吸血鬼もまた美しき者は稀であつた」故に「現実の自分には望み得ぬ境涯、言ひ換へれば自分が変り代りたき存在を選び取り、その肖像を描く事が即ち私の小説の方法となつた」とのことで、吸血鬼ものは好きだけれど造詣が取り立てて深いわけではないので、実際須永以前の吸血鬼ものが悉く勧善懲悪的な筋立てだったかどうかは定かではありません。
数年後の萩尾望都の「ポーの一族」がわたしにとっての吸血鬼ものの出発点であり、これは須永の描く美青年である吸血鬼と彼に惹かれる美少年の図に、まあ近しいところもある美少年たちの話であり、後続も(文学・漫画・その他メディアに)沢山おられるので、どうも馴染み深いのはすっかり”美しい吸血鬼”ものなので……。
(とはいえ須永の吸血鬼像は”美しいものを好み、長い時を謳歌し、こちら側を虎視眈々と見つめている様子の、悲しみや憂いとは縁のない気高い者たち”といった具合で、「ポーの一族」のような永遠に生きなくてはならない悲嘆に涙するわたしとしては些か趣味から外れている)

19世紀くらいの吸血鬼文学で、美貌の女吸血鬼と愛し合い苦悩する男の話があったように記憶していますが、須永朝彦が求めるのはあくまで女のいない世界だと思われるので(彼の描く作品に出てくる女性の数は極端に少なく、彼女たちは見た目は美しくとも言動は卑しいことが多い)、そういった世界観の吸血鬼ものを古典に探すのは確かに難しいかもしれない。

「就眠儀式」作品群の中に、小説選の内で最も気に入った作品がありまして、それが「ぬばたまの」。日本の女吸血鬼が主題となっていて、古式ゆかしい文体のせいもあって泉鏡花を彷彿とさせます。(実際須永は後に泉鏡花の選集を編むほど鏡花好き。というか読み返したらこの作中で鏡花に言及していたから、かなり意識していると思う)
筋は、山中で迷った二人連れの男が偶然見つけた館に泊めてもらうも、主人は吸血鬼だった、というよくあるもの。なんですが、二人は女の色香にまどわされないどころか館から逃げ出し、足を踏み外して滝に落ち、溺死する。吸血鬼の方は長いこと血を吸っておらず、今の獲物を逃しては最早身を保てない……と展開していきます。
新緑、紅葉、夕焼けと、色の描写が秀逸で、読み終わってから冒頭の「かつてありえた世界の太初のやうに、あるいはこののちきたるべき世界の終末のごとく美しい夕焼であつた。」に戻ると吸血鬼の無念が偲ばれます。
(しかし美少年ひしめく須永作品の中でこれを選んでしまうのだから、わたしは自分が思っているより美少年に惹かれないのかもしれない? 元々薔薇ものはほぼ読まないのだけれど)


吸血鬼ものはせいぜい首筋への接吻とか抱擁くらいの描写で終わっているのですが、「天使」の方はかなり直接的に(男から男もしくは両性具有への。無論ここが男女であってもわたしは嫌だ)色欲が描かれていて、湿度が高く辟易としました。
文章やイメージの端々が美しいからどうにか読めたけれど、かなりきつかった。
幻想文学にはエロ・グロも多いですが、何せわたしはその辺り不得意なので、読む前の見極めが難しいです……。エロ・グロOKな幻想文学好きの方はするっと読めるかと思います。


それからシリーズ物で収録されているのは、単行本未収録の「聖家族」。掲載誌の終刊に伴いあえなく連載が終わってしまった作品だそうですが、これまでとは違った作風で書こうとしたらしく、珍しく女性の登場人物たちが詳しく描写されています。話も生々しいというか現実感を帯びていて、少し奇妙ではあるけれど、もしかしたらありうるかもしれない……? と思わせるような、つまり一般的な小説に少し近付いた形です。
しかし不思議な感覚を起こさせることには変わりなく、この中の一作「聖家族Ⅱ」に連なる美文の中でも最も美しいと思われる一節(文章が、というよりその生み出すイメージが)がありましたので、引用しておきます。

硝子棒の一端を強い瓦斯の炎に当て、熔けた硝子の雫を、水を張った器に受ける。雫は瞬間に固まり、零れる涙の形を残す。涙の頭、つまり球状を成す部分は金槌で叩いても容易に割れないけれど、円錐形を成す尻尾の方はペンチで軽く摘んでも儚く砕け散つてしまふ。こんな、何の役にも立たない硝子の粒を、私は作つては砕き、残り少い時間を潰してゐるのだ。

他幾つか掌編が収録されており、その内の一編、「月光浴」は珍しい動物を集めた園を持つ王様たちと、動物を売りに来るペルシャ商人の話ですが、多分にアイロニカルで、内容的には何となく澁澤龍彦の「高丘親王航海記」の一場面を思い出させました。
こういったおとぎ話や伝説めいた書き方も上手く、”スペインの冒険譚を翻案としている”と嘯いた創作もあります。

全体に、ほんの2、3頁で終わるような掌編が多く、長くとも30頁ほどで、それも中で細かく章立てされています。元々短歌から文学の世界へ入ったとのことで、一つのイメージからぱあっと想像を広げてある場面を描くタイプなのじゃないかしら、とか。(これは自分のことなのだけれど……この短さ、イメージの鮮明さに、遠く及ばずながらも近似性を感じるわけです)

一部あまり読みたくないようなものもあったけれども、大変充実した読書時間となりました。これや山尾悠子さんをお手本に、美しい作品を作り出せるよう精進せねば。
惜しむらくは、文庫だから読んでいるうちにどんどん傷んでしまうこと。いずれどうにかして単行本の方の全集を入手すべきかと考えています。

そんなわけで、この回が押しに押してしまったので、昨晩更新するはずだったフリーペーパーの回は今晩辺り書きます。
ではまた。

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