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初代ポケモンにみるゲームの死生観

先日アップされたポッドキャスト「愛と死の人類学」の最新エピソード内で興味深い話があった。

ポケモンは、自分の手持ちモンスターを戦わせ、仮に相手に倒されてHPがゼロになっても「ひんし」の状態になるだけで、完全には死なない。
何度ポケモンが「ひんし」の状態になっても、ポケモンセンターで体力を全回復させると、また元気な状態で一緒に冒険できるのだ。

一方で奇妙なことに「初代ポケモン」ではパートナーであるポケモンを完全に失ったNPCが存在する。
驚くことに「ポケモンの墓」も登場する。
そう、シオンタウンだ。哀しくて陰鬱なBGMが当時トラウマになった人もいるのではないだろうか。
街にはポケモンを供養するいわば「霊園」のようなポケモンタワーが聳え、そこにお墓参りに来ているNPCがいたり、成仏できないポケモンの霊が彷徨っていたりする。
「主人公のポケモンは死なないのに、この矛盾はなんだろう」と当時子供だった私は不思議に思った。

「愛と死の人類学」内で久保明教氏は、ゲームフリーク(ポケモンを作った会社)が命の大切さを伝えるため、このような設定を作ったのではないかと推測する。

「ゲームは何回でもリセットがきく」という点で、命をないがしろにするという批判はずっと言われてきた。
ポケモンはゲームの宿命に妥協しつつも、命が儚いものであることをシオンタウンという場所で伝えてくれている。

一方で「ファイアーエムブレム」のように一度仲間を失うと永遠にロストしてしまうゲームもあったりする。
はたまた「FF7」のエアリスのように、愛着もって育てたキャラが突如殺されてしまう場面も衝撃的だった。
それぞれ強烈に心に残っている、胸を抉られた思い出だ。

たかがゲーム?果たしてそうだろうか。
私たちはやっぱりゲームから命の儚さを学んでいる。

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